-竹久夢二を起点に、大正100年の表現をたどる-

 大正期から今日までの100年間の表現には、作家の代表作にして、時代の代表作とでも言うものがあります。それを、大正ロマンの旗手とされる竹久夢二を起点にしてたどろうとしています。
 100年のmasterpeice としての表現、それらについて覚書きをします。(2012.8.27)  

  [top、都市と郊外詩歌散文、絵画思想のページを書いているところです。 talksblogもご参照ください。 2013.7.12]


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『草画』表紙 竹久夢二著・画 岡村書店 1914(大正3)年
 木版装の『草画』には色刷りのカバーがあり、 そこにはリンゴの木とヘビが表現されています。
マンドリンを抱えて音楽に興じるモノクロ表紙絵の二人は、アダムとイヴということになります。
西洋には、聖書に題材をとった世俗画〈死の舞踏〉の系譜があります。
16世紀のハンス・ホルバイン木版画〈死の舞踏〉が、その代表的作品ですが、
どのような人にも音楽と共に死神が近づく場面が描かれ、教訓的な文言がつくのが特徴です。
夢二は『草画』のなかで、南画では簡略化した水墨画のことをさす「草画」という名称で、
自由画として出発した自らの画業が生んだ、「小さな木版画」を、誇らしく語ります。
絵と文によるこの一冊には、西洋と東洋、伝統と(新奇な)現代が混沌と融合され、
夢二特有の創造境地が記されているのです。

はじめに  “表現”のルーツとしてのリベラリズムと竹久夢二

 竹久夢二〔1884(明治17)年~1934(昭和9)年〕が、現代のさまざまな表現分野のルーツであり、多彩な分野で活躍した才人だったということは、言われて来ていることです。画家としてデザイナーとしての評価は、首肯されることですが、その分野に収まらない仕事が多くあることも事実です。
 現代から見て、明治末から大正・昭和初期においてそれぞれの文化の源流が生まれ、分野として確立したという説があります。そう見るなら、多くの分野の源流において夢二は活躍したことになります。ただ、彼は、諷刺画も漫画も描いているけれども漫画家にはならなかった人で、小さな版画としての草画、抒情画を提唱したけれども、創作版画にはすすまなかった人です。絵画小説は書いたけれども、小説家を名乗ることはありませんでした。さらに言えば、絵と文芸の相関が強い人で、絵には賛を、文には挿絵を添えることを常としていました。表紙絵と詩を担当した歌曲の楽譜などの仕事も特筆されます。夢二は、童謡、童話も書いた詩人で、子供や女性、青春期の人々にむけての表現も特有のものでした。彼が活躍した明治末から大正、昭和初期こそ、詩歌の時代であり、童心の時代であり、古謡採取の時代であり、歌曲の時代でした。
 これらの多彩な文化にアプローチするために、ひとつの糸口を探すなら、当時隆盛した出版文化などのマスメディアと夢二が深く関わったことが注視されます。自著を中心としたブックデザインの仕事は、夢二の中核になっているのです。
 さらに、時代の背景にあった思想に注目して、夢二代表詩「宵待草」をリベラルな気運が高まる時代に生み出された歌謡とみる観点があります。背景としての時代文化や先行する詩人、あるいは、夢二を受容したであろう作家にも目を向けることは、何らかのヒントになることでしょう。(注1)
 そして、大正期のリベラリズムは、マスメディアをとおしてより多くの人々が、多様な文化を享受することにより進展したと考えられます。表現の自由という概念がありますが、それは思想的なことを含めて作者の恣意を作品にあらわす自由というだけではなく、分野を越えて新たな様式を生み、既成の様式から開放される自由にも通じます。
 そういった自由な表現とメディアが生成してきた近代を、芸術表現が渦巻いた100年として夢二を起点に巡ってみます。それが、夢二とは何なのかについての解答に近づくことと、表現というもの、文化というもののあり方を探ることになるのではないかと、ささやかな期待を持ちながら…。
                                 (2012.9.1)


                                        筆者の略歴 ⇒大正100年データ

          竹久夢二の代表的作品については、ページを作成中です。⇒ exhibition 竹久夢二 -大正の自由人-


補注

注1 『「宵待草」ノート 竹久夢二と大正リベラルズ』 (拙著) はる書房 2011    ⇒ Book review

なお、当サイトでは、夢二作品につきましては、主に次の図書より引用させて頂きます。
 『夢二抄 山の巻 絵と画論』 (拙著) グラフィック社 1997
 『夢二抄 川の巻 絵と文芸』 (拙著) グラフィック社 1997