Dioの会の始まり/Blog

Dioの会、実行委員y.s.によるブログです。 


Dioの会の活動と折々の感想を書いています。

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2024年04月30日 23時11分

ひとつの総括としての詩「白き手の猟人」

   三木露風研究 ⇒ 三木露風論考

 三木露風論の「(8)内なる自然の構築――白き手の猟人」がアップロードされています。
 大正2(1913)年にこの詩を題名とする詩集が上梓されて、露風の心象風景をうたう象徴詩が完成したとみなされます。「白き手の猟人」の初出は明治44(1911)年1月『三田文学』ですから、露風が21歳のときの作品と考えられます。

 レトリックを多用しながらも整った美しさを備えた露風詩のひとつの頂点とうかがえます。だた、リアリティや新しい言葉遣いに価値観を見出していた同時代の詩壇には、理解されなかった面があったようです。



2024年04月24日 19時24分

『都新聞』連載三部作の最終小説を顧みる企画展

 夢二の絵入り新聞小説「風のやうに」 ―ストーリーのある夢二式美人画―
    4月27日(土)~8月25日(日)     金沢湯涌夢二館  

  竹久夢二が『都新聞』に連載した絵と文を担当の連載小説は、大正12(1923)年に始まり、大正13年(1924)の「風のやうに」が三部作の最後となります。ヒロインの萱野澤子という舞台女優が、波乱に満ちた人生を振り返って語る場面から始まっています。

 女性がさまざまな分野に進出し始めた時代でした。夢二は、そんな時代の様相を捉えながら、女性の憂いを描きあげたのです。




☆彡 弥生美術館・竹久夢二美術館は、大正ロマン、レトロモダンなデザインやイラストの企画展となっています。夢二は親しみのある動物画もよく描きました。



2024年04月14日 12時25分

シニアにとっての新NISA

 ポットの中の地下茎から芽吹いたミントが、伸び盛りの表情をみせてきています。ベランダ菜園には、今年もハーブの季節がやってきました。
 では人間界はというと、自然の恩恵による菜園とはまた違って、やや複雑です。

 今日、日本株(日経平均)は、超長期的な上昇期に入っていて、いよいよ脱デフレ社会となるという観方が主流のようです。波動に上下はあっても大暴落とかナントカショックということは起きにくく、もしもの場合にも、歴史的に経験を積んでいるために、傷が深くならないうちに景気回復させる対処法が準備されているそうです。
 経済アナリストの方々が説いてくれています。

 デフレにしてもインフレにしても、「オオカミが来るぞ」とばかりにその恐ろしさを囃されて数十年を生きてきた者として。楽観的見通しは、俄かには信じがたいことです。

 ただ、経済に疎い個人が、マクロ経済にもの申すことができるとは限りません。
 年金受給額が生活費に満たない者が、新NISAを味方につけて『後半生の家計不安』を軽くできるだろうかということに、関心を向けてみましょう。

 成長投資枠と積み立て投資枠が併用できる新NISAによる『資産形成』について、議論は盛んです。たいていは、若い世代に向けた啓蒙であるようです。 未来の推定値や、投資法や資産形成法についても明るい指針を提示してくださる専門家の方々のお仕事振りは尊く受け止めたいものです。

 なるほど、10年か20年のうちに国が滅びるとか金融市場が消えてなくなるとか、それは滅多にないことでしょう。 ただ、日経平均やGDP、インフレ率、そして増税がどのくらいになっているかについては、どうでしょう。どうしても長年の経験知というか、感性がありまして、そういう経済状況は、不確実性が高いことのように思えるばかりです。

 ですから、自分は、配当を安定して受け取れるような優良銘柄のいくつかをNISAで保有し続けます。その配当金で生活費を補ったり、そのうちのわずかばかりを積み立て投資(物価上昇に負けない運用)にまわして、医療費ほか先々の備えに、できたらいいなと考えます。
 自分の資産管理もおぼつかなくなる老後が来るリスクはあります。そうなれば、積み立て投資枠のほうから取り崩して介護費等にあてようかという心積もりです。

 一般人はほったらかしでいいから積み立て投資から入門し、投資信託に親しみ、グロース株投資を会得し、複利で殖やし、配当の再投資で『資産形成』を強化するという、昨今の概念は、シミュレーションとしては参考になります。株式投資は未来の可能性を与えてくれることもあるのでしょう。

 それはそれとして。
 先のことはわからないけれども、『後半生の家計不安』に煩わされずに日々を過ごすことが、今の自分の願いです。新NISAは、従来のNISAの延長として使ってみることにはしています。好みのハーブティーを毎日飲むために、どのくらいの金融資産があれば大丈夫というような計算はしていませんが…。



2024年04月03日 20時07分
露風の詩作の深まりを説く新たな章
     三木露風研究 ⇒ 三木露風論考

 三木露風論考に、「(7)詩人の職分」が加えられました。露風の詩作の深まりが説かれている章です。
 ここで紹介されている「沼のほとり」は、池や沼が登場する詩のなかでも、冬景色をうたっていることで注目されます。「あけぼのは雪の上にきたる」「そのとき君は沼のほとりにあり。」「憂愁のスフィンクス」「荒きすすり泣きの声」というような詩句から晩冬の季節感が伝わって来ます。
 「内部観照的な傾向の萌芽がみられる」と論考は評しています。



2024年03月10日 20時42分

三木露風の「去り行く五月の詩」

 代表詩集といいましょうか、記念碑としての詩集といいましょうか。明治42(1909)年に露風は満20歳で『廃園』を上梓しています。
  そこに収められた「去り行く五月の詩」を、三木露風論考の新たな章「(6)詩集『廃園』の抒情」では紹介しています。

 個人的な感想をいうなら、日本の繊細な四季の季節感と西洋的な推移する人生における喪失感がコラボする詠嘆的な近代抒情詩の粋を、「去り行く五月の詩」にみることができます。初めて触れる人でも、デジャブが悩ましいほどの懐かしい詩的世界ではないでしょうか。それは、とりもなおさず、彼自身が築きあげた露風の園ともいえそうです。

   三木露風研究
 ⇒ 三木露風論考



2024年02月25日 11時04分

雑感-未来を良い方向へ変えていく・・・?

 “口語自由詩”にまだ10代だった三木露風らの若い文学青年が熱意を持った年(明治41[1908])の二年前、明治39年には日本エスペラント協会という名称の団体が初めて設けられています。国際化の途上にあった時代だったようです。

  元来、音声言語から乖離した文語が発展していたところ、明治期には、“言文一致”運動が起こります。先駆的な知識人や作家は、意思の共有を重要視し、誰にでも直に伝わりやすい言語表現を希求するようになります。様々な意味において、そのような同時代的な文芸表現が、日本の未来を良い方向へ導くという意識によるものだったと思われます。

 そして今日では、“リアル”に自らのパフォーマンスを発信することが、特にインターネットネット上の動画やSNSなどで盛んです。知識人とか文学者とかに限らず、ほぼ誰でもが自分の体験や方法論を、ほぼ世界中に発信できるようになって来ています。

 現行のネットを中心にした万人の発信が成ったのは、明治期の文学者による“言文一致”や “口語自由詩”や“自然主義”の文学運動を礎にしている、などと言い出すのは唐突なことになります。(“万葉集”令和版というのもどうかと。) 大抵は、現代におけるインターネット等の開発と、それを普及させたビジネスの力がいわれています。

 そもそも産業、実業、学術を問わず、どういう分野でも、自分の仕事は明日を良くするという前向きな姿勢を持つ人員によって支えられているとみることができます。どの分野のどういう事業が、今日の何を築いたかの検証は、簡単ではない課題です。

 詩人三木露風にもどって考えるなら、現代の起業家に負けないくらいパワフルな活動力があったようにもうかがえます。深く広い文学素養を習得し、“口語自由詩”に留まることなく、自らの象徴詩を追求し、国民的抒情歌「赤とんぼ」を作詩し、多くの著書を世に問い、詩誌の発刊にも努めました。
 そして39歳でサイドFIRE、隠棲してからも、詩人としての在り様を模索しつづけました。詩人として燃え尽きた、のでしょうか。

 なにが成功であり、なにが社会貢献なのか、彼の人生はなんだったのか、明かにするのは難題ですね・・・。そんなことを思う、今日このごろです。

 三木露風研究 ⇒ 
三木露風論考



2024年01月22日 18時43分
100年前の新聞小説の企画展
 夢二の新聞小説「秘薬紫雪」  
   1月20日(土)~4月21日(日)     金沢湯涌夢二館  

 詩人画家といわれる竹久夢二には、文と絵を担当した新聞小説があります。そのうちの「秘薬紫雪」は、大正13年(1924)に『都新聞』に掲載された恋愛小説でした。(「紫雪」は、石川県に伝わる家庭薬のことです。)

 城下町の自然を背景に、病死した恋人、彦乃を思わせる雪野がヒロインとして描かれているとみられています。夢二の追憶が作品化された幻想性も帯びた絵入り小説です。




2024年01月21日 19時42分

「三木露風文学館」が、「三木露風研究」に進化しました

 福嶋朝治氏主宰で長くつづけられていた「三木露風文学館」が、「三木露風研究」として改まりました。
 同時に、「三木露風エッセイ」も、「三木露風論考」と改題して、この「三木露風研究」に掲載されることになるそうです。
 
  これまでに発表された次のような章に続けて、今回は、「(5)口語自由詩の試み」が加筆されています。
(1)投稿時代 (2)露風の初期短歌 (3)二十歳までの抒情詩 (4)自然主義詩

  三木露風研究 ⇒ 
三木露風論考



2023年12月25日 11時11分

いつもの歳の瀬です

 美術館の来年の展覧会のお知らせを、トップページ(ホーム)に更新しました。  

 どうか、良い年が来ますように。



2023年10月17日 20時31分

自然主義の思潮がおしよせる

 ⇒ 三木露風エッセイ「自然主義の時代」

 幼少の頃より文学素養を育み、10代から俳句や短歌などの文学活動に専心していた露風ですが、当時の新しい文芸思潮にもかかわりを持ちます。明治42年に詩集『廃園』を上梓するまでの露風のことが、今回のエッセイでは紹介されています。

 日本の近代・現代文学において、自然主義思潮は大きな意義を持ちます。ありのままなことを尊重し虚飾や美化を嫌う文芸思潮です。参考-コトバンク

 自然主義思潮が、日本特有の私小説につながっているといわれいます。詩にもこの思潮がおしよせていないわけはありません。口語詩の台頭は、この思潮と関連があるとみられます。

 しかしながら、極言すると、詩は韻文としての美辞麗句です。本来、詩は、美化を嫌う自然主義とは矛盾するところがあります。自然主義を標榜せずに、自然主義の傾向を持つ詩人が輩出されることになったと言えるかも知れません。

 有体な生活のうちでの思いを短歌にした石川啄木、古謡の採取にこだわりながら口承文芸のような詩を書いた竹久夢二などが浮かびます。
 三木露風の文学においては、自然主義はどのようなものだったのでしょうか。今後も、このエッセイのうちにうかがわせていただきましょう。



2023年10月03日 19時59分

オレンジジュース高っ

 物価高のために、実質賃金がマイナスになることはくり返し報じられています。食品と日用品がみるみる値上げされていくのを実感する今日このごろです。 もともとむやみな消費はしてないのですから、もうやり繰りのしようがありません。
 いわゆるエンゲル係数が上がって、趣味とか学びなどの資金が消えていくことになるのでしょうか。インフレに対して勝ち目がないのですから、就業意欲も低下することでしょう。
  これで増税とか考えるのは、どのような生活をしている方々なのでしょう?

 レーズンもオニオンパウダーも、小麦を原料とするシリアルも軒並みに高くなりました。小売店の販売努力はあって、セールの日には、元の価格水準にもどるようなこともありますが、容赦なく下値が切りあがって行きます。生鮮食品から加工食品、生活雑貨まで、消費者物価指数、3%とか2%なんてものではなくて何割も、値上げされていくのです。

  何事も疎くて、円安のために、輸入している原材料費があがったからかなあ、くらいにしか理解できないでいました。すると、ニュース記事で、「国際商品指数」というものがあると知りました。何らかの理由で品薄になって価格高騰することもあるわけです。

 国際商品指数、1年ぶり高値 オレンジジュース37%高

 実際、先日、果汁のうちでは健康効果が期待できるオレンジジュースの価格をみて、眼を疑ったところでした。前回の購入からみると、3割強くらい高くなっています。しかも、2,3年前には、この半値で買った記憶があります。みかんの季節にはなっていますが、ひと袋を購入するよりは、それでもオレンジジュースの方がお手頃なので、買いました。

  そして、この長い、長い猛暑の夏を生き延びながら、思ったことがあります。
 (農作物の生育・収穫高が気候に影響されることは当たり前のことなのですが、近年の地球温暖化とか気候変動については、人工的な大都市や大規模農園の在り方が大きく関わっていると言われています。)

 (野菜作るのは個人の都合にしても)
 街中に畑があるだけで、密集を防ぎ防災にもなる社会的な効果があります。
 都内で畑やってない人は、夏場だけでも冷房使わないように、林間に避暑を兼ねて疎開してリモートしながら、休耕地に菜園や果樹園を作ることにしてはどうだろうか?
 地球の気候変動を抑えて、食料を国産するたすけになると思うのですが。物価にもいい影響ないかしら?
 それを現実化する方策は別にして、そんなことが脳裡から離れない昨今です。




2023年09月27日 15時54分

「母となりても。」を気にしてみる

 先日、紹介した三木露風「ふるさとの」に話題をもどしましょう。
「小野の木立に、」「うるむ月夜や。」「あつき心に、」「涙ながしき。」等々の美しい詩句が泣かせます。ふるさとの自然と人事は極上に謳われています。
 それが、最後の「母となりても。」の一言には、ひっかかってしまいます。

 この皮相な表現を支えているのは何だろう、と悩みました。けれども、「女は弱し、されど母は強し」という、今日でも慣用句になっているほどに浸透している概念のほか、思い浮かぶものがありません。
 黒岩涙香が、ヴィクトル・ユーゴ―の小説「レ・ミゼラブル」の翻案である「噫無情」を『萬朝報』に連載したのが明治35年です。これ以降にユーゴ―の言葉「女は弱し、されど母は強し」が日本に広まったと考えられます。年代的に、「ふるさとの」成立の少し前になり、露風の脳裡にあった概念とみて矛盾はありません。

 露風は、自分の10代が終盤をむかえた頃、祭りが終ろうとするときの笛の音の寂しさに涙した少女子を追想して、10年経ったけれど、あなたは今でも泣きますか、母になると気丈になると言われますけど、と詠ったのでしょうか。

 ユーゴーの「母は強し」は、出産を経た女性の逞しさを称えているだけではなく、逆境にも忍耐強くて子のために自己犠牲に果てるということまでを表現しているとみられます。
  一般には、母性的な自己犠牲にも価値を認めて「母は強し」ということがあるようです。ただ、日本の詩歌の系譜では、「泣く」という自己の心情発露を尊ぶ傾向となります。

  露風の「ふるさとの」は、構成からみても、純粋な感受性を愛しんでいて、その対極に母になる定めの女性がいるとうかがえます。若さゆえの冷酷な眼差しを女性に向けているのか、ただただ観念的に詩の世界を構築しているのか、正直なところ、神童と老練の紙一重を見るような思いです。この純な痛烈さこそ、詩人の身上でしょう。

  大正7,8年には、母性保護論争が起こります。うがった見方になりますが、露風の「母となりても。」は、この論争の前哨が詩にあらわれたようにも感じます。(今日の少子化、子供の貧困、子供手当などの問題にも繋がりそうな観点とも思いますが。)
 三木露風エッセイを執筆中の福嶋朝治氏は、そこまでは考えていない、というようなことです。




2023年09月26日 22時25分

再発見がありそうな展覧会

 アンティーク着物の魅力再発見! 「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展
                              弥生美術館

 明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~                  竹久夢二美術館
                 9月 30日(土)~ 12月24日(日)  


 これはいい企画と思って紹介いたします。ですが、少しばかり後ろめたい気持ちに悩みます。近頃では、すっかり展覧会めぐりもしなくなっているからです。

 普段着にしておしゃれ着の“銘仙”。その魅力の秘密とは・・・。
 そして、“レコード”は、身近なところで手軽に音楽を楽しむことができるメディアの原点です。その音の世界とデザイン・・・。

 でかけてみたいなあ、という気持ちと、むしろ、新しい世代の方々に、明治・大正・昭和を再発見してもらえたら、という思いが交錯します。



2023年09月11日 21時46分

“少年のような感性”を伝えてくれる企画展

 夢二の絵本・児童書
    9月16日(土)~12月24日(日)     金沢湯涌夢二館


 大正期の“童心”を発露する童話や童謡、童画に先駆けて、明治末の絵本や子供絵を竹久夢二は手掛けています。そして、生涯において、子供に目を向けた多岐に渡る仕事をしています。古謡の採取では、子守歌、遊び唄への注目があります。画幅の形式でも、遊ぶ子供を描いています。

 子供の世界、少年の感性を忘れていないそれらの作品にふれると、気持ちがなごんできます。夢二の仕事は、ひとつには子供や女性に向けたヒューマニズムだったのではないか、そんなふうに思われてきます。



2023年08月28日 13時54分

謎の、「ふるさとの」解読

  ⇒三木露風エッセイ

 「ふるさとの」は、昭和3年、藤原義江の歌唱(斉藤佳三作曲)でレコードとして発売されています。「赤とんぼ」に次いで広く親しまれた露風の抒情詩です。

 詩は、笛の音に心を熱くして涙する少女に、好意を寄せながら、あなたは時間経過があってもそのように泣くような気持ちを保っていますか、と問いかける内容です。
 そして、まだ若者の恋愛は滅多に許されなかった明治期の17,8歳ころの露風の体験が元になっていると言う説が流布しています。

 「十年経ぬ」は、あれから10年経った、という意味になります。露風18歳のときの作であるために、いかに早熟だった彼にしても8歳のころのことを言っているのは不自然だと思われます。しかしながら、17歳で出会った女性に、18歳で、10年経ったね、というのは、さらに不可解になります。
 諸説ありますが、これが、謎です。

 露風詩には、時限レトリックとでもいうものが特徴としてあります。「それいつのこと?」と疑問を持つとわけわからなくなり、眼くらまされるのです。「赤とんぼ」も、「負われて見たのは、/ いつの日か。」を限定しようとするとかなり複雑な考察が必要となります。

 さて。「ふるさとの」で、「少女子」が「涙ながし」たのは、作者が何歳のことなのでしょうか?



2023年08月19日 18時37分

そう言えば、多様性の時代とか・・・

 そういえば、自分の竹久夢二論はいたらないままに、考察はお休みになっています。 夢二は、絵とか散文とか詩に限らずマルチな仕事を成した人で、理解されにくい作家であり続けています。しかも、その表現は、抒情豊かなだけではなく、社会性や同時代性も発揮しています。パロデ゙ィとウイットに富んでいるかとみると独自に先駆けています。

 現在、夢二のことをしてくれている方やこれからの方々に向けて、なんらかの感想でもいいから、述べることをつづけた方がいいのでしょうか。ちょっと腰の重いことであり、できたら、そのうちには、という心境です。

 当会そのものが、“生涯学習によってよりよく生きる”というような大雑把なモットーがあるだけで、限定された活動をしているわけではありません。ただ、HPには、大正期の成立である三木露風の「赤とんぼ」と共に夢二の「宵待草」を掲げていまして、詩歌系を気にしているとは言えます。

 夢二の「宵待草」は、近代抒情歌であると同時に民謡の系譜を引いて現代的な口ずさみやすさを追及した短詩です。
 露風の「赤とんぼ」は、近代童謡の時流のうちに生み出されましたが、古謡の系譜を引いた抒情歌です。
 国民文学としての日本の抒情歌、かなあ、という思いでいるだけになっています。今は、多様性を容認する時代とかで、「どっちなんだ」「なんなんだ」と迫る人もいなくなっていますから・・・・。




2023年08月13日 20時12分

カルチュアを感じさせる展覧会

 いとしのレトロ玩具―もう逢えないと思ってた、がここにある―
                          弥生美術館
 夢二が見つめた1920年代 -震災からモダンガールの表現まで-
                          竹久夢二美術館
                      ~9/24(日)まで


 地下鉄、根津駅をでて坂を上がり美術館に着くと、期待を裏切らない展覧会でした。

 昭和期を中心とした子供の玩具―戦時下・占領下の製品、お店屋さんごっこ、ドールハウス、ミニチュア等の懐かしい数々がぎっしりと並んだなかで、ギャラリートークを聴きました。コレクター佐藤元春氏がゲストで、ブリキ製の玩具のネジを巻いて動かしてくれました。(8/12終了) 子供時代の夢と願望のつづきをみる思いがする人は多いのではないでしょうか。

 夢二館では、大震災で「死んだ街」を感じながら、必死の思いでスケッチしてまわって成した仕事が紹介されています。過酷な状況となってしまった首都東京復興への愛が伝わって来ます。(ギャラリートークは、8/19予定)




2023年07月15日 20時21分

廿歳までの抒情詩」

 ⇒三木露風エッセイ

 若き三木露風において、独自な作風が打ち出されたとみることができるのは、詩集『廃園』に「廿歳までの抒情詩」として収録された作品群です。

 今回のエッセイでは、福嶋氏は、「雨ふる日」「古径」などを「感情移入」という観点から論じています。 ああこういう明治期の感性があったのだなあ、という思いになります。

  「 「ふるさとの」「水」「晴れ間」など、今日でも愛読されている明治40年の制作になる短詩」については、「青春時代の純粋無垢」と福嶋氏は紹介しています。
 比較的平易な言葉で表現されていて、露風の青春のひとときのようです。



2023年06月21日 15時59分

100年、時代はどれだけ動いたのでしょう?

夢二の新聞連載ルポ「東京災難画信」 -100年前の自画自作小説と画信―
    6月24日(土)~9月10日(日)     金沢湯涌夢二館


 疫病のパンデミックや大地震について、現代人はいつも不安を抱えています。もしもの時には、どのように歴史的にして今日的な文化を、人として失わなくてはならなくなるのでしょうか?

 100年前の大正12年9月1日の関東大震災では、東京を中心にした近代都市が瓦礫となったと言われています。火災も広がり被害は甚大なものでした。
  まだテレビもネットも動画もなく、漫画の分野も成熟してなかった頃でした。竹久夢二は、絵と文を担当する小説の連載を持っていた『都新聞』に、「東京災難画信」を書いています。単に地震の体験を伝える作品ではなく、凄惨な都心などの現場を歩き回って取材して書かれた記事です。

 展覧会では、夢二のスケッチと原稿、掲載新聞などの資料が紹介されるそうです。
 近代社会のなかで被災した当時の人々の姿と、それをとらえた夢二の眼は、私たちの今につながっているように思われます。



2023年06月07日 21時53分

夏野菜が育つ

 夏野菜が伸びていく季節です。
 毎年のことですが。キュウリやトマトの苗は脇芽を取るのが遅れて、わけがわからないほどの姿に急成長します。
 甘長トウガラシは収穫が始まり、ナガナスは一番花が付きました。
 ハーブは、梅雨の前に摘み取り、ドライにします。

 旬のものをいただくことが、健康・長寿の秘訣だと言われます。なるほどと納得する以前に、季節の野菜に触れる歓びそのものを味わいます。

 趣味はたくさんある方が、充実した人生になるとも言われます。野菜はすごい。栽培、乾燥野菜作り、調理、それらの記録など、複数の趣味になります。

 野菜を、俳句や短歌に詠む趣味もあるかも。と頭の片隅で感じながら。
 ハードル高いことは。まあ、いいか、と。



2023年05月03日 19時30分

「露風の初期短歌」の紹介です

 新進歌人だった頃の露風を顧みましょう。

 ⇒三木露風エッセイ

 長い歴史を持つ和歌を、もっと自由な表現ができるようにしようとしたのが近代短歌です。西欧流の小説や詩が文壇の主流となっていく近代以降も、短歌を愛好する人は多く、詩人・作家もよく短歌を作っています。  

 象徴詩と童謡で知られた三木露風は、詩と短歌を収めた『夏姫』を、満16歳という若さで上梓しています。歌人としての露風は、ほぼ顧みられる機会がないままになっていますが、今回の記事は、あらためて初期短歌について注目しています。
 歌壇に留まらなかった詩人露風の原点と姿勢について、考えさせられます。



2023年04月08日 22時34分

4月にセージを食べると老いることがない」

 ハーブティーの季節です。お茶にするためのハーブは、ベランダで育てています。
  抗酸化作用が強く、老化を防ぐことが言い伝えになっているセージも、ポット植えで手軽に育てることができます。野草であるハーブは肥料もいらず、虫もつきにくく農薬も必要ないため、合成化合物の悪影響も心配ありません。

 抗酸化物質であるポリフェノールやカロテノイドを多く含む食品(野菜や果物がまずは上げられる)は、生活習慣病や認知障害、老化を予防することで注目されています。ハーブは、そのような意味で最強の薬草です。けれども多量に食べるものではありません。

 現代人の食用となる農作物のほとんどには、肥料の影響があり、病虫害対策として農薬が使われています。化学肥料や農薬を多用した作物や諸々の化学物質が人体に及ぼす健康被害は、根の深い問題となっています。健康効果のある野菜も、実は逆効果が懸念されるわけです。
 そのために、自家栽培で安心できる野菜を作ることが人気となっています。

 すべてを自給自足で安全な食をというのは、無理な話です。 ただ、自分が消費する野菜の何割かでも自家栽培にすると、それだけでも体内における有害物質の蓄積を減らすことが可能になります。有機栽培の野菜を意識して摂ることで、解毒作用も健全になるはずです。

 このような健康志向の発想と、ただ、野菜とハーブが好き、ということから、自分の年間消費量の何割かを自家栽培できないだろうか、と考えてきました。
 育てやすいハーブと並んで、農薬の影響を受けやすいとされる葉菜を自然栽培すること、さらに夏野菜ほかの果菜を有機栽培することにいそしんでいます。これらは、必要量の7~10割を栽培できているでしょうか。
 ただし、年間消費量の多い玉菜、根菜は割合がかなり低くなり、穀物、果物は対象外です。

  ⇒ 好きな野菜とハーブ

 なんとかできてきたかな、と思えてきたこのごろです。
 ベランダに栽培用のポット10鉢前後、庭かシェア畑は二坪余りあれば、相応の収穫が期待できます。天候や、素人栽培の在り方に左右されることはありますが。

1. 病虫害に強い野菜を選ぶ。
2. 強い野菜でも一種類の栽培では、特有の病虫害が広がることに要注意。
3. 適した複数の種類を、混植や寄せ植えにして、自然栽培にする。

 留意することは、以上の三点です。
 健康のための自然栽培は、やろうとすれば誰でもできます。それによって、“健康長寿社会”を実現できるかどうかは、知りませんけど、、、。
 今年は、ベランダで、初めて九条ネギの種をポット播きしました。苗から育てることだけではなく、種から育てることへの挑戦も楽しんでいます。



2023年04月07日 13時01分

収穫できる喜び

 ベランダは、日照がいまひとつで、さらに過酷な天候の影響を受けやすく、ハーブや野菜の鉢植え栽培はそう期待できるものではありません。
 それでも、いまころは多年生のハーブ、ローズマリーやセージが蘇ったように繁ってきます。昨年の晩夏蒔きで生き延びたイタリアンパセリやシュンギクも、目にも爽やかに可愛らしい葉を伸ばしてきます。

 シュンギクの種袋には、「秋まきなら30~50日で収穫できます」と書かれています。素人がそういう目安どおりに栽培できるとは限らないのですが、季節ごとに旬を堪能できる喜びはなんとか得ることができます。

 さて、話は変わります。
 新しいNISAという、来年からの非課税投資枠拡充の話題が盛んになってきています。
 そんなに余裕資金がない場合でも、最初の年に、一年分の非課税枠360万で、優良銘柄か投資信託を早速購入するのがいい、年月を味方にして20~30年間運用すれば、これこれ、くらいに資産形成できることは統計的にも言える、というような説を多く耳にします。波乱のあった従来NISAの総括がまだ、で。長期的にみて来年が買い場なのかどうかも、わからないのに、、、。
  考えたこともないような机上計算の結果の数字とか、プロによる「誰でも億れる」というフレーズとか、経済分野とは畑違いの者の脳にはなんと刺激的なことでしょう。

  人生100年のどこかで入院するときに、「金融資産はないけど年金で必要経費は賄える」という時代ではなくなったのです。生活費に満たない年金で、延々とやり繰り算段のシニア生活を送り、安心して入院できるはずのお金、自分が長く働いて作ったお金は、運用狙いは外れてないか、相場は山なのか谷なのか、インフレ率はどうなのか、その時に有価証券を換金してみないとわからない、という御時世になっているのです。

 年金制度には不公平感を漏らす声も多々あり、それでは老後生活は資産形成という競争原理を取り入れて保障することにしよう、ということなのでしょうか。資産形成を人生の目的にできる人以外には、ややこしくて煩わしくて不安感が増すばかり。 難しい相場で利益出せたケースだけが優遇される仕組み。そこに、追いこまれるということです。

  疲れた頭にわいてくる空想は・・・・。
 一人あたり、年に、野菜の苗を5ポットか、種を5袋のうちから選んで給付してもらえる制度の方がいいなあ、と。
 園芸店に並ぶ葉ネギやリーフレタスの苗は、育てるつもりがなくても、持ち帰って即収穫して食することができます。苗を2株に種を3袋にしようか、種を5袋は多いけれども、やっぱりその方がいいだろうか、と組み合わせを考えただけで幸福感に浸されます。
  そうなれば、実際に有機栽培の家庭菜園が充実することになります。

  なにを望むか、まあ、ひとそれぞれで、その時の状況にもよることでしょう。




2023年03月10日 18時53分

夢二最初の新聞小説「岬」

 夢二の新聞小説「岬」 -100年前の自画自作小説と画信―  
   3月18日(土)~6月18日(日)     金沢湯涌夢二館


  日々、新聞小説を楽しみに読む、そんな文化が盛んになった頃に、竹久夢二は絵と文と両方を担当して連載していたことがありました。テレビのメロドラマもトレンディドラマも、誕生する以前のことで、話題性は高かったと考えられます。

  今回の企画展では、夢二の絵と文による作品や挿絵原画が出展されるとのことです。また、「岬」や「海岸」「港」などを、モチーフとして好んでいたことも紹介されます。
  これらの作品に触れることで、“旅人”だった夢二の人生を垣間見ることができるかもしれません




2023年03月01日 15時42分

個人的に。「長寿社会」について

 いわゆる「少子高齢化」を嘆くような話題が多くなっています。 出生数は、予測されていたよりもはるかに前倒しに減少し、年間80万名を切ったそうです。長寿を保つ高齢者が増えることに対して、若い労働人口が減少し、社会に活力がなくなり、やがては国が滅びると心配する声もしばしば聞きます。

 2022年の出生数

 その反面、元気なシニアが増えて、見た目年齢は、かつてより10歳も20歳も若々しい、というような現象があるように見受けられます。 数十年前までは、30歳台後半から40歳台にかけては初老と考えられていました。その世代の方々は、今では、20歳台の若者とあまり変わらない風貌と装いと言えます。  

 各人が、年齢を重ねても活力を保ち、生涯を通して生産や社会参加に努めるようにすれば、高齢化する社会もさほどの問題ではないように思われます。自立してビンビンコロリを目指すことを旨として、必要なケースには、支援や介護と医療を惜しまない社会であったらいいなぁ、と願うほかありません。

 ところが、解決の難しい社会問題として、「少子高齢化」はとらえられがちです。打開策が求められる風潮が強くなればなるほど、過敏に応じる人々がでてくることがあります。 高齢者を「老害」と呼び、過激な言葉を用いた暴論が炎上することがあります。
 「集団〇〇」のような古色蒼然とした物々しい言葉を聞いたときには、そんな「ムラ社会」がまだ現存していて、そこに依存して生きている人がいる証なのかと改めて思いました。あるいは、自らが初老の域となると、「姥捨て山」の発想に帰着してしまうような貧困があるということでしょうか??  

 個人の立場で、自分を顧みるなら、働き盛りの頃には人生のスパンということも何もわからずに仕事に忙殺されていました。もう一度やれと言われるとできないのだけれども、ただ、年齢ごとにハードルを越えてきました。

 昨今のFIREの概念を知ったときには、すでに老境だったと言えば、多くのシニアが共感してくれるかもしれません。稀な例であるFIREやセミリタイアにしても、年齢的には定年ではないけれども、人生のシニアになるということでは似通っているように思います。

  普通のシニアとしての自分は、今から、帰郷することも山荘を持つことも叶わないけれども、東京で、シェア畑を利用して野菜の有機栽培を試みています。NISAが拡充されても、敏腕トレーダーのように資産を殖やすのは、、、出来たらいいねぇ、ですが。優良銘柄で配当もらえれば有難いかなという心境です。
 (稼いで高額納税することだけが有意とも限りません。)

 「長寿社会」に沿えない人のケースは、置かれた位置に問題があるのでは? 狭くて因習的な「ムラ社会」は、むしろ今日の問題とは限らないのではないでしょうか。

  自覚と発想の転換が、解決につながるかもしれないと言っておきましょうか。 当Dioの会は、生涯学習をとおしてよりよく生きることを目指し、情報発信などしている立場です。ささやかな社会参加でも、生きていることの意味は実にしみじみと見出せるものです。



2023年02月20日 11時12分

露風の詩作態度は、志高く、完璧主義だった?

 福嶋朝治氏による「三木露風エッセイ」は、まだ研究者にも充分には注目されていない詩論を元に綴られています。

 露風が、「一首一鳥」ということを掲げていたことは、ほぼ知られていないことですが、真摯な彼らしいポリシーに思われます。この言葉自体が、ほかに用例がみあたらず、露風の造語だったかもしれないのです。

 俳句でも短歌でも詩でも、鳥の羽のような断片的な表現ではなく、一羽の鳥のように作者の主観を完全にあらわしてなくてはならない、ということでしょうか。
 理想は、柿本人麻呂。なるほど、です。




2023年02月19日 20時34分

「一首一鳥論」とのことです

 三木露風の大正期の詩論について話題はすすんでいます。

 ⇒ 三木露風エッセイ 

 かつての文壇は、作家はそれぞれの文学観を誇り、文学論争が盛んとなって時流を形成していたものでした。 露風は、詩人らしく独自な四文字「一首一鳥」で理論武装していたとうかがえます。



2023年02月06日 23時05分

本日のツイートから

 たまたまのことですが、億トレーダーとして高名なテスタ氏のツイッターを拝見し、本日は、次のようにお書きになっていることに気づきました。

 (投資詐欺とかする人達のせいで)
なんか投資家は悪い人と思われたりすることがあったりするのだけど
でもほんとは何も全く悪くないのだから

一番稼いで一番使って経済回して

そして一番寄付したりして困ってる人を助けてる人達。

みたいになればいいなと思ってます🙂

 テスタさん Twitter

 テスタ氏は、兵庫県のご出身とか。三木露風と同郷ということになります。
 東京では、成立が極めて難しい詩歌系ミュージアム(詩人の記念館や開設計画は破綻した例が多々あります)の基金とかを創設していただけると有難いなあ、と妄想する日となりました、、、、。



2023年01月29日 23時09分

食事と健康と日々の楽しみ

  “栄養バランスのとれた食事と運動と睡眠、ストレスを溜めないこと”を大切にする生活を、諦めずにいようとしている日々です。
  そもそも自分は、食べることも運動も好きなので(エビデンスにはこだわり過ぎずに)、それらを楽しみたいというのが本音です。野菜栽培も自炊もヨガも、下手の横好きの趣味となっています。

  無論、専門家のご研究を参照させていただくことも楽しみのひとつです。
  現代におけるダイエットと健康維持には、なによりも食事の改善が必然と言われています。そのために、健康に資する食事法に特化した観点が盛んです。なかでも、津川友介氏の『究極の食事』は、これまでも動画などで紹介されているのを閲覧したことがあります。

  津川氏が支持している完全栄養パンについては、お手軽なパン食の復権に繋がりそうな気はしました。個人的に、主食としては玄米、蕎麦、ライ麦パン等を好んでいますが、健康志向の商品が増えて面白いなあ、という関心を持ったわけです。

  けれども、ダイエットや筋トレは、誰でもやればやるほど効果が得られる、という観点があることを承知しています。本人の自主性を重視する前提で、樂にしていては成果が少なくなるという考え方です。

 果たしてどうなのでしょうか。 お手軽食の完全栄養パンが、サブスクで継続利用が容易になることで、どれだけ普及するものなのか、高い効果を示すものなのか、興味深いことになります。

  
特別対談「栄養と食事について」



2023年01月16日 11時20分

和食礼賛-お粥と梅干し

 食に関心が深くて恐縮です。
 先日も、梅干しは、食べると体を弱アルカリ性に傾けて、感染症に対する免疫力を発揮するという話を聞いたところです。健康志向の常備菜としての梅干し文化は、ますます健在なのかと思い込んでいました。

 「紀州産 南高梅」というのが気に入っているのですが、据え置き価格のままスーパーで入手できます。塩分は控えめであるという表示もされています。

 すると、意外な記事に遭遇しました。最近は、梅干しの消費がすっかり落ち込んでいるのだそうです。その理由としては、白米を食べることが減ってしまったということが考えられるそうです。

 梅干し離れ 食べなくなった人たち

 なるほど。食生活は多様な変化をしています。白いご飯に塩の効いた和風おかずでは、健康によくないという見解が普及したこともありました。
 ですが、今日では米飯の在り方もすすんできています。自分は、非常食として、あるいは体調を崩した時の備えに、消化が良いレトルト食品のお粥を買い置きしています。日常的にも時々食べてます。一食のカロリーとしては低い方ですし、特に添加物も入ってないようなので安心感があります。

 「白がゆ」や卵、鮭入りのものだけではなく、嬉しいことに、「玄米がゆ」「小豆がゆ」というのもでています。そこに、梅干しです!
 これを食べないというのは、惜しいとしかいいようがありません。

  実際、今日では、肉食系の食事よりは、和食の方が生活習慣病にかかるリスクが低いということが定説になっています。自分は、薄味の和食に、発酵食品、地中海食といわれるオリーブオイルや魚介、豆類、野菜と果物を充分にとり入れた食事を心がけています。体調の改善が実感できています。個人の感想ですけど。

  なにが健康食で、人工的な化学物質に侵されていないか、というのは難しい課題ということもあるでしょう。けれども、お粥と梅干しは、世界を制するくらいの文化ではないかという気がしています。



2023年01月09日 11時30分

「露風の投稿時代」アップいたしました

 祝日(成人の日)とは特に関係ないのですが。成年に達していない10代の頃の露風の素養を振り返る記事を公開することになりました。

 ⇒ 三木露風エッセイ 

 露風は、ローティーンのころから、俳句の選評に熱心で、書庫の古書を読みふけっていたそうです。小学校へ登校するまえに「祖父から四書五経の素読を課されていた」というのは、投稿雑誌が盛んになった明治後期、家庭では伝統的な英才教育を受けていたということでしょう。

 露風は多くの詩論や批評文を書いた詩人でした。若い頃より、教養深い立場からの文芸批評において、まずは一目おかれていたという姿が見えてきます。西条八十が露風に近づいたのも、そんな批評家としての在り方に惹かれたからだったそうです。



2022年11月23日 21時14分

三木露風エッセイのページが新設されました

 当会のHPに、新たなページが設けられました。

 ⇒ 三木露風エッセイ 

 秋の気配が感じられる白露の候から、福嶋朝治氏は「露風の芭蕉観」について筆をとられていたようです。本日、勤労感謝の日とはなにも関連はありませんが、晩秋の祝日にご披露となりました。

 エッセイと言っても、たいそうな力作です。
 露風が芭蕉に心酔していたのは、そんなに知られていないことです。露風は、当時の文壇のエキゾチシズム好みな風潮には反して、芭蕉の俳諧の「ストイックな詩精神」を高く評価していたそうです。
  今後、詩人三木露風がどのように紹介されていくのか期待されます。



2022年11月18日 10時40分

主食は最たる文化

 開発費というものがかかって赤字が大きいそうです。ベースフードというパンやパスタの開発・販売会社が、グロース市場に上場したという話題をみつけました。
 思えば、主食こそ人類文化の最たるものです。

 パンは糖質・脂質過多な食品、という既成概念(事実)を払拭するという意味では、栄養素にこだわるベースブレッドが広まるのはいいことのように思います。 加工食品の原材料は、一般にはやたらと精製穀物に砂糖とショートニングが使われていて、あと調味料のような化学物質の添加物が数多くあり。こういう不健康な事態から脱することの意義は、ご専門の方々が様々に説かれている昨今のようです・・・・。

 自分は、美味しくて、健康によければ、それでいい派です。
 玄米フレークや蕎麦を常食していますが、Pascoの全粒粉マフィン、西友のライ麦ロール(堅パン)などは香ばしさが好くて、よく買い求めます。ベースブレッドは、それらとはまた傾向が違っていますし、コンビニで選ぶ楽しみは増えました。

  ただ、忙しいサラリーマンのための完全栄養パンということが強調されると、なるほどドッグフードみたいな感じがしないわけではありません。企業経営にも疎いですが、世界の主食をイノベーションするとかは、あるのでしょうか?

  ちなみに、個人的には、発芽米を黒豆ご飯に炊いて、鮭・しらす・わかめ等を混ぜ込んだお握りを冷凍保存しています。茸ご飯、牡蠣飯・・・などもお握りになります。あとは、動画を見て、豆腐オートミールベーグルを勉強中で、最強のトマト味は独自に企画しようとしています。
 これらは、自分で完食するので、開発費はゼロで、自炊代しかかかりません・・・。趣味のお稽古代も要りません。



2022年11月12日 19時16分

大正期の歌曲にまつわること

 夢二の楽譜―大正・昭和初期の作詞曲と表紙絵―
   11月12日(土)~翌3月12日(日)   金沢湯涌夢二館


 久しぶりに、夢二が作詞した曲の数々、CD「夢二の歌」を聴いて、いにしえの歌曲に浸っていたところでした。そこに夢二の楽譜の展覧会についてお知らせが届きました。

 近代童謡が興り、同時に日本の歌曲・歌謡が隆盛していく頃に、詞と楽譜の表紙絵で一時代を築いた、ということだけでも評価をいくら重ねても及びません。(以前には自分なりに竹久夢二について展覧会を企画し、本も書いたという記憶はあります。ですが、それがどうということではありません。)

 今日、「宵待草」の「今宵は月も 出ぬそうな」に胸をえぐられます。どんなに呆れかえっても足りないほどの暴挙が止むことを、待って暮らすのが人間界なのでしょうか。



2022年10月24日 21時24分

感染症の在り様が書かれる

 すっかり秋めいてきて、新型コロナの感染拡大も、第七波から、第八波の話題へと入って来ました。コロナ禍は、そろそろ三年に及ぶ年月になろうとしています。

  そのパンデミックの始まりと感染拡大の経緯を、“発熱外来”の医師としての壮絶な体験からまとめた作品が出ました。『機械仕掛けの太陽』(知念実希人著)は、小説にしてノンフィクションなのだそうです。

 一般人としては、マスクを着用し、繰り返しワクチン接種は受けるものの、もう忘れていたいような心境に陥っています。それと格闘し続けるのが医師なのか、それを真摯に書くのが作家なのか、読者の立場としては興味深いとは言えます。

  コロナ禍の終わりはもう目の前まで来ている




2022年09月12日 10時54分

蘆花忌が開催されるそうです

 今年の蘆花忌は、9月第3土曜日の17日とのことです。
 蘆花会のHPを開いてみましたら、「徳冨蘆花 キリスト教に基づく平和主義者」とありました。没後95年になるそうです。  ⇒ 蘆花会

  蘆花は、社会派とも自由主義者ともいえる近代作家で、非戦論の人でした。
  1906年には、パレスチナ巡礼とロシアのトルストイを訪ねるための旅行にでています。現在は博物館となっているトルストイの住居ヤースナヤ・ポリャーナで、家族ぐるみで歓待されたといわれます。

 彼は、トルストイの影響を受けて、1907年から現在の東京都世田谷区粕谷(蘆花恒春園)で半農生活をしました。「不如帰」「自然と人生」「みゝずのたはごと」などの小説・エッセイには、その人間性が色濃く滲んでいることをあらためて思います。



2022年09月03日 21時08分

白露の候となります

 三木露風は、「白露時代」といわれて、北原白秋と並び称されたことがありました。白秋が詩集『邪宗門』を、露風が詩集『廃園』を出した明治42年以降しばらくの間のことです。
(恐縮ですが近代詩史はさておきます)

 「白露」とは、明け方、草木に白く露がつくようになり秋の気配を感じるころのことです。二十四節気のうちで、9月初旬(7,8日頃)から秋分の日の前日までにあたります。

 この時節には、トンボが飛んできて、秋季農耕が始まることになります。自然との共生が意識されるとき、と言えるかもしれません。(私事になりますが、大根の種まき、玉菜の苗の植え付け等々を準備しております。)

 「赤とんぼ」の詩人露風を、思い出す季節です。
 後半生には三鷹で、ノートを書き綴る日々を送りましたが、昭和37年の日記には、次のように書いて、トンボの飛来を気にかけています。

 今日は九月の十四日であるが、毎年庭にくる赤とんぼは、九月に入って、今日迄、まだ來ない。が間もなく、九月中に來る。

 露風は、人間界に居て、自然との交感を詩にした人でした。帰農したわけでもなく、自然の中に埋没したのでもありません。自然破壊を単に嘆くのではなく、社会の繁栄と人と自然の共生を信じたかのように、首都郊外に留まって詩作にふけりました。王道の詩人であり、後の我々の先達のように、見えてくることがあります。



2022年08月17日 21時15分
三木露風が耳を傾けた昭和の音
 先日、かつて三鷹市で資料整理に携わっていた者として、神戸新聞(たつの支局長直江純氏)から取材を受けました。戦中の三木露風についての特集とのことでした。

  露風は、象徴詩で名を馳せたと共に大正期からキリスト教に帰依し、宗教的な詩や宗教論を数多く書きます。日本の精神と合致する宗教と考えて、キリスト教に深く関わったのです。昭和になってからも、カトリック系の雑誌に作品を発表し続けます。
 戦時下となりラジオから流れる戦況や空襲の爆撃音を浴びて、露風は愛国の憂いが濃い詩も書くに至ります。非常時には、キリスト教徒の擁護という人道主義的な使命感もあったことは理解に難くないことです。

 「詩人が見た戦争―三木露風・戦時下の日記(1)~(5)」
 (神戸新聞 8/12,13,15,16,17)


 戦後も、露風の詩作は日々つづきました。(『三鷹で暮らした「赤とんぼ」の詩人 三木露風の歩み』2007年 等々に知られていない後半生の詩を収録したことを個人的に思い出します。)

 反故紙の封筒断片に書かれた作品群のなかに「夕の音」があります。
  「貨物自動車」がたてる轟音が大気にこもって響くことで、夕を感じさせるという、昭和の高度成長期における日常を詩にしたものです。「立ち並ぶ、/木々は、/かすかに、/吐息す。」と終わります。世相を写すにも自然観照する露風らしい作風です。

  日記ノート(昭和37年10月1日の項)には、「工場の音がよく聞こえる。」と書きながら、自然のなかに分け入って散歩したことを「十月」という短詩にして記しています。「澄んだ小川の水の、/流れる、/ささやくような、/音を聞く。」とあります。

 ちなみに、露風の初期の詩としてよく知られる「晴れ間」(『廃園』「二十歳までの抒情詩」より)の第一節は、「八月の/山の昼/明るみに/雨そそぎ/遠雷の/音を聞く。」でした。第二節には雨と雷に呼応して「草は鳴る」ともあります。
 「遠雷」は、明治後期の日本の自然界の音、もしくは本人の若い血潮の鼓動だったのでしょうか。

  昭和期の晩年近い作にもどりますと、容赦ない人工の騒音に脅かされて、「かすかに、」ため息をつき、「ささやくような、」水音を立てているのは、自然であり、詩人本人でもあるようです。自然との交感をうたう詩は露風の生涯をとおしてうかがえます。



2022年07月31日 12時17分

「手仕事」ということ

 詩人であり画家であり意匠家だった竹久夢二は、大正13年の震災で頓挫した “どんたく図案社”の企画にうかがえるように、次第に工房制作を志向していきます。機械による大量生産に抗って、マルチに「手仕事」を展開したのでした。その足跡をたどってみれば、不思議な夢二ワールドをさまよう心地です。
 彼の工芸を回顧する特別展が開催されます。

 夢二の工芸―染色・刺繍、人形、竹工芸―  
  8月3日(水)~11月6日(日)  金沢湯涌夢二館 




2022年07月23日 21時16分

いまどきの「FIRE

 ここで、もしも、「予算措置やお金で、国を守れるだろうか」とか言ってみても、虚しく響くのではないかという気がしています。そもそも国防よりも、国民ひとりひとりの命と幸福の方が重いという考え方もあるようにも思います。

 たまたま記事を見つけました。
 元海上自衛官が30歳で4億円の資産を形成して、いまどきの「FIRE」をしたのだそうです。 この方は、家庭の事情から大学進学の道が閉ざされそうになったところを、給与も支給される防衛大学校へ進学し、自衛官になられたそうです。さらには厳しい勤務に耐えただけではなく、不動産業に進出して財を築き、自衛官は早期リタイアを果たされたのだそうです。

 ちなみに、「FIRE」というのは、「Financial Independence, Retire Early」のことで、「経済的自立」と「早期リタイア」を意味します。いまどきの価値観です。

 10代のころの逆境をはねのけて資産形成ができたなら、それで不動産が彼に合った事業であるなら、記事になっていることは喜ばしいことです。この方は、いまどきではなくても、地道に成功する優秀なタイプなのかもしれないとさえ思います。

 ただ、少し気になるのは、自衛官だけではなく、家庭の事情がある者は、どのような進路をとれば経済的に有利だ、ということが安易に言われることです。さらに、例えば、介護士や医療従事者が不足すれば、処遇を改善すればいい、などともよく言われます。

 広く進路が設けられること自体は、悪いことではありません。さらに、自衛官や介護士になれば一生の仕事にしなくてはならない、と考えることもないと思います。
 けれども、予算措置や処遇面をどうかすることで、該当事業の内実が向上するかどうか、というのは別問題としてあるのではないでしょうか。

 なにかと注目される自衛隊ですが、果たして、憲法明記だけではなく、予算措置をすれば、望ましい自衛官が育ち、国防が強化されるのでしょうか? もしかすると、内実についての対策があまりにも難しすぎので、憲法明記だ、予算措置だ、処遇改善だ、と空回りしているだけなのでしょうか?
 思いますに、わからないことだらけの昨今です。


  「貧乏沼」脱出法



2022年07月14日 13時21分
哀悼の意
 世界中から弔意が送られ、葬儀もすんだのに、まだ信じられないような気持ちでいます。8日白昼、奈良市で参議院選の応援遊説中だった安倍晋三元総理が、街頭演説の最中に、警備の隙を突いた凶弾に倒れました。

 手製の銃を発砲して命中させてしまったのは、41歳の男(無職、元海上自衛官)でした。母親が宗教団体へ多額の献金を繰り返して破綻し、進学の道も閉ざされ、父につづき病苦を負う兄も自ら命を絶つという境遇に陥った者と報じられています。宗教団体への怨恨が募り、安倍氏がその宗教団体の存在を支持していると強く思い込むことから殺意に至ったそうです。
 心より氏のご冥福を祈り、事件の全容がさらに明らかにされることを願います。

 ここで恐縮ですが、現実とは異なる小説のことを少し述べます。
 知る限りのいわゆる名作では、今回の事件ほどの悲惨な出来事を表現したものはなかったように思います。ただ、虚構としての文学には、不条理な逆境を生きる人間像を概念的、抽象的に描いている作品があります。

  戦前には「路傍の石」(山本有三)、「山月記」(中島敦)がありました。不遇な生い立ちで進学が叶わず、依怙地になりながらも負けん気強く生きる少年の姿が描かれているのが前作です。官僚となった自尊心の高い若者が、詩人として名声を得ようとして成らず逸脱し発狂する過程が、後者では語られています。

 そして、本年上半期の芥川賞受賞作「ブラックボックス」(砂川文次)では、今日を生きる若者が犯罪者になってしまう過程と内面の在り様が作品化されています。
 時代背景は様々にしても、あるいはどのように時代が進化しても、逃れることが困難な逆境に陥る人々がいます。そのような人物像を扱う文学には、先験的な傾向があるとみることはできるでしょう。

 新型コロナの感染再拡大も収まらないなか、不条理な人の世はどうなっていくのか不透明な状況のなかに事件は起きました。重苦しい気持ちを整理仕切れないまま、犯罪が多くなる社会にはなってもらいたくないという願いが沸いてきます。
 限られた場にとどまっているだけの自分自身ですが、国が、世界が、どうなっていくのか、現実に引き戻されつづける日々です。



2022年05月30日 20時29分
ほおっ。予約なしで美術館に行ける
 東京都の一日の新規感染者が千名台に減少しました。これで安心というわけではありませんけど。

 マスク着用については、熱中症のリスクのある季節ですので、屋外で会話なしであれば外してかまわないというのが専門家の見解です。マスク着用だけで感染を防げるとは限らず、換気、手洗いなどと併用することで効果があると言われています。

 そして、美術館に事前予約なしで入館できるという記載を見つけて、おもわず溜息がでました。 ミュージアムを訪れる自由度が増します。年月は経過してしまったけれど、以前にもどり、美術館の楽しみはどのようにつづいていくのでしょうか・・・。

 2022(令和4)年6月4日(土)~9月25日(日) 

  デビュー50周年記念 村上もとか展  ~「JIN―仁―」、「龍―RON―」、僕は時代と人を描いてきた。~     弥生美術館

夢二好みの君が行く! 夢二式美人のひみつ    竹久夢二美術館

(感染状況により開館時間などが変更になることもあるそうです、美術館のサイトをご参照ください)   



2022年05月22日 19時24分

記憶から落ちる、「山月記」

 国語教育において、「論理」と「文学」がわけられることについて話題となっていて、これまで定番であった中島敦「山月記」などの名作が高校教科書に採りにくくなるそうです。この記事に触れたとき、自分の記憶に「山月記」がなくて、これは健忘症(軽度認知障害)だと自覚しないではいられなくなりました。

 短編ですし、青空文庫ですぐに再読できます。
 自尊心の高い青年官吏であった主人公は詩人として名を成そうとして叶わず、悶々として世を拗ねることとなります。ついには発狂して獣となり人食い虎と恐れられる身となり、出世した昔の同僚に人間性を失っていく自らの半生を語り自作の漢詩を託すという内容です。

 『唐人説薈』の「人虎伝」を元にして創作された秀作です。ただ、読解したり教訓を読み取ったり、ということだけでは済まない面倒な性質があります。そもそも寓意性を許す物語文学の形態をとっています。

 ドロップアウトや引きこもりが問題となる、生きにくい現代社会を先取りして描いているという見方もできましょう。さらに作中には「妻子の衣食のために」再就職したことや「我が妻子のこと」を旧友であるかつての同僚に託すことがあります。自我や功名心よりも、恩愛を尊ぶ日本人の心情が根底に置かれているとも読めます。

 世界が戦争を怖れている現在、自分は、この作品が大戦中の昭和17年に発表されていることが気になります。自らの成功への執着を捨て切れなかった主人公の発狂は、軍事国の狂的で不可逆的な開戦と重なってみえます。ここでいう「妻子」は「人民」を思わせます。若くして亡くなった作家中島敦の勘の強い表現を察しないではいられなくもなるのです。

 ただ、「山月記」で作者自身が表現しようとした意図に焦点を合わすなら、自分のなかには答えはみつかりそうにありません。さらにどなたか専門家に教えを乞わなくてはなんとも言えません。

 「文学」と「論理」    
青空文庫「山月記」



2022年05月10日 13時02分

こんなことにはしたくない、という文学

 戦争を知らない世代、戦争をあらゆる物事の浪費・濫費・破壊として捉える側として言いましょう。いわゆる戦争小説のようなタイトルの作品でも、厭戦や反戦の立場がみえる場合にだけ、紐解く価値を見出します。砂川文次氏のリアルでシリアスな姿勢には興味が惹かれます。

 砂川文次作「小隊」が、文春文庫となって本日5月10日発売との記事を知りました。自衛官退役後も公務員として勤務しているという作者は自作の商品化には意欲的ではないかもしれませんが、一般人としては話題になってくれることで、知ることができます。

 「小隊」は、北海道釧路にロシア軍が侵攻してきて、わけがわからないままに応戦を迫られる自衛官の立場から戦闘が描かれています。地上戦で母国を守るという、日本にとっては稀な事象が、現代の若者である小隊長の体験として展開されるという内容です。

 「小隊」は2020年の芥川賞候補でした。芥川賞の受賞は、2022年上期「ブラックボックス」で果たしています。後者のほうが、現代の若者像が分析されて描かれているということは言えます。

 しかしながら「小隊」は、ロシア侵攻を扱い、領土問題を根深く持つ北海道を舞台にしていることで、時代をよく見通している作品と評価できます。今日を代弁するだけではない作者の世界観や姿勢がうかがえます。現実社会との関わりから、怖れや抵抗を感じ、なんらかの意思を抱く作家ではないかと、今後にも期待します。

   Wikipedia-砂川文次   

  元対車戦ヘリパイロットの作家、砂川文次さんインタビュー




2022年05月08日 20時06分

発想することの意義、反戦表現のミュージアム

 戦争への嫌悪感やら恐怖心から防衛を考えてしまいます。ですが、防衛予算で、反戦・反侵略・反テロの思想と表現の博物館を設置したらいいとか、言いたいのではありません。

 ただ、例えば軍事パレードにしても、好きな人たちだけでやってくれないか、ですむようなものとは思われないのです。「びっくり箱」と揶揄される戦車は爆破されやすいだけの代物らしく、ああいうものを揃えることで、国が栄えますか? そもそもミサイルなどの破壊兵器も同じくです。巨額の国家予算でそんな危険なものを見せびらかすと、子供が勇敢に育つとでも??
 平和利用もできるドローンや情報機器ならまだしもでしょうか?
 客観的にみて、わからないことだらけなものですから。

 自分の分野からの発想になってしまうということで恐縮です。
 個人的に反戦・反侵略の表現を鑑賞し、そのデータを収集するだけでも物事の道理を探る有意義な博物館活動となります。

 ウクライナでは、プーチン氏をモチーフにした表現が多々あるようです。ネットで、火炎瓶のラベルに戯画がプリントされていたのを見ました。
 本日は、オブジェが首都キーウに設置されたとのニュースがありました。プトラ―とされる人物が口に拳銃を差し込んだ作品を彫刻家のドミトロ・イブ氏が制作したとのことです。他国への侵略は自滅そのものだということが、大胆に表現されているとみます。

  日本の憲法改正論も盛んになっています。いや、そんな憲法の文言は非道なテロや侵略に対してほぼ効力ないから、それ以前に従来の自衛隊を充実させたらいいという意見もあるようです。この考え方には頷けるところはあります。

 戦争は、地上からなくならないものなのだそうです。防止は困難であるなら、地道に対していくほかないのでしょう。反戦の思想と表現についても、少しは注目されるようになるといいのでは、という気持ちでいます。

 「拳銃」をくわえた像、ウクライナ首都に設置  

 憲法改正を叫ぶ政治家の発想




2022年05月05日 20時56分

夏野菜のこと

 リバウンド警戒期間というのが、都内は今月22日までとなっています。二年半にわたる新型コロナ禍が今後どうなるにしても、マスク着用生活は継続されることでしょう。

 気重な時世ながら、夏野菜の植え付けの時節はやって来ます・・・。
 シェア畑では、パプリカを初めて育てることにしました。ピーマンと同じく、ナス科トウガラシ属ですから、苗の様子も栽培方法も、ほぼ変わらないようです。

 ベランダ菜園では、甘長トウガラシをポット植えしました。伏見甘長唐辛子というのは、江戸時代から栽培されている京野菜とのことです。なるほど、辛みの少ないトウガラシって昔からありました。
 うまく栽培して、収穫を長く楽しみたいものです。

 トマトは、畑では中玉を植えました。ベランダではミニトマトを育てます。
 園芸店に行きますと、ミニトマトの苗は迷うほどに種類も豊富に並んでいます。育てやすく赤くて甘いのがいいと思いまして、「甘っ子」というネーミングのものを選びました。

 いつまでたっても、栽培のビギナーとして不安感にも似たワクワク感があります。達人をめざすには遠すぎる道のりのようです。




2022年04月30日 16時18分

トルストイを想う

 もしも北海道が侵略されたら、あるいは別のどこそこに侵入されたら、というネット記事が目につくようになりました。自衛隊はどのような攻防になるか、アメリカは助けてくれるだろうか、難しい課題がある、のだそうです。自衛隊駐屯地のどこそこで市街戦になる、というようなリアルな推論も展開されています。

 なるほど、と勉強になるだけではなく、今は忌まわしい戦時なのだと身につまされる話題に緊張します。ですが同時に、戦争放棄の国にどうしてこんな懸念が生じるのかわけわからない心理にも陥ります。

 仮にですが、祖国北海道がロシアになっても、ロシア語できないし、国文学としてロシア文学を専攻するだけの体力はあり得ません。ただ、ドストエフスキー、ソルジェニーツインなど言っても仕方ありませんが、ロシア文学に親しんだ人たちは少なくないはずです。ツルゲーネフが気になっていたことがあったけれども、やっぱりトルストイだろうか?!とか。

 近代日本の文学者や知識人がもっとも尊敬した海外の作家・思想家は、レフ・トルストイ(1828-1910)だったといって過言ではないでしょう。文豪トルストイを学ぶことから、近代の反戦思想が育った側面があったとさえうかがえます。

 非暴力主義で実質はキリスト教アナキズムといわれるトルストイの哲学思想とは何だったのか、という論争を勃発させて、専門家から民間人、若者までを巻き込み、世界を揺るがしたらどうでしょう。その論争において、現在のロシアが強固に勝利宣言をしたら・・・・、という現実から乖離した妄想も沸いてきます。

 ヤースナヤ・ポリャーナ博物館は、トルストイの生誕地であり住居であったところを記念博物館にしているそうです。その貴重な観光資源ともいえる博物館の分館として、記念文学館が北海道に開設されたらどうだろう、と日本的な発想もします。

 ともかくも、最新鋭の電子戦部隊設置の計画が現実ということでしょうか? 政治・経済・軍事が優位な今日、国家とは、国民文学とは、という観点はほぼ消滅しているわけです。
  「奢れる者久しからず」(平家物語)という究極のペシミズムを含む古典の読者としては、複雑な心境に至ります。



2022年04月22日 21時02分

カラフト犬が懐かしい

 本日、外交青書なるものに、北方領土は日本の「固有の領土」であるが「不法占拠」されている、と明記されたと報道されました。先日は、防衛省が北海道に自衛隊の電子戦部隊設置を検討しているとのニュースを聞きました。なるほど、です。
 万里の長城でも築いてもらいたいくらいです。まあ、あり得ませんが。

 なにかと、不安感を拭うことができない日々です。どのくらい嫌悪感が根付いているかの一端でも言わないではいられません。プロパガンダ大国がある限り、根拠不明で荒唐無稽な事象が勃発しないとは限らないわけですから。

 ふと沸いた記憶で恐縮です。
 カラフト犬という犬種があります。昭和期に南極大陸の探検において犬橇を引くなどで活躍したことで知られていると思います。
 実は、子供の頃に北海道の生家で純血種ではないと言われていましたが、飼っていたことがありました。黒い毛並みで、吠え声が堂々としていて、よく家族になつき、近隣からも泥棒よけになると人気を集めていました。年配者のなかには、その泥棒よけに、どこかの国の歴史的にトンデモナイ兵士の侵入怖れを苦々しく重ねる人もいたように覚えます。
 
 犬をペットや番犬にしている家は少なくありません。どういう犬でも自衛訓練とでもいうものに参加させることにより、予防注射は無料にし、ドッグフードも配布されるようにしてはどうでしょう? などと思いつきます。
 室内犬・小型犬が多くなってきている昨今、いわゆる軍用犬や警察犬、使役犬が簡単に育てられないことは察します。ただ、そういう有能な犬の養育について、草の根的な協力態勢ができたらなあ、と犬好きの自分は考えてしまうのです。

 カラフト犬は、賢くて忠実で帰巣本能が強く誰にでも尾を振るということをしません。現代には生きにくかったのか、混血がすすめられて絶滅したそうです。

 破壊力のある兵器を競って揃えるという話題は、どうも苦手です。ペットなら人の生活に役立ち精神の安定にもつながるなあ、という発想になります。
 カラフト犬のような犬種を失ったことも、平和ボケのひとつだったのでしょうか。まあ、今後は、理想的な能力を持ったAI犬の普及という手段もあるかも知れません。



2022年04月17日 20時00分

反侵略の表現について

 憂鬱すぎる日が続きます。朝目覚めたら、コロナウイルスも戦争の話題もみな消えていてくれたらどんなにいいだろう、と子供じみた心境になります。

 戦争放棄の国に生まれ育った者は思います。
 おおよそ、戦闘機とか軍艦というものは、堕ちたり、沈んだりするのがオチです。そんなものを揃えたり、修理したり、建設的ではありません。そういうものがあることで、好戦的な土壌にもなりませんでしょうか。
 戦争が勃発してしまった国・地域では、終息させるための戦略も必要でしょう。ですが、そうでない国は、戦争を未然に防ぐことに注力しなくてはなりません。

 思いつきで恐縮ですが、厭戦・反戦・反侵略の人道的な精神を表現する芸術コンペを開催してはどうでしょうか。あるいは、戦争とインフレのない国の努力を表現するとか。そういう精神を育むことは意識されてもいいような気がします。

 悲惨な戦争のただなかに、傑作が生まれることは皮相ではあります。先日、ウクライナが発行した切手の絵に感銘を受けました。
 2月24日に黒海沿岸ズミイヌイ島のウクライナ国境警備隊員が、ロシア軍艦モスクワから投降を要求されて、「くたばれ(「消え失せろ」とも訳されるスラング)」と応酬した実話から、切手はデザインされています。
 クリミア出身の画家ボリス・グロー氏のスケッチが採用されて制作されたとのことです。描かれた国境警備隊員の後ろ姿に、なんともいえない人間臭さが漂います。

  一説には、侵略者に思い知らせる切手と言われています。
 この切手が発行された2日後の4月14日、黒海を制するロシアの旗艦であったモスクワは、あえなく沈没しました。ウクライナ側の新兵器ネプチューンが命中したことによるものだったと言われています。

 「人生が芸術を模倣する」(オスカー・ワイルド)という言葉があります。奇しくも「現実は芸術に追従する」ということになったようです。

 「ロシア軍艦、くたばれ」現実に



2022年04月09日 23時08分

祖国を想い、狐につままれる

 戦地の惨状が伝えられるなか、ともかくも自由の身であることに感謝の念が沸いてきます。攻撃が止んですべての状況が好転することを念じております。

 北海道は自分の祖国です。
 食の話題で恐縮しますが、魚は生も薄塩も相応の味わいがあります。そして、塩鮭、荒巻鮭というものがありまして、これが祖国食ともいうべきものなのです。

 北海道産のシロサケが、都内でもどこでも入手しやすい時期もありました。ですが、近年では、どういうわけか外国産の養殖サーモンなどが売り場を占めるようになってきています。天然の鮭は少量しか店舗に並ばないようになってきています。

 そんななかで、今度の戦争の影響が起こるだろうという噂を耳にしました。蟹や鮭は流通が難しくなり高騰するのではないかというのです。

 ところが、実際にはスーパーで、ロシア産の天然紅鮭が、大きく値引きされて売られていることに気づきました。 (漁業協定というものがあるだけで)道東の鮭と同じですから、これから入手できないくらい品薄になり高額になるなら、食べ収めしておこうかという気持ちで購入します。加工は国内なので、塩加減の調整はしてあります。

 そして、いかに生鮮食品の価格は変動しやすいにしても、ここのところ、複数のスーパーで同じような場面に繰り返し出くわすのです。高級とされている紅鮭が安価で手に入るのですから、狐につままれる思いです。

 一時、ルーブルは急激に暴落したと聞きました。また、もしかするとロシア産というだけで、不買運動が水面下で生じていてダンピングに繋がっているのでしょうか?

 一般消費者が、大国の心配をするわけではありません。ただ、すでに広大な国土があるところに領土をさらに増やしても、どのように運営するのか“謎”が横たわりますね。




2022年03月26日 11時29分

これから、そんな季節になるのですね。

 春のみぞれが降り、肌寒さが戻った日もありました。
 ですが、企画展のお知らせからはもう夏に向かう時節になっていることに気づかされます。100年ほど前の描かれた日本の文化と光景など、改めて大切に思われてきます。

 「七夕図屏風」「ほたる」の時代―1922年(大正11)前後の夢二とお葉―

  開催中(3月19日~7月24日) 金沢湯涌夢二館



2022年03月17日 20時43分

誰にでも「君死にたまふことなかれ」

 記憶が降って沸いてしまうことがあります。
 与謝野晶子(歌人、思想家)に、「君死にたまふことなかれ」(明治37〔1904〕年9月『明星』発表)という作品があります。商家を継ぐことになっている弟が、どうして出征してしまったのか、という私的な義憤を詩にしたものです。

 一部引用します。
 「親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとおしえしや/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや」
 「旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも/ほろびずとても 何事ぞ/君は知らじな あきびとの/家のおきてに無かりけり」
 「すめらみことは 戦いに/おおみずからは出でまさね」
 「暖簾(のれん)のかげに伏して泣く/あえかにわかき新妻(にいづま)を/君わするるや 思えるや/十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる/少女(おとめ)ごころを思いみよ/この世ひとりの君ならで/ああまた誰をたのむべき/君死にたもうことなかれ」

 近代の皆兵制度に代表される国家主義に対して、いわばマイホーム主義を掲げながらの筋の通った批判精神が展開されています。反戦詩とみることはできるのですが、戦争そのものを止めろとは言ってなく、晶子は生涯を通して厭戦思想を貫いたとは言われていません。

 旧体制の当時のことですから、大町桂月(歌人、評論家)が、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難することになります。これに対して与謝野晶子は『明星』(11月)に「ひらきぶみ」を発表して「歌はまことの心を歌うもの」と申し開きをしています。

 「君死にたまふことなかれ」には、国家間の争いによって民間人の一生を犠牲にされたくないという個人主義がうかがえます。これには、共感する人も少なくないかも知れません。しかしながら、今日叫ばれているような「NO」「STOP」というような明確な反戦思想の表出はありません。

 現代では人類はさらに過酷で凄惨な戦争体験を繰り返しています。誰に教えられたか、殺傷力と破壊力が甚大な兵器を多量に開発して。ピカソは〈ゲルニカ〉を描きましたが。晶子なら今日の惨状をどう詠むのでしょうか。



2022年03月15日 22時06分

新種アレッタのベランダ栽培―かろうじて成功?!

 茎ブロッコリーとケールを掛け合わせた野菜アレッタは、花蕾、葉、茎が食用となり栄養価が豊富なために注目されてはいます。ただ、ネットをみてもいまひとつ栽培についての詳しい情報は得られません。

 当方は、ベランダで育てられる野菜に関心を持っています。
 昨年9月に、苗を入手して試すことにしました。(好きな野菜とハーブの頁26に写真掲載あり)

 年内に花蕾をつけるはずでした。ベランダで陽当たりに注意しながら大切に育てたにもかかわらず、虚しく半年が経過してしまいました。
 鉢植えの限界でしょうか、それとも今年の冬は気温が低かったためだったでしょうか。成長が遅かった理由は不明で課題は残ります。

 もう諦めかけた3月に入って、ようやく収穫できるようになりました。
 畑で育てる蕾菜は、病虫害やヒヨドリなどの獣害をどうしても防ぎきれません。ベランダ育ちのアレッタは、やや小ぶりながらきれいに成長しています。肥料は主にニーム(虫よけ効果もある有機肥料)を用いました。(後注:ベランダで虫がつくと痛手が大きくなりがちですので、細心の注意をしました。)

 花蕾を茎ごと折って収穫します。大きな葉の根元から次々に茎が延びてきます。茎ブロッコリーと菜花の中間みたいな見た目であり、味もそんなところでしょうか。

 いつまで収穫がつづくかは、いずれ追記して報告することにいたします。

追記:収穫は楽しめましたが、地植えの質量には及ばなかったようです。(5/4)




2022年03月11日 13時20分

愚作ですが、四句できました

 昔、昔には、日本文学専攻でしたが、実作はやっていません。
 最近では、固有の定型・短詩として、川柳が注目されていることには気づいています。サラリーマン川柳とか、シニア川柳とかがあるようです。

 俳句には、歴史的仮名遣いや季語へのこだわりがあり、初心者にはハードルが高く感じられます。ただ、俳句と川柳には17音の短詩として垣根はないという見方も現代にはあります。俳句は風景画で、川柳は人物画であるという観点もあるようです。

 実際に試作してみますと、俳句の季語や言葉遣いはかなり難しいものです。
 たとえば日本語で自然や季節を表す言葉があまりに多く、文学的に豊か過ぎるようです。基本的に口語でつくるようにはなってきているようですが、実際には文語に相当するような言葉を知り、使えなくてはならないかと思います。
 川柳は、今日の口語と表記でよくて、誰でもできるような作詩態度となります。ただ、穿ち、ユーモア、軽みがなくてはならないと言われます。社会風刺とも言われます。これは大きな課題になります。

 文芸は、暴力でないことは無論のこと、暴言でもありません。それでは、怒りの爆弾を言葉に込めていた方がいいのか、という表現上のことがあります。
 おぼつかないことですが、反戦・厭戦の民謡系譜などを思い起こして詠みました。

 「厭戦」とまたこの言葉思い出し
 侵攻で何を学んだ人類か
 田園の黒土耕す人はどこ
 ひまわり油手にして想うやるせなさ




2022年03月05日 21時35分

ふと思う、文学のこと

 どういうわけか思い出したのは、三島由紀夫でした。

 自衛隊にクーデターの決起を呼び掛けた後に自決した三島は、よい作品群は残したし惜しまれますが仕方なかったのでしょうね。彼が当初から政治家を志して生き延びていたなら、と考えると怯えてしまいます。ことにパラノイアともいえる右翼思想と唯美で孤高な作風からするなら、さらに凄惨な大事件を展開させてしまったかもしれないということです。

 三島は、小説家でありながら政治家としても活躍した石原慎太郎より世代が上で、豊穣な新古典主義を示現させたといえます。現世的な政治家にはならない、なれない素質だったという見方もできます。ですが、人の進路が決まっていくのは先天的なものだけではなく周囲の力も関わります。作家や芸術家として終始してくれることを望みたくなる人物というのがいます。

 無論、誰に対しても頭ごなしの酷評は控えなくてはなりません。
 それでもなお、熱心な支持者がいる有力者への言及をタブーにしてしまうわけにはいきません。野心が強靭でカリスマ性のある人への注視は、怠ってならないことです。広義の文学評論は、そういった批評眼を保つことに寄与するかもしれない、という気はします。

  政治・経済には疎い者が連想したことです。
  現在のロシアとウクライナの大統領は、時代の要請によって英雄的な指導者になったことでしょう。ですが、今度の世界を巻き込もうとする衝突に際して思うには、お二人のような方が政治家にならないで済む社会の方が有難いに違いありません。

追記:「侵略戦争」とはなにかについては、わかりやすい議論を待っています。




2022年03月04日 19時38分

世界はひとつなのか。パンデミックの次には、世界大戦の脅威・・・

 東京都ほかの万延防止等重点措置の施行は、3月21日まで延長されるとのことです。新型コロナウイルスの感染拡大懸念は去ったわけではありません。 
 ともかくも、副反応に怯えながらも三回目のワクチン接種を済ませたところです。

 そんななかに、話題にもしたくないことが勃発しました。
 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を始めてしまったのです。ウクライナのNATO加盟を阻止しようと、ルーツを同じくする他国に爆撃を決行したのは狂った独裁者である、と非難が集中するのも故あることです。

 今日のニュースでは、停戦協議の後に「人道回廊」を設けて、ウクライナの市民を他国に避難させることを知りました。そこまでして戦闘が続けられるというのは、平和な国の市民としては理解に苦しむことです。
 さらには、原子力発電所の施設にも爆撃は及んだということです。特に陸続きの欧州を含めた世界を巻き込んだ大騒動の始まりのようです。

 ロシア圏には、特有の事情があるかと思います。しかしながら、現今のロシアの若者である兵士自体に戦意がないと伝えられています。もう、権力・武力で人や国を支配しようとすることの限界は露呈しています。時代が違うかもしれません。

 第二次世界大戦の頃からみると、情報・伝達網の発達は比べ物にはなりません。世界は狭くなり、一国家としての戦争意義さえ成り立ちません。かつて島国では、終戦を知らずに捕虜になることを怖れて逃亡し、28年間も密林に隠れ住むような兵士を輩出しましたけどね。
 今日のロシア兵こそ、武装を解いて人道支援や建設的な事業に尽くすわけにいかないのでしょうか。すでに一部破壊された歴史ある都市は悲惨な有様です。
 そんな感想を持つばかりです。


追記:「核共有」という考えも知りましたが。これは昭和を起点にする識者の机上論のように感じます。脅し合いの渦中に入るのではなく、民意を考えてみてはみてはどうでしょう。破壊、難民、殺戮、滅亡を望む人はいないはずです。ところが、それを引き起こす指導者が現れるわけです。このことについて議論したらいいように思います。

追記2:ウクライナから国外への避難は150万名を越え今後さらに増加するとのこと。(3/6)

追記3:避難民は500万名に及ぶと言われています。(5/7)




2022年01月31日 13時35分

豊作!! 免疫力の味方 長ネギ、ニンジン

 免疫力を支えてくれる野菜が豊作だそうです。疫病の流行が収まらないときに、一般消費者としては気持ちが上向きになる情報です。 感謝!

 ⇒ 豊作を伝える、長ネギ農家

  早速、スーパーにでかけますと、特設コーナーに長ネギが積んでありました。 久ぶりに、焼きネギ、ねぎそばを、存分にいただきます。刻んで味噌汁に入れるのは無論です。

 人参も豊作らしいことは知っていましたが、さらに買いたしました。大きく育っています。最近の人参は甘くて、かつては子供が苦手な野菜の代表だったことが嘘のようです。品種改良の賜物でしょうか。

 レンジで加熱して付け合わせにすると、人参ってこんなに香りのいい野菜だったかしら、といくらでも箸がすすみます。オリーブオイルでソテーするのも、カレーに煮込むのもよくて、主役の野菜になりますね。



2022年01月22日 19時38分

東京都の感染者数、初の1万人超え

 予想されていたように、まん延防止等重点措置が17都県にだされています。期間は、東京都等では1月21日から2月13日の予定です。
  自粛なれした当方は、心理的に不安は感じますが、普段と変わりなく過ごします。いつものように、繁華街への外出は控えるくらいのことです。

  本日のニュースは次のとおりです。
 「東京都で、22日、新たに1万1227人が新型コロナウイルスに感染していることが分かった。1日の感染者数として初めて1万人を上回った。4日連続で過去最多を更新したことになる。」

 いかにウイルスが弱毒化していても、やがて重症者が増えて医療がひっ迫することは間違いない、と言われています。無症状や軽症で検査にいく人はいないだろうから、実際には何倍かの人が罹患しているはず、なのだそうです。

 三回目のワクチン接種もすすめられてはいます。感染力が非常に強くなっていますが、さらなるウイルスの変異リスクはどのようなものでしょうか。当初から一部で言われていたような、新たな変異株とワクチン対策の「いたちごっこ」になるのでしょうか。

  感染防止のための行動制限が社会生活へ悪影響することを怖れて、むしろ、現行のようなモニタリングは止めてはどうか、という意見もあります。ただ、そうなると、普通の風邪や冬期に猛威を振るうインフルエンザに加えて、新型コロナウイルスが、季節を問わず人類の生活を脅かすことになります。

  基礎疾患のある人や高齢者がおおきなリスクを抱える社会となりそうです。 どうしても罹患したくない人は、年に何回、何種類のワクチン摂取を受けることになるのでしょうか。

 衛生観念の徹底を言う人も、でてくることでしょうね。 ご専門の方は、個人としてはマスクの着用、手洗い、うがい、という従来の予防行為が大切とおっしゃっています。



2022年01月03日 12時41分

穏やかな郊外の三が日

 いつもの八幡神社でワンコを抱いて初詣をして、近くの店舗の初売りで懐かしい鰊の飯鮨を入手しました。あとは、親戚や知人との賀状やメールの交換です。人もまばらな近隣で過ごす三が日は、気持ちが安らぎます。

 報道では、各地の有名神社や都心の百貨店では、コロナ禍前にも等しい人出があったそうです。社会生活が保たれるという意味では、よかったですね。

 ただ、思うに、コンビニほか一部の店舗が稼働していれば充分です。元旦、もしくは三が日までは正月休みとした店舗・施設もあります。昔ながらの閑静な正月を尊重する意識こそ復権しないものでしょうか。
 それが、移動と都会好きな現代人のサガがあるようです・・・。

 国内の一日の感染者数については、注目されることです。寒さも厳しくなり、前週の同じ曜日よりも増加傾向にあり、東京では、80人を上回るようになって来ました。

 新年にあたり、WHO事務局の見解が発表されています。新型コロナウイルスのパンデミックは、発展途上国にも公平にワクチンが供給されれば、今年中にも終息するかも知れないのだそうです。どの国でもまずはワクチン接種率70%をめざすというのは、目標としてはなるほどです。

 ⇒ 今年パンデミックは終息可能

 けれども、ワクチン供給に優位な欧米先進国で、かつてないほどの感染者数となっていることも同時に公表されています。現在、恐れられている変異株オミクロンは、ワクチン効果が薄く、感染力が強いそうです。症状が比較的軽症なので、見過ごされて感染が広がることもあり、やがては重症者も増加して医療をひっ迫させることになると考えられます。

 ワクチン接種を嫌う人や、マスク着用などの衛生観念を受け入れにくい気質の人が少なからずいる国があります。そこで感染爆発が繰り返されると、次々に変異株がでてくる懸念は拭えません。

 常に衛生観念を保ち、人と人の密を避けることを大切にする意識が、全世界的に根付くことが必要になります。ワクチンや治療薬も大事ですが、人の意識や文化が見直されなくてはなりません。難しいことでしょうね。




2021年12月25日 21時21分

静かなクリスマスに、人類として過酷な消耗戦を怖れる

 「東京都内の25日の感染確認は38人で、70日連続で50人を下回りました。」というのが本日の感染者報告でした。オミクロン株の市中感染についての対策として、無料PCR検査所の開設も報じられています。
  陽性者数は若干増加しているものの、昨年冬の急増からみれば、希望のある状態と言えます。ワクチンに加えて、経口治療薬も認可されました。

  日本では、諸外国からみると新型コロナウイルスの感染拡大が緩やかなのはどうしてなのか、という話題も盛んです。
 それと同時に、感染力が強いオミクロン株を水際対策で封じ込めることができるわけはないという意見もあります。感染爆発が起きたらどうするかという対策を講じておかなくてはならない、という観点です。

 感染症法上の2類の分類では、保健所や医療機関の負担が大きくなり、医療機関で治療を受けられない患者がでることになるだろう、普通の風邪のように5類相当にして、一般クリニックで診療することも一案として考えられるといいます。
 また自粛生活を余儀なくされることがあると、社会活動への影響も大きいし、機能低下や認知症を引き起こす高齢者も増えるだろうと言われています。

 参考⇒ 「このままではパニック必至」

  現行の2類分類に疑問が生じるには理由があります。感染力は強いけれども重症化や致死のリスクは低い変異株に置き換わり、普通の風邪のような形となって、新型コロナウイルスの流行は収束すると考えられているからです。
  ですが、そう決まっているわけではありませんね?
  従来の新型コロナウイルスやデルタ株のように重症化を怖れなくてはならない感染症も、まだひいてしまったわけではありません。


 マスクの着用や三密を避けるなどの予防や検査・隔離などで、感染拡大を抑えていることにまずは安堵します。日本の衛生観念には信頼感を持ちます。
 普通一般の風邪にしても、万病の元であり、一度罹ればもう罹らない、というわけではありません。できる限り封じ込める対策が強化されることを念じます。そして、治療薬をどのように使うかを講じていただきたいと考えます。

  2類から外してしまうと、なにしろ、感染力が強くなっている疾病です。一般のクリニックや職場がクラスターの温床になるという当初から怖れられていたことが当然のように起きるのではないでしょうか。
 すると、さらに爆発的に患者が激増して、社会を動かすために勤務している者の大多数が発症している、なんてことにならないでしょうか?
 そして、変異と増殖を続けるウイルスに、人類は過酷な消耗戦を延々と強いられることになるのではないのでしょうか?




2021年12月04日 22時15分

気を取り直して、スパイスの効いた野菜スープでも

 「東京都内の4日の感染確認は19人で、23日連続で30人を下回りました。」というのが本日のニュースです。国内では新型コロナの感染は落ち着いてきています。

 ところが、世界的には感染の波は収まりそうではありません。
 11月にみつかった新たな変異株「オミクロン株」に注目が集まっているところです。重症化のリスクなどはまだわからないにしても、感染力が強いのだそうです。

 水際対策はとられましたが、日本にも感染の波が広がらないだろうかという怖れがじわじわと沸いてきます。一年前と比べたら、ワクチンや治療薬はできていて、対策も講じられています。国内でも三回目の接種が開始されました。
 それでも、やっぱり。簡単には収まらないのが感染症の流行です。

 仮に、軽症で済む新たな変異株に置き換わっていくのだとしても、ウイルスのまん延は有難くありません。罹患すれば万病の元となるかも知れず、後遺症の怖れも考えられます。医療体制をどのように圧迫するかという問題もあることでしょう。

 手洗い、消毒、マスクの着用、三密の回避など、従来の感染予防を継続させなくてはなりません。また、もしものときのために、日用品や食品の備蓄についても再確認です。

  病に打ち克つメニューにも挑戦です。香辛料を効かせた料理は体が温まりますし、免疫力を高めると言われます。
  野菜スープに、胡椒、ヒハツ、ジンジャー、ターメリック、オニオン、ガーリックなどを入れてみます。そして、オリーブオイルを料理にたらすことで、免疫力の味方ビタミンDを食品から摂取しやすくなるそうです。

  また憂鬱な冬になりますが、前向きにできることをして過ごしましょう。 あとは、適切な感染防止策と治療体制が保持されること、社会生活に影響が少ないことを祈ります。



2021年11月25日 22時53分

胸が詰まる、元内親王の街歩き

 さて、元内親王の眞子さんのNYマンハッタン生活が始まって、やはり、その様子がパパラッチされたようです。ネットでそのショットを拝見することができます。
 新婚生活に必要な日用品の買い物にでられて道に迷いそうになったらしいとか、週末に夫君と散歩しながら街を案内されているようだ、などと報じられています。写真では実にカジュアルなスタイルで、眞子さんは「ボアフリース素材のアウター」、夫君は「「ダース・ベイダー」がプリントされたスリッポン」とのことです。

  なんとも微笑ましく。
  一般人に引きつけてみれば、校則の厳し過ぎた中学、高校を卒業して、突如、街歩きが自由になった解放感、それでいて、なんとなく物怖じしてしまう気持ち、とでもいうものが伝わります。

 ただ、彼女は、いわば超特別先天的国家公務員のようなお立場で、誕生から30年間公務に携わっていたのです。通学や留学、通勤の体験はあっても、街歩きというものを自由にしたことはなかったに違いない、と気づくと胸が詰まってきます。

 つまり、これからは、毎日が「ローマの休日」なのだ・・・・。彼女は、幼くみえると同時に老いても見えます、「皇族」を降りてしまったから、です。

 なんとも日本の実情は。
 新たな人生を踏み出したばかりの方に、余計な批判を止めません。ネットニュースのコメント欄には、二人で現実的な自活ができるようにね、とか、旦那は遊んでないで受験勉強しないの、とどのつまりは税金という原資で身の丈に合わない生活をしているのでは、とか、そんな意見が乱れ飛んでいます。

 なるほど。いつでも賃上げは絵に描いた餅で、退職者にも税率は高くなるばかり、というのが日本の現状です。税金かけて施策されるも一向に効果は見えず、失われた30年・・・。
 それが、これらの批判的な声の裏付けとなっているのでしょうか?

 皇族には、雲上の存在でいてもらいたいと同時に、一般国民を理解していてもらいたいという矛盾した願望が人々のうちにはあるに違いありません。この難しい状況が、「降嫁」する若い皇女にのしかかるのには、複雑な思いがします。



2021年11月23日 19時38分

活動目的を顧みながら、長寿社会の健康法に親しむ

 つらつら気になっているのですが、当Dioの会の活動目的は何といえばいいでしょうか?
  “文化を大切にし、生涯学習を通して、よりよく生きること”というコンセプトが浮かんできます。

 ネット上では、長寿社会として、健康法をテーマにした記事や動画などが数多くアップされています。医学のなかでは治療法であるよりは万人向けの予防法(セルフ治療という概念もあるようですが)、つまり人生の過ごし方というものもありますから、親しみが持てて思わず観てしまいます。
 それが、意外にも、芸術文化を視野におく当会のポリシーと通底します。

 長生きしても、働けない(やりたいことができない)のなら意味がない、という意見を聞くことがあります。
 そういうこともあり、今日では、厳しい節制をしてなにがなんでも病気を克服する、ということを説くものは鳴りを潜めています。さまざまな知恵と方法で健康寿命を保ち、幸福感を伴った人生を過ごそうという価値観が優勢のようです。

 メンタル面でいえば、何事にも楽観的で前向きである方が、免疫力が高まり、老化を遅らせることができるということも研究されています。死を恐れない、ということも長寿の秘訣になるそうです。笑うことも、血圧や自律神経の安定のためにはいいそうです。

 生活面では、ストレスを回避した仕事をできるだけ続けることにより、脳が活性化して老化を防ぐことができると言われています。適した仕事を得られなければ、趣味などの活動でもいいそうです。
 また、仕事や様々な活動において、良好な人間関係を築くことも有効といいます。人は、社会的な生き物であり、コミュニケ―ションは長寿のためには必須とのことです。

 Dioの会は、特定の分野に貢献しようとしているとは限りません。身近な文化を支持する姿勢を保ち広めることができたらいいなあ、という立ち位置です。健康法と同じように、充実した人生を目指しています。

 実のところは、芸術家には破滅型の人がいることは知られています。文学や芸術は、悲観的な厭世観や終末思想と親密でいわば毒を含んでいます。健康法とは矛盾するところもあります。

 ですが、まあ、そういうレベルではなく。芸術とか学術の追究はさておくとして。
 Dioの会の活動動機や目標としては、健康法のように幸福感を伴った人生を志向していることを自覚します。よりよく生きることを念頭におくことによって、活性酸素のように過剰になると毒性を発揮するなにものかを、回避できるようなところがありますね。



2021年11月15日 22時50分

運動によるスローな健康効果

 もしも、運動不足を解消するために一日一万歩、速足であるきなさい、それだけでいいから毎日ですよ、と言われたなら。とても素直にはなれません。
 生真面目な人なら、健康を取り戻す前に足腰を傷めないかしら。
 そういうこともあり、今日では、正しい運動の仕方とか危険なダイエットを避けるための情報が実に様々に発信されています。

 数分でも体を動かす(有酸素運動をする)と、ストレスが減ってメンタルにいいということを聞きました。
 これは、頷けます。そのために、自分は自転車やフィットネスを気晴らし(趣味)として楽しんでいます。気分が軽くなりますから。

 あとは、生活習慣病(脂質異常症、高血圧、動脈硬化など)を予防する効果が運動にあるというのは、信じたくなります。運動により血管の自然治癒力が高くなるのだそうです。
 自分で計れるのでわかりやすいのが血圧です。病院も頼りには思いますが、自力で改善できるのは嬉しいことです。

  無論、バランスが取れた食事も心がけることになります。 健康のための食事についても、情報が溢れています。赤肉や動物性油脂、添加物の多い加工食品、調味料などが健康によくないとか、耳タコくらいに聞きます。ただ、それを避けて野菜や果物、オリーブオイル、カカオ、緑茶など健康によいと言われる食品を摂るように努めていると、体を作るためのタンパク質が不足しがちで、これは運動を好む者には危険なことです。

  運動により、筋肉量を増やし(保ち)代謝をあげて、脂肪を溜め込まない体にすることが大切と言われています。ただ、運動をハードに続け、体内の糖分や脂肪分が消費されてしまうと、次には筋肉を消費してしまいます。すると、筋肉が細ってきて基礎代謝が下がり逆効果になってしまうそうです。

  そもそも、ダイエットはしない方が長生きする、という説があります。実際、何々制限のようなダイエット法は聞いただけでネガティブな感じがします。過食を慎むくらいのことなら、わかりますが。

  健康に関する記事は多くありすぎて、なかなか読み切れません。ときには学説も刷新されます。ですから、まずは相性のいいことを選びたくなります。そして、自分の健康法は、間違ってはいなかったかなあ、と見直すことはします。
  (脳の健康を保つ秘訣は、よく事を見極め、人の意見を聞き、自分の考えを述べること、とも聞きます。ただ、「行うは難し」なので、せめてブログを書いていますね。)

 ウォーキング(有酸素運動)、ヨガ、ストレッチ、筋力トレーニングは自分流に組み合わせてやっています。そして、水分を充分に摂り、普段の野菜好きな食事に、鶏肉、魚、チーズ、豆乳などのタンパク質を意識して加えるようにしています。
 思えば、単純でスローな健康法です。
 これだけ効果がありました、という数値の記録はとっていませんけど。まあ快適に過ごしています、とは言えます。




2021年11月08日 16時53分

お姫さま方の味方をしたくて

 大変な極論を見つけました。正面から反論するつもりはありません。ですが、感想を述べましょう。

  女系天皇を認めると

 女性天皇や女系天皇が実現すると世の中が大騒動になるので、恐ろしい、だから「皇族に人権はない」のだという主旨の論のようです。病的な恐怖症に思われます。 それで、「人権」のない人が「尊い」というの??

 時代錯誤の思い違いからこの恐怖心は来ているようです。この論文が引いている政権争いなどの歴史的事件は、みな、天皇が実権を伴った最高位でいらした頃のことです。現在、皇族方は政治的実権を持たず、ただ国民と共にあります。女性天皇や女系天皇についても検討される、という状況で、歴史的に裏付けされる「上皇」についても、今後、制度を見直す余地もあるのでは??

 それで、権力の集中がなければ男系天皇は悪くはないのですが、男児を産むのは女性です。皇族の女性に男児を産んで育てるという、プレッシャーがかかり過ぎる、ということがありますね。産む性が敬遠してしまう皇室なら意味がありません。産めばいいだけではなく、現代に通用するような人を育てなくては皇室の存続にかかわってきます。一般論で恐縮ですが、男児は育てることが難しいと言われています。

 人権を制限された人が、人間の生態学上、可能かどうかという疑問が世論ではないでしょうか。そういう偏った方々の集団が現代に通用するかどうか、という問題も隠れているように思います。どういうふうに、尊くなるかですね? で、百歩譲って、仮に尊いこともあるとして、そこまで尊い皇室が、現代に求められているのかどうか??

 どのように声援しますか?
 むしろ、日本の皇族の方々は、人格(人間性)、学識、公務等のお働きが優れていていることで人望を集めていらっしゃるようにお見受けするのですが?



2021年11月07日 20時03分

PC開けると、またこの話題・・・

 新型コロナウイルスについては、感染者は減少した状態を保つようになってきました。感染予防をしている人の割合は高止まりとなり、ようやく、経口治療薬も海外で認可されるというニュースも入って来てます。感染症に強い社会がいよいよ実現していくことを祈るような思いです。

 皇室の在り方についての話題は、次々にこれでもかとネットニュースに取り上げられ続けているところです。「暇のある者は、考えよ」と言われているような感じです。

 まず、天皇制について。男系天皇への拘りも、女性天皇、女系天皇を容認しなくては天皇制そのものの存続が危ない、という意見も、どちらもわかります。どちらでもいいというと無責任ですが、天皇制を否定しようというほどの意識もこれという見識もなければ、そうなってしまいます。
 皇室は、日本でもっとも古い家系で、その家柄らしいあり方をしていただいて、できるだけ国民に寄り添ってもらえたら、くらいの思いですね。

 皇族の生き方について。一般人でも、周囲の意見をいれて、堅実な道を選ぶ者もいれば、自由に思いを貫くような生き方をする者もいます。皇族も、そんな幅のある生き方から選んでいただけるといいのかな、と考えます。
 ただ、現実には、どのような生き方も応援できるような態勢があるのかという問題があります。高齢化社会で格差が広がっている状況を認識しながら考えるほかありません。

 もし、富裕な親族や力のある業界が、若い世代の自由に思いを貫く生き方を支援するというなら、「それはよかった」ということです。庶民とは、経済観念や生活感が違う層というのは、存在しているのも現実ですから。

 筆者の体験としましては。特に理由なく首都で仕事をして暮らすと言っている若者のことを親族から聞いたときには、「賛成する力も、反対する力もありません」と反射的に言ったことがありました。
 ですから、自由の謳歌を理解する気持ちとは別の、庶民感覚でいいますと。ネット上での暴言には眼をそむけたくはなりますが、「公金をあてにするな」とか「自活してくれ」「収入よりも支出の多い生活はやめてくれ」という意見には、共感があります。

 あと、前のブログでも「一時金」について触れたので、付け加えましょう。 宮内庁からみた「民間人」とは、どういうものなのでしょうか? 昔のお姫様は、嫁入り道具を家来に行列させて運んだそうですね。そういう故事に準ずるような慣習に馴染んでいるのが「民間人」でしょうか?

 そこから完全に外れている一般庶民からいいますと、定住も決まっていない若い世帯のうちで一人だけが、品位を保つための交際費なり衣装代を生涯分確保していたら? 家族の輪がかえって崩れてしまいませんでしょうか?
 庶民は、タクシー代大変だから友人や誰とでも相乗りしていきましょう、という生活です。未返済の奨学金やローンがあるのも当たり前。
 そこで、一人だけ品位を保つための巨額のお金を確保しているわけですか? 考えられないというより、そんな設定、我々にはあり得ないので、頭が動かないことをお許しください。

 今の日本は誹謗中傷の全盛期   
皇族の「婚姻の自由」



2021年11月02日 19時56分

好き日を振り返って

 晴れわたる空の下、唐突に、昭和天皇がなさったという「人間宣言」のことが記憶から沸いてきました。激動の時代を「現御神(アキツミカミ)」としてあられ、終戦を迎えて「国の象徴」となられて、生涯、尽力をつづけられた方のことです。

 先月、秋篠宮家ご長女の婚姻届けが受理され、お二人で結婚会見(宣言)をなさった日のことでした。朝から、かなりの感慨に浸ってしまっていたのです。
 皇族では類例がないそうですが、好いご成婚のスタイルでした。

 それからも、「お婿さんとはこうでなくてはならない」みたいな思い込み発言がネット上に満ちています。井戸端会議を盛んにしたことは後々、お二人の功績として言い伝えられるかも知れません。ですが、多くは公に云々するような内容ではないようにうかがえます。

 そんな中で、天皇制についての観点からことを評する記事をようやく見つけることができました。ほぼ同感です。ただ、今になってから日本の知識人が言うこと自体が矛盾かも。世の中はもともと矛盾だらけですので、どうなりますか。

 「戦後民主主義に矛盾する天皇制が女性皇族の人権侵害につながっている」

 眞子さんの発言のなかで「心を守りながら生きる」というのは、重たい言葉でした。
 これからも、「国民の長女、眞子さん」の応援をさせていただきたいなあ、という気持ちです。どうか、パパラッチには充分にお気をつけてご出立ください。



2021年10月19日 10時50分

文化の交流は祝したい・・・

 今朝のネットニュースを見て、ああ、家計とか経済のことは大切なことであるよりなにより、わかりやすいこととだから、と思いました。
 眞子様は、渡米を契機としてNYメトロポリタン美術館での勤務があるのではないか、とのことです。そうすれば、カップルとしての年収が増えて生活が安定し、美術館側としては企業などからの寄付も集まりやすくなるのではないか、ともあります。
 当事者にそのようなお気持ちがあればいいかもしれません。

 大局の文化としては、島国から人材にしても美術品にしても闇雲に海外流出してしまうことは問題視されます。ただ、互いの国や館の所蔵品を出展しての企画事業などは、本来的な活動の一環といえます。

 当方は専門外なので、金品の異動やらロイヤル・著名人効果については判断を控えます。 国際的な文化交流に寄与するお仕事については、そのような教育を受けられた方に相応しいことと存じます。ミュージアム勤務として、それがキャリアアップになるとよろしいですね。

 
眞子さま、NY就職先にメトロポリタン美術館が急浮上!

追記:10月26日 結婚会見



2021年10月09日 18時43分

祝福してもよろしいのですか?

 畏れながら「降嫁」を時代離れしていると、先日のブログで書いてしまいました。そう思うことの理由を述べておかなくてはなりません。
 まず、ご降嫁のときに一時金が支払われるのは、元皇族としての品位を保つためだそうですが、一般人には、なに、それ、とわけわかりません。
 ご一族が税金で暮らしていて、結婚のときにも巨額の公金が用意されるということしか伝わらないとしても仕方ないような文言です。そもそも皇室の歴史的な存在理由や皇室典範は、把握が容易なものではありません。

 雲上に生まれ育った方が、結婚によって環境のまるきり違った一般社会に放り出されるということは、ご本人にとってなんとも大きな試練ではないのでしょうか。まず、降嫁して、それで一般人になれますか?
 警護の課題は明らかですが、それは氷山の一角ではないのでしょうか。

 そもそも一般人なら既婚の女性も実家の相続権があります。それはどうなっているのでしょう?
 経済的に支障ないように親族がどうかしてくれたとしても、個人としての権利の問題ですね。一時金って、経済生活においても、身分においても、キャリアにおいても手切れ金ですか? 実にわかりません。一時金を辞退ということを耳にしましたが、そういう疑問からのお気持ちかしらと思うほどです。

 生まれたときから有名税として注目されすぎて、なんでも言われ過ぎて、そこから脱出したくなる衝動はわかります。ひとになにか言われるのが嫌だ、というのは人間心理としてあることですから。
  一般人でも、親から安定的に自立することが大きなハードルとなることはあります。それから、老いていく親の補佐や世話をする課題も存在します。願望がそのまま叶うことの難しさはあります。

 ですが、「結婚=降嫁」により故郷(居住地)、親元、生まれ育った家、さらには公務というものから、切り離されることが定められている、というのはどういうものなのでしょうか。
 一般人なら、親元近くに住むことは、未婚、既婚にかかわらずあります。同居もあり得ます。儀父母に対しても同じようなことがあり得ます。無論、受けた教育などに応じた仕事で社会になんらかの還元をし、さらに納税の義務も果たします。

 選択の余地なくアイデンティティとキャリアが切り替わることが規定されている、というのはわけがわからないことで、前時代的と感じます。今日の一般人としての活動に切り替えるのではなく、元皇族としての品位の保持に腐心する日々となるのですか?
 そういう難題を、若い女性が異国で一身に負うことになりますか?

 第三者としての一般国民は、どのように好意的に拝察してもわからないのです。ゴールインではなくスタートとしても、どのようなコースになりそうなのか、ですね。それにしても、人の世に間違いなく良い門出というものはありません。ご親族やつながりの方々が心から祝福なさっているなら、よかった、と安堵できるくらいのことではないでしょうか。

 見通しとしての参考意見: 
弁護士「小室圭さん」の未来

 追記: お大変そう・・・。   象徴天皇制の危機とは   執拗な誹謗中傷



2021年10月06日 22時04分

展覧会めぐりしましょう

夢二の次男・竹久不二彦の画業(前期)
―「竹久夢二コレクション」にみるイラストレーター・画家・美術教師としての実像―   10月6日~12月19日 金沢湯涌夢二館    

 三人の男の子のうちでは、いつも夢二と一緒にいた次男の不二彦は、夢二の芸術的な感性を継いでいたと言われています。その不二彦を紹介する企画展です。
 展示解説については、館のHPでご確認願います。 ⇒ 金沢湯涌夢二館


 東京都文京区の弥生美術館・竹久夢二美術館の企画展も始まっています。

谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 ~事実も小説も奇なり~

30のキーワードでひもとく竹久夢二展 ーこれであなたも夢二通!ー

 ご予約しておでかけください。10月2日~翌1月23日 ⇒ 弥生美術館



2021年09月30日 10時03分
皇居パークかミュージアムとしても、皇室文化の海外流出は惜しい
 国民の長女、眞子さまついて、執拗なほどの心配が多くの年配者から繰り返し発信されていました。米国NYの物価高や生存競争の激しさとか、皇族の人権のことやら、皇室存続の危機まで、実にさまざまな観点からの杞憂めいた記事は読み切れないほどでした。

 いよいよ、秋篠宮眞子様のご成婚が発表されるとのことです。時代離れした「ご降嫁」の定めに従うために「駆け落ち婚」とまで言われる状況となりました。
 英国のレスター大学大学院で博物館学修士の学位を取得なさった真子様には、海外でご活躍なされる素地をお持ちのことでしょう。

 現行の象徴天皇の制度は、時代の推移と共に変容し、絶えるときがくれば絶えるのかも知れません。ただ、皇室の歴史と文化は消えるわけではありません。どのようになろうとも、保存や継承についての考察・対策は必至かと存じます。
 頭を悩ませてみても、一般人の知恵では及びません。


 勤務先の博物館を退職    NYに向かう眞子さま

 追記:内親王の新しい人生を応援    眞子様の一喝

 眞子様、判断力は健全ながらストレス障害


 追記2:同じような体験から思いやる声も。また、診断よりも軽いならまだしも、予断を許さない場合もあるとの助言も。

   和田アキ子も体験者だった   診断は勇み足か



2021年09月14日 23時01分

さすが。NY、メトロポリタン美術館の祭典

 メトロポリタン美術館におけるファッション界のイベント「メットガラ」で、大坂なおみ選手が本格的なドレスアップ姿を見せてくれました!
 ルイヴィトンのドレスといっても、大坂選手らしさが溢れたコスチューム作品です。
 この装いにはハイチと日本の文化が合わさっているというコメントを紹介している記事など、多くの報道がありました。 (乙姫さまと言われると、そうですね)
 こういうふうに自己表現してくれることも、いいかも・・・

メットガラ2021 豪華衣装で ヴィトンのカスタムドレス メットガラ




2021年09月10日 22時18分

何回目かわからなくなった宣言延長。それから

 21都道府県においては発出中の緊急事態宣言の延長が決定されました。感染者数の減少傾向と医療ひっ迫の度合いを鑑みて、今月30日までです。
  感染者数が収まり、ワクチン接種がすすんだ段階で、宣言が解除されれば、来月にも行動制限の緩和があり、イベント実施における人数制限なども解除されると言われています。 変異株への懸念もあり、段階的に緩和されることの必要も説かれていますが、感染拡大が抑えられるなら明るい見通しがないわけではありません。

  けれども、元にはもどりにくいことは多々あるのではないかと察しています。Dioの会周辺では、講座やトーク会、研究会などについて、従来の形で参加したり企画に加わったりすることは、かなり難しいのではないかと危ぶんでいます。
 おおよそ、会することの文化は影響を受けるのではないかと察します。公衆衛生等の意識によって、淘汰や見直し、変容を迫られることになるのではないでしょうか。

 罹患者が急増しがちな感染症がなくなるわけではありませんので、医療については心配が山積しています。報道のうちでは、医療ひっ迫の渦中で患者に充分な治療ができなかったのが辛くて泣いた医師の姿が印象に残りました。

 これまでに、東京にはいい病院がたくさんあっていいね、みたいなことを言われたことがありますが。徒歩圏内にクリニックがあることはあり難いですね。
 平時から、病人は救急車をタクシー代わりにしてはいけないとか言われていますから。まさか、秘書の運転する車で大病院に行って、特別室に入るとか、あるわけないので。一般人はただただ、大病や大怪我をしないように気を緩めずにいるほかないのが浮世かと存じております。

 
意見交換「たらい回し防止」

追記:「第六波来ない理由ない」  臨時医療施設について



2021年09月07日 19時40分

抽選はどうでしょう?

 巷では、政治家が権力にしがみついていて、選挙のことばかり考えているので、コロナ対策が遅れてしまった、というような説を聞きます。なるほど、ですね。

 実のところ、選挙の専門家に、感染症対策がわかるだろうか、とも。(あ、失礼なこというつもりはありません)

 どなたでも大変そうだ、と。 (ワクチン予約にも抽選制がとり入れられましたから)総裁選も総選挙も、抽選にしたらどうでしょうか?
 ウオッチャーの思いつきですが、選挙のエネルギーを先手のコロナ対策に向けられないものかしら。 「医療難民ゼロ」が単なるスローガンではなく、実効性のある政策になってくれるよう切望します。

「森友問題」再燃を警戒か  コロナ対策の時短

災害医療チームDMAT  後遺症で寝たきりも  コロナ対応で赤字の医療  



2021年09月03日 14時32分

「医療難民ゼロ」それはそうです?!

 「健康危機管理庁(仮称)」を創設して「医療難民ゼロ」を目指す政策が、ようやく発表されました。国としてそういう政策があってしかるべきと思われます。某県で陸上自衛隊が135名の新型コロナ感染症のクラスターを発生させたというニュースも知りました。「野戦病院」も現実味を帯びます・・・。

 ワクチン接種が普及し、初期治療の態勢が整うならば、重症化はかなり防ぐことができるのではないかと思います。入院が必要な人の割合も減少するはずです。(素人考えで恐縮ですが、それで医療のひっ迫懸念は後退することでしょう。ほかの病気の治療を圧迫することもなくなるはずです。特効薬の開発待つのもいいですけどね。)
 ただ、感染力の強いウイルスですから、ブレークスルー感染もクラスターも引き起こす脅威があります。感染者が増えると、それに伴って重症化や死亡のリスクへの対応が必要となります。感染症専門の病院の役割はやはり重要なものでありましょう。

 まずは、療養施設のようなところで、あるいは自宅療養で、隔離・初期治療・中等症治療を円滑に行い、必要な医療機関との連携を図る課題があるように見受けられます。本当に、一人も取りこぼすことなく、対応をお願いしたいものです。
 どのくらいワクチン接種と初期治療で感染拡大を抑えることができるか、変異ウイルス等の脅威や感染爆発が広がった場合に、どのような攻防が展開されることになるか、そんな見通しが必要になることでしょう。安心感のある展望ができましたら、社会経済生活もどうかなっていくことでしょう。

 もう、どなたでも、やっていただきたいことです。選挙とかそういうことは特に関心があるわけではなく、自宅でおとなしくしている者にもコロナ禍にまつわることは気になります。

 「医療難民ゼロ」政策発表   自衛隊のクラスター  首相辞任の意向


追記:後遺症の恐さもあります  ”無症状”でも無害とはかぎらない



2021年09月02日 11時00分

ブレークスルー感染を怖れる秋です

 過ごしやすい季節になりましたね、という挨拶が今年はでてきません。
 新型コロナ第5波といわれるものが、ピークアウトしたとしても、3,4ヶ月するとさらに大きな感染波がくるのでしょうか?変異株の話題が尽きません。

 もしも、“新型コロナ検定”とか作ったとしたら、内容を専門家の監修で日々刷新してもらわなくてはならないことでしょう。東京五輪が開催されているのだから、緊急事態宣言されているのは別のところだろうと勘違いしている人がいたとしても仕方がないほどなのです。それほど情報は多岐に渡って交錯し、把握しにくくなっています。
  パンデミックの次には、ブレークスルー感染というのが、日本語に置き換えにくい感染症用語のようです。ワクチン接種済みでも感染することをさしています。

  “ワクチン接種が済んでも、感染予防に努めた生活は必要です。マスク着用、手洗い、消毒、換気、人と人の距離を保つことなど、気をつけなくてはなりません。”
 “変異種の感染力は強いそうです。重症化は急激にきますし、軽症で済んでも後遺症が残ることがあると言われています。”

 “ともかく、罹りたくない疫病です。”
 だからと言って、衛生学の専門家がすべてを指導してくれるものでもありません。どのような生活をすることで感染リスクを抑えながら充実した日常を送れるのか、それは各自が考えることになります。

 広がるブレークスルー感染   
嫌われても五輪を止めればよかった



2021年08月29日 20時30分

自粛系の自宅派として

 また、緊急事態宣言の効果が薄いので予定通りには解除できないのではないか、ということが言われています。緊急事態とかステージ何番というものではありません。新型コロナ感染常態化フェーズでしかありません。
 これは、若い世代や働き盛りの方々にとってはたまらない状況かと存じます。コロナ病棟を拡充するなり、インフルエンザ並みの対処法に置き換えてくれないだろうか、と憤る心理もあるようです。

 けれども自粛が可能なシニアとしては、自宅で身を守ろうという立場でこのブログを続けています。
 わからないことが多々あり過ぎるために、萎縮し動けなくなるというのが実のところです。

 ロックダウンやワクチンや特効薬でウイルスがゼロになるなんてことは、当初から専門家のご発言にはないようです。それが、やたらと期待が高まることがあるのは、群集心理としていたしかたないことなのでしょうか。

 さらに未曾有のパンデミックのために、なんとも言えないわけですが。さかんに話題になる保健所の検査にしても、療養施設にしても、仮のコロナ病棟にしても、いったい、隔離のためなのか、治療のためなのか、わけわからないのです。その両方と医療研究のためだとしても、その狭間で病む人の主体がどうなるのか、これもわかりにくいことです。

 今日みつけた記事のなかから次に引用いたします。長く生きていますと、身に染みてわかっていることもあります。日本の病院というのは綺麗で親切ではありますけれども、こういうところです。普通の病気でも、妙に待たされることがあり、さらに、今、症状が明らかに最悪というときに救急外来に行かなくては、これという治療なく帰されてしまうのです。

「救急病院に行く人は、いきなり重症化しているんじゃないですよ。どこかで診断されて、1週間か10日放置されるから、ああいう状態で行くわけですよ。(中略)ステロイド注射もずっとやってるんですけど最初の段階でやらないから重症化して運ばれることになっているんです」
 ⇒ 「重症化するまで患者を放置するのはおかしい」

 つまり、この記事は、新型コロナ感染症には特効薬はないけれども、初期治療によってかなり抑えることができるということを説いてくださっています。それについては、おっしゃっていることは理解できます。
 ですから、ワクチン接種をしてくださったクリニックを心の中で頼りながら、自宅でおとなしくしています。

 ですが、不要不急の外出控えをこれだけ言われて、どちらかといえば受診控えもするくらいのシニアです。本当に発熱外来に行けば救われますか?と日本の医療体制について聞き込みに出歩くでしょうか? 医療ひっ迫というのはキャパシティの問題だもの。
 罹らないのが一番、自宅療養して軽症で済めば救われます。あとは正直わからないというか、運命でしょうかね・・・。



2021年08月27日 22時48分

元気の源、食べ物のはなし

 聞くところによりますと。熱が上がると、料理なんかできなくなるし、窓を開け締めするのもいやになるとのことです。もしものときのためには、ぜひとも缶詰類は必要とのことです。脱水症状を避けるための市販の経口補水液と、大量の汗がでたりしたときのためにタオルとポリ袋も用意して、汚れものにも備えなくてはならないそうです。

 自分の場合、だるいくらいなら、食事も摂れますし、キッチンに立ってしまいます。
 雑炊や煮込みうどんも定番ですけど。もしも卵が切れていたら、ツナ缶や高野豆腐で代替するか、別のメニューに切りかえるか、ですね。
 柔らかめのトマトの炊き込みご飯や豆乳野菜スープに粉チーズを添えるのは、シンプルなだけに食がすすんで気持ちも落ちつきます。
 まあ、そのときの状況にもよるでしょうね。

  在宅おすすめレシピ   口径補水液の作り方


 追記:普段の自宅生活でも、療養生活でも(重症化のサインがないのであれば)、食事と水分補給を充分にして、体を動かした方がいいそうです。血栓予防に努めなくてはならないからです。

 追記2:スポーツドリンクは、悪くはないけど甘未が強くて塩分補給にならないとよく言われています。(自家製ハーブ水だけではなくペットボトルも便利なので)いつも甘くないのを選んでいますが、それには「汗で失われる塩分・鉄分補給」とラベルにあります。今夏はお手頃価格で売り場にありますよ。



2021年08月26日 20時33分

“セルフロックダウン”って?

 ステイホームの呼びかけではなく、セルフロックダウンと言われるようになりました。 感染力の強い変異株についての様々な情報やデータを参考にして、具体的にどういうふうに身を守ったらいいのかを、模索するのは自分なのです。既成の対策に頼るのではなく、自分に置き換えた対策で生活様式を固めていくことになります。

 おそらく、雑踏は回避して、個室生活、個食生活を念頭にしなくてはならないのではないかと。 安易に元に戻れるとは思えません。
 家族や隣人や自分自身が、無症状や軽症の感染者でないとも限らないのです。基本を忘れることなく、自室のほかでは、常にマスクは必要です。手洗い、消毒、換気も怠ってはなりません。屋外でも室内でも、食卓では2メートル程の距離を保ちながら席を占めるようにするのがいいかもしれません。

 仮に街に厳戒令が敷かれたとしても、自分が療養生活になったとしても、注文するとか、買いに行く、ということは自由にはできなくなります。食料品等の必要物資の用意を自らしておかなくてはなりません。
 食事については、体調崩しても食べられそうなメニューをメモっておくことも一案です。

 それぞれが、自宅での居心地を確かめながら、新型コロナ対策を作り上げていく段階のようです。

 もう“セルフロックダウン”しかない   
風邪・病気時におすすめの食事



2021年08月25日 22時57分

自宅を砦に“蜜柑の缶詰”で攻める

 9月12日までのまん延防止重点措置と緊急事態宣言は、追加された道県もあり、合わせて33都道府県に及んだようです。本日の新規感染者数は、全国では、21,573名、東京では、4,228名。重症者数は過去最多で、全国では、1,935名、東京では、277名との発表でした。  

 対策を強化しているのですから、感染拡大が抑制されることを願います。ですが、これから夏休みが終わって新学期が始まりますし、心配なことが多々あります。そして先を考えるなら、押し寄せてくる感染爆発は次第に大きくなり続ける懸念があります。

 現在の自宅療養者は、東京都で2万5000名と言われています。
 発熱したため、入院を希望したのに叶わず、自宅療養する例がほとんどです。ほぼ治療は受けられず、食料品(内容は即席麺やレトルト食品が主とのこと)の支援も頼んだのに療養期間中に間に合わなかったことなど、さまざまな情報が飛び交っている状況です。

 当ブログでは、自宅での備えについて、折々に考察しています。直近では8月6日「自宅で身を守るためにPartⅡ」を書きました。
 もしものときには、医療機関や公的な方面のご指導・支援を仰ぐことはいうまでもありません。ですが、自分のことなのですから、常備薬(喉飴、冷却シートも)と食料の用意はしておきたいものです。検温器やパルスオキシメーターも。

  昨今の病院食は整っていますが、療養施設や仮設の病院では期待できません。医食同源という概念もありますし、自宅を砦に感染症と闘う心づもりは必要です。
  食べなれた食材のうちで消化のいいものを(ヨーグルトや生鮮食品も)、数日分は買い置きしておく習慣にしておくといいですね。主食系は、米飯類、麺類など保存に問題はないはずです。肉・魚類も、チーズ、ソーセージ、缶詰などが利用できます。(昨年記事「7/9 自宅療養を実践的に考えてみると 」は、そのまま実行できてます)

  今朝、ざっとこれまで考えたことをおさらいして、そうだ、果物も缶詰があった、と思いつき。スーパーにでかけてみると、たまたまなのですが。蜜柑やパインの缶詰がセール価格で入手できる日でした!! これで自宅の食料庫は万全かも。
 ベランダには、感染症に効き目があるという伝説を持つタイム等のハーブと、葉物野菜がポット植えしてあります。自家製のドライハーブなどなども冷凍庫に保存しています。
 いつでも自宅を砦にして感染症と闘えるように、備えあれば憂いなし。

 病気になることを考えるというより、ポジティブに自分らしく感染症に打ち勝つことを想定して、コロナ鬱を払いのけたいものです。それが個人にできることではないでしょうか。



2021年08月21日 21時50分

やはり、「気の緩み」でしょうか

 どうして感染爆発は延々と終わらないのか、「もう草臥れ果てた」と思ってない人はいないでしょう。まったくそのとおりなのです。ですが、これがそもそも「気の緩み」かもしれません。倦怠、油断、慢心などからそれは起きます。

 現在のパンデミックの延長波は、つまり、ウイルスが変異する性質の感染症の恐ろしい感染力によるものでしょう。誰のせいだとか、政治が悪いとか、そういうレベルのことではないかもしれません。

 当初、国内では感染者が少なかったのは、日本が公衆衛生では最先進国であるからだったのではないでしょうか。 もともと清潔好きで、マスク着用の習慣があります。滅多にハグも握手もせずに目を合わせることも控えて、つまりは互いの呼気、飛沫がかからない態勢で人と接して、食事中には無駄な話をしない、というような歴史的な生活スタイルが温存されていることも有利でした。

 それが、あまりにワクチン期待が高まったことがありました。 せっかくマスクの有用性が世界的に認められたところだったのに、欧米では、こんな鬱陶しいものもう止めるって動きが強まったようです。それぞれの国民性には逆らえないところがあるのかも知れません。

  いずれ、ワクチンや特効薬が決め手になるかもしれないという可能性は肯定しながら思うのです。
  そもそも米国で年前半にワクチン効果が早々とでたように見えたのは、むしろ米国大統領がマスクの有用性を認めたための一時的な成果だったのでは? (まあ、これはエビデンスのない私見ですけれども。)
  それに対して、もともと感染者の少ない日本で、米国のようにある程度の接種普及でワクチン効果がでて感染者が減少するはずだという声がかなり起こっていました。これが、見当違いというか、拙速からくる「緩み」では? 欧州の野外パーティーを模したのか路上飲みとかが広がり、感染拡大しましたから。保健所崩壊が進行することになり、医療崩壊もいわれるようになりました。

  いよいよ、感染リスクの高いところを見極めて対策していただき、渦中への支援を期待するほかありません。
 個人としては雑踏を回避し、何か地道な気晴らしで鬱々とした「緩み」を解消するのがいいように思います・・・。(今朝はマスク着用のシェア畑で秋冬野菜用の畝作りをして、カブト虫を見つけた子供と戯れてきましたよ。)

 「感染拡大防止を最優先に」   自宅療養者急増、滞る支援、食料届かず 

 日本人の自粛すごかった、これ以上なにを望むのか



2021年08月20日 22時08分

なにがなんでも罹患しないこと

 終末とは、感染脅威の終息のときなのか、それとも・・・。
 五年後か五万年後かはわかりません。人類に最期のときは来るという終末論は、宗教哲学としてあります。自分はワクチン接種したから、という楽観に傾くよりは、幸徳があるかもしれない思想です。

 昨年来、今こそ行動変容して自粛をすれば、数週間後には感染拡大を抑えることができる、必ず改善する、と幾度いわれたことでしょう。密を避けて人と人の距離を保つ“新しい生活様式”は、あたかも宗教の復興のようでした。そして、その時々で、効果はなかったわけではありません。

 ただ有体に言ってしまいましょう。ワクチンが開発され、医療従事者が大奮闘をしてくださっているにも関わらず、次々に感染力の強い変異株が現れてきます。集団免疫の獲得について朗報はまだ聞きません。襲来する感染の波はさらに大きくなっていくばかりです。

  一年前には考えられなかったことですが、国内の各地で感染爆発が認められる状況です。今日は、全国で過去最多の25,735名の新規感染者と発表されました。検査体制が緩いので、実際はもっと感染者はいるだろう、ということです。
 
 医療崩壊といわれているなか、さらに期待したり、甘えたりできるのでしょうか。
 例えば、仮設のコロナ病棟ができたとして(ワクチン接種会場でも医師不足で。自動車部品が作れないコロナ禍のもと、医療機器はどのくらい作れますか?)、中等症なら診てもらえるとして、重症者に必要な治療は可能ですか?
 さらに、そこで感染力の強い新たな変異株とクラスターが生じたとしたなら? 医療従事者を含めた地域住民の生存率は、どのくらいでしょうね??

 いつどのようなことにおいて、終末がくるのか、誰もわかりません。ただ、終末を考えてみることで気づくことはあるのではないかと。

 目先、ただ自分らしく生をまっとうしたいだけとしましても。リモート就業や自粛生活に努め、なにがなんでも罹患しないこと、他者にうつさないこと、端的にいえばそれよりありません。
 経済よりも人の命、という言葉は、よく言われますけれども。自分の命と人類の将来は、守れるものなら、守りたい・・・。

 未把握の患者、多数か、都会議「災害レベル」



2021年08月18日 11時36分

人流を半減って? ⇒ 雑踏を回避すればいい?

 当方は、緊急事態宣言下か否かにかかわりなく、スマホに買い物メモを作成していまして、郊外型の店舗でも速やかに用事を済ませて退店する習慣になっています。混雑している(と察せられる)繁華街には、よほどのことでなくては外出しません。百貨店や商業モールなどは、頻繁にもしくは定期的に利用する習慣はありません。
 (都心勤務の方には、自宅近辺の店舗や宅配利用の選択がありますね。)

 改めて対策強化として、人流を五割にすると言われましても、どのように協力できるのか?疑問でした。
 見逃していた記事もありました。個々の者が、通常よりも(感染拡大前、もしくは宣言前よりも)、日常生活に必要な買い物であっても混雑した場所への外出は半分に減らしてください、ということですね?

 また、新型コロナ感染症は、重症化の急激さや後遺症において怖れなくてはなりませんので、インフルエンザとは違ってくると思います。これもご専門の方がはっきり言ってくださることはあり難いことです。把握が難しいことなので、すぐに普通の風邪と同じようになるという言説がまかり通っていたことがありました。慎重に、というよりは今は無理でしょう?

 個人は行動に留意しなくてはならないわけですけど。
 今日は珍しく晴れましたので、生姜をドライジンジャーにする作業をして過ごしています。ベランダに出たり入ったりと体を動かすことになりますので、気も晴れますよ。 ジンジャーティーは、免疫力の味方でもありますし。

 感染リスクが“高い場所”と“低い場所”     明らかにインフルと違う

追記:通勤者多く、五割減には程遠い  東京、ほとんどで人出減少

仮に「抗体カクテル療法」が確立したら 「コロナを普通の風邪に」大阪府が第一歩



2021年08月16日 19時34分

溜息しかでません

 復興五輪(東日大震災後における)といわれたことは、どうなったのだ、という声もありました。何にでも限界ということがあり、スポーツ大会にそんなになんでも期待しても仕方ないことなのかもしれません。ただ、国際的にして最大の祭典であるがゆえに安易に看過してはならない面はありましょう。

 世界は、感染拡大と自然災害と政変の渦中にあります。差別や偏見、虐待の問題も絶えません。 五輪についても報道を通しての観戦者でしかない小市民が、悲愴な世界を語ろうとしてもカオスに首をつっこむようなことにしかなりません。溜息がでるばかり。
 (豪雨のために、自家栽培のトマトの熟した実がみんな割れてしまいました。そのことを、書こうとしていたくらいの自分です。)

  ただ、思うに。子供や若者の夢や目標になるからということで、金メダルを獲得した選手に多額の報奨金をだす所属企業や団体は、それが限界としても何かはしているということでしょう。スポーツによってチャンピオンになったり記録を遺すだけではなく、富も得られる可能性のある時代になってきたとは言えます。

 大坂なおみ選手は、日本人として東京五輪に出場することを少女の頃から夢みていたそうです。できるなら、今後の五輪でさらに良い闘いぶりを見せていただけたらと願っています。

 そして、プロ選手だからといってそんなファイトをして、と凡人の心配がつのるようなことが彼女に起きています。 大坂選手の父方の祖国ハイチが大地震に見舞われて、被害が広がっているそうです。それを受けて、ハイチを救援するための賞金獲得を前提に、目前のテニス大会で闘うという、彼女らしい宣言がなされたのです。
 闘いは、生き様そのものです。テニス競技を通して人間としての闘いを続ける大坂選手を、見守るばかりです。 小市民として、世界を救う闘いを、応援します…。

 東京五輪の光と影    追記:中国14歳金メダル、壮絶な格差の実態

 大坂なおみ「賞金はハイチ救援に」     アフガンを憂うマララ氏



2021年08月14日 19時43分

感染爆発を抑える対策強化!

 今日、東京都の新規感染者は一日五千人を超えるようになり、重症者は過去最多更新が発表され続けています。報道でみる限り、首都圏の人出は思うほどは減っていません。
 感染を怖れている側は、わかりやすく情報を得たいと思っています。

 それが、まず、猛威をふるうデルタ株の次には、ラムダ株を怖れなくてはならない、ということさえ周知が不十分です。変異株の恐ろしさについて、未知の部分があるということも含めて言っていただきたいものです。
 
 さらに、どういう生活をすればいいのかについても、不明瞭です。今は何々を控えて、何を止めてください、というだけでは、見通しがききません。買い物は三日おきと言われても、わけがわかりません。

 個人的に思うことがあります。
 日常生活に不可欠だからといって、窓のない店舗で変わらず営業している食料品店や日用品店があります。雑居ビルにある施設なども同じく、です。それで、利用者にマスク着用や手指の消毒、人と人の距離、滞留しないように、など、長々と注意を垂れています。

 この注意喚起はあり難いのです。それでは、当方ではこのような方法で理想的な換気を保っています、という表示はしてもらえないのでしょうか? 窓を開けなくても、充分な換気ができるような空調設備は既に開発されているわけです。
 しかしながら、経営も厳しい状況下です。新規の設備投資を迫ることも、窓が少ない建物という風評被害を生じさせることも、控えなくてはならないというわけでしょうか?

 生活に不可欠な店舗や施設であるからこそ、安心して利用したいということがあります。クラスターが発生しては困るということがあります。

 対策強化を言っている分科会のお話のなかには、「デバ地下」という言葉がありました。食料品店が入っている場所として知られていますが、地下なので当然のことながら窓がなくて換気がどうなっているのか不詳なことでも代表的な存在です。

 人出を抑えようということにおいて、この「デパ地下」が例に挙げられているようです。ですが、どのようにして、抑えるのでしょうか。
 まず、普通の生活者なら、気の利いた食材のある売り場に行ってどこがいけないの、くらいにしか思わないでしょう。旅行、会食を控えて、それで食べたいものも食べないで、何がどうなるの?と。
 その食品売り場を、長期的に閉鎖して宅配に切りかえるなどして頂き、繁華街に勤務する人や住人がいなくなるのを待つのですか??  それで、街や人の生活そのものはどうなりますか?? 先がみえませんね。

 都市部における空調設備の見直しや支援を検討するとか、密にならない街づくりの具体策を公募してみてはどうでしょうか。まあ、ローマは一日にして成らないかもしれませんが。 具体策を言われるだけで、そうか、そうなっていれば感染防止になるのだ、現況ではまずい、と気づきませんか。

 コロナ病棟がある国になるよりも、日常生活に不可欠な場が密にならないシステムを持つ方がどれだけ望ましいことでしょうか。将来が違ってきます。
 それに多くの人が気づくこと、また、そのためにはどうしたらいいのかを改めて考えることが必要ではないかと思い至ります。それが、感染抑止を進める糸口にならないだろうかという気がいたします。

 東京都、重症者過去最多   情報公開をしっかり 

 対策強化の提言 

追記:百貨店側は、「目視」で人流を管理とか 入場制限スタート   



2021年08月09日 17時19分

終わってよかった

 スポーツというのはいいもので、スポーツマンシップというのも、いいところがあります。
 ただ、今回の東京五輪については、詳しい方々が相当に心配するような事柄に満ちていたようです。

  閉会式で一番良かったのは、次回パリ五輪の紹介映像

  新東京国立競技場の中途半端な巨大施設

 一年延期されても非常時での開催であることに変わりないため、普段は世情に疎いような者も五輪に関心を向けないわけにはいきませんでした。そういう意味においても注目された祭典でした。聖火リレーが予定よりも縮小されて実施され、ほぼ無観客で競技が開催されました。これは、ある意味においてよかったのではないか、というのが率直な感想になります。

 そもそもたいして広くもない島国で、一体どのくらいの野次馬を集めて責任所在のわからない大騒動にしたかったのでしょうね。おもてなし産業もボランティアも開店休業や辞退を余儀なくされたのは、コロナ禍の番狂わせのようではありました。ですが、実際には少数精鋭だからなんとか機能した、という見方もできます。

 次に続くパラリンピックの開催も大過なく終ることを祈ります。
 恐らく、無観客開催や事業縮小ということは世界的に継承されていくことに違いありません。そもそも主催者や出場者ほどには、熱狂する人々がいない方が健全ではないのでしょうか。 今回の東京五輪のなにもかもを巻き込もうとした企画と準備の大勢が、瓦礫となって残るよりは、多くが空中分解されたのは幸いでした。どちらにしても、東京五輪はバベルの塔の一種であるというほかありません。

  ーいうまでもなくバベルとは、balal(ごちゃ混ぜ、混乱)のことです。実現不可能な天にも届く塔を作ろうと不遜な企てをしたために、人の言葉が互いに理解できないようになった、という故事があります。今回の賛成派と反対派は主張や意見そのものを理解し合ってないようでした。


追記:8月は、広島(6日)と長崎(9日)に原爆投下されたために、原爆の日の黙祷が76年間続けられています。15日は終戦記念日となります。
これに加えて、専門家が日本における「新型コロナ感染爆発」を認めた日を「感染大爆発の日」とされるようになるかもしれません。さらには、「東京五輪閉会記念日」が設けられ、生き残った者たちがコロナ禍のリアルを語り継ぐことを忘れないようにしていくことに、ならないとも限りません。



2021年08月06日 21時46分

自宅で身を守るために Part

 仮に、ですが。これから人類が滅亡へと突き進むとしましょう。
 最期のときまでには五輪はあと1回か2回は開催されるだろうから、どうしても出場しようという強靭なメンタルのアスリートがいるかもしれません。
 そして、いつ滅亡するかは知らないけれども。それまでは、幾度感染症に倒れようとも、働きに出続ける勤労者の習性も推察されます。

 それに対して、自宅なり山奥なりに籠って、リモート生活なり自粛生活をしようとする人々も多数いるはずです。もともと引き籠りがちな人たちを含めて、感染爆発を怖れ、避けようとする姿勢が強い組ですね。

 「緊急事態宣言に効果があると思わない」というアンケート回答が圧倒的に多いのは、ここに挙げたいずれの立場の人もそう答えて矛盾はないからでしょう。ここまで緊急事態宣言が繰り返され長引くと、それはもう、緊急事態とはいえない感染拡大常態化フェーズになっている、と認識されてきます。

 その場しのぎをしているだけで、新型コロナウイルスの感染拡大の波が消えていくことはあり得ないでしょう。体制側は、外出禁止や都市封鎖などなどに感染防止策として実効性があるものかどうか、お考えくださるなら、そうしてくださいませ。

 個人としては、身を守る行動しか考えられません。
 昨年、当ブログに次のような記事を掲載しています。
  9/4 自宅で身を守るために
  7/9 自宅療養を実践的に考えてみると

 現在に至っても、在宅医療のシステムや自宅療養の支援システムが劇的に刷新されたというようなことは聞きません。 昨年来の公的判断でもありますし、こちらの記事でも、中等症以上の症状であれば入院して治療を受けるほかないと、考えさせていただいております。

 それが、政府側は、8月3日に医療ひっ迫のため「自宅療養が基本」という方針を出しました。さらに二転三転して、わかりにくいのですが、中等症以上は入院が必要というような方針にもどったようです。ワクチンの普及は進行中ですが、救える命を救ってくださる医療体制に、劇的な改善がなされたとは聞きません。国内におけるワクチンや特効薬の開発については、特にビッグニュースは依然として聞きません。
 現況では、ワクチン接種が進んだ高齢者より、若年層、中年層の罹患比率が増え続けております。新たな変異ウイルス出現の報告も絶えません。かねてから言われていたような“いたちごっこ”の様相です。

 政府や医療体制に期待をするだけではなく、それぞれ個人の身を守る判断と行動が大切ではないか、と考えるほかありません。ひとりひとりが状況を読み間違えることなく、感染予防策を講じながら、自らの生活に取り組んで行きましょう。

   日本政府が方向転換「自宅療養が基本」
   自宅療養ハンドブック



2021年08月04日 21時27分

“怖れ”を知ること

 シニアの場合、畳の上で躓くだけで寝たきりになる怖れがあります。競技スポーツも、観戦するだけで恐怖心が生じないとはいえません。

 それでも、東京五輪は報道を通して見ています。
 特に、格闘技、体操、卓球、新たな五輪種目のスケートボードなどからは、開催国として面目躍如の活躍が伝わってきています。若い世代が台頭してきて、元気や可能性をみせてくれています。
 スケートボードは、格好よさと、独創性を競うのだそうです。独創性は、想像力とも密接で生産性に結び付きます。「ゴン攻め」という積極的な競技姿勢をいう解説も披露されました。これから。島国にもそういうものが浸透するといいですね。

 新型コロナウイルスをどうして怖れなくてはならないのか、未だにわからないという声を聞きます。人が死ぬ原因はほかにもたくさんあるのに、と。
 若いとは限らず、“怖れ”を知らない方々ですね。ことを想像力で補って理解することがない方々。
 そこに、感染症を簡単に克服できるかのような発信があると、いかがなものでしょう。東京都の感染者数が過去最多を更新するなかで、それを危惧します。

 癌や喫煙や交通事故で人類が滅びるとは想像しにくい。ですが、“感染爆発”で街や国が消滅するという脅威は、明らかにあります。
 何万年か後の宇宙レポーターが、この星に飛来して言うかもしれません。「ここまで高度な都市を建設した知的生物が、突如、消滅した謎! 廃墟の島に残された五つの輪のマークが、それを解く鍵と言い伝えられています。」

 また、ワクチンや特効薬の効果が神風のように吹いてくるのを待つという発想には??独創性はないでしょうね。
 個人としては、自分が運転をしなければ、少なくとも交通事故の加害者にはならないで済みます。また、健康に留意することで避けることのできる疾患もあります。
 感染力が強く重症化が急激な疾病の場合には、否応なく、感染したり感染させたりの負の連鎖に巻き込まれます。ウイルスの変異によって、ワクチンや特効薬が効かなくなることさえあります。しかも、患者の爆増から医療体制の崩壊を引き起こし、別の従来の病気にしても治療が受けられなくなる事態となります。

 新型コロナのような感染症は、自分と隣人と人類のために、恐れなくてはならない疾病です。最前線で薬の開発や治療に取り組むだけではありません。公衆衛生に積極的に取り組み、換気や消毒、人と人の距離を保つことを念頭に、さまざまに改善されたシステムや生活設計をつくりあげていくことが、課題になるはずです。
 それを行うには、安易な神風論に甘んじるのではなく、まずは感染症を怖れなくてはならないのでは…?




2021年08月01日 10時34分

不安と心配なわけ

 待合室はいつも混みあっています。コロナの波がおさまったところで、受診を再開しようと思っていながら、その機会を逃している人も少なくないはずです。ワクチン接種の副反応にしても、多少のことなら先生に診て頂くのは控えるのが普通になります。

 専門ではないので、簡単にいいますが、これまでの抗体が効かないくらいに新たに変異したコロナウイルスが出現してきているそうです。公衆衛生は最重要課題でしょう。医療の世界は警鐘を鳴らし続けています。

 延々と緊急事態宣言が発令されていても、この実態が、ある層の方々に把握されているかどうか、それが問題ではないのでしょうか。五輪のウオッチャーが多いのは、競技そのものへの関心だけではなく、なにかしらの心配からでもあります。
 五輪に集中しすぎて成功、不成功にこだわる方々、観光に出るような方々、路上飲みをなさる方々・・・。 ですね。

 パンデミックのなかでもアスリートが力を発揮できるとか、仕事を執行できるとか、そういうレベルの問題ではありません。無自覚に人類を滅亡の方向へ一歩踏み出させてしまう怖れ、不安、心配、重責ということです・・・。

 医療は既に限界   ワクチンだけでは止められない  路上飲みで怪我人



2021年07月31日 10時06分

二回の接種を完了

 感染しないうちに、ファイザー製の新型コロナワクチンの接種を終えた、という感慨に浸っています。これで、感染や重症化の怖れは低くなるはずです。もしものときにも自宅療養でしのげるかもしれません。

 想定内の副反応と思われる症状がありました。
 一回めの接種では、注射した腕が一日あまり痛んだだけです。
 二回めがやや重く、接種翌日には、腕の痛みに加えて、妙に体がだるくて、頭痛と発熱がありました。(体温38度前後)用意していたグッズで頭を冷やし、クリニックの先生が「飲みなさい」とおっしゃった常備薬の葛根湯を服用して、丸一日休んでいました。食事は普通に摂れましたが、主食はお粥と梅干にしました。水分摂取も忘れずに、ハーブティーを多めに飲んでいました。
 風邪のときのようなしつこい症状ではなく、一過性の感じ。接種翌々日になり、おそるおそる起床してみましたら、もうもとにもどっていました。

 滅多に発熱しない者にとっては少し怖い体験です。ですが、実際に罹患してしまうよりは、予防接種を受けるに越したことはない、と言えます。

 
追記:変異ウイルスの感染力が強いため、三回めの接種も行われるそうです。医療体制や様々な事業が平常に戻るのがいつになるのかは、気がかりなことです。



2021年07月30日 11時06分

理想が高いのはいいですが

 五輪が、島国で、「多様性と調和」というモットーを掲げているのを耳にしたとき、力が抜けるような思いがいたしました。そもそも五輪は理想論が強くて、それがいいところでもあり、現実との乖離が大きく脆弱なところでもあります。

 今回の東京大会でも、国内の賛成派と反対派の意見の食い違いは、長い準備期間にも、コロナ禍となってからも、開催中の現在においても収束がみられません。単なる議論の段階ではなく、さまざまな現象を引き起こしているように思われます。

 一般に「マスゴミ」と呼ばれている方々がいらして、例えばステレオタイプに「美しすぎるナントカ」というのがお好きです。相も変わらず、女性選手を追いかけた記事を作っています。
 パンデミックの渦中で実力を発揮して良い成績を出している選手も多く、試合を振り返るというようなコメントも報道はされています。それに次ぐような記事なら、少なくとも、大会参加を喜ぶ笑顔とか、力強い競技フォームというような観点にならないのでしょうか?
 勝敗にこだわらないファンの見たいものが理解されてないか、湾曲されていませんでしょうかね。というような記事が列挙にいとまがなくて、それはもう引用はやめておきます。

 テニスは、継続的に試合をしてなくては調子が整わない競技と言われています。メンタル面での不調のために、しばらく休んでいた大坂なおみ選手が母国の五輪で3回戦まで闘ってくれたのは、嬉しいことでした。少しでも東京五輪を楽しんでくれたなら、よかったと思います。日本にお友達が増えるといいですね。

 海外記者が受けたショック    賞賛される日本人ファン



2021年07月24日 01時21分

五輪開会式での“我が娘の勇姿”

 複雑な状況下の五輪についてなにもいうことはありません。
 開会式をテレビで観て、大坂なおみ選手を、まるで自分の娘のように身近に感じました。(ミーハー自認です)
 もう、勝ち負けとか金属盤の数とかも、関係ないなぁ。

 大坂なおみ選手が聖火を最終灯火  ネット沸騰、可愛い  




2021年07月22日 14時12分

大坂なおみ選手の五輪出場を祝福

 ネット民ならずとも、現代人の多くがデラシネではないかと思っています。東京大会だからどうした、ということもない気がしますし。スポーツって、出身地(国)を背負って競技することになる仕組みというのは、どうなのでしょう。特に五輪ですね。

 ただ、ファンというのは、セオリーにはこだわれなくなります。大坂なおみ選手は、大阪市生まれで北海道根室市に(札幌市にも)ゆかりがあるそうですが、自分は北海道旭川市出身で、あちこちに親戚が居て、かつては大阪にも親戚がありました。同朋ですよ、と言いたくなるのです。

 大坂選手は今の時代を生きる若者として、鮮烈な存在です。
 我々からみれば、若くして成功している億万長者?かな。それが、出場選手の大半がまだ無名の若者であるオリンピックに出場してくれるのです。それこそ、参加することに意義がある、ということです。

    五輪で復帰戦



2021年06月29日 20時08分

日本の美をかえりみる

『増訂版 金沢湯涌夢二館収蔵品総合図録 竹久夢二』刊行記念名品展 後期

 夢二式美人画、日本各地の風景画、江戸趣味的な題材の装幀などが出展されます。

 金沢湯涌夢二館 7月3日~9月26日まで
(展示解説の状況はHPでご確認願います。)



2021年06月28日 17時20分

大正、昭和の美をいつくしむ

 ワクチン接種が済みましたら、美術館にでかけてみたいものです。美術鑑賞にもどれるのか、あの独特な時代にもどれるのか、不思議な心境になります。

  大正ロマン・昭和モダンのイラストレーター 高畠華宵展 ―ジェンダーレスな まなざし―
   <弥生美術館>

 夢二×文学 「絵で詩をかいてみた」 ― 竹久夢二の抒情画・著作・装幀―
   <竹久夢二美術館>

(いずれも7月3日より9月26日まで。
観覧には、美術館のサイトからの予約が必要です。)



2021年06月19日 22時45分

接種会場が増えることになるらしい

 この20日まで緊急事態宣言が発令されていた東京都などの地域の多くは、まん延防止重点措置へと移行して7月11日を期限とすることになったそうです。

 今度は、どうなるでしょうかね。 やっぱり、前回と同じくまん延防止重点措置では効果がないので、緊急事態宣言に逆戻り、でしょうか。
 感染者数が思うほどには下がってない状況があります。専門家も変異種の脅威を指摘しています。

 そこにニュースです。
 東京都では、五輪のパブリックビューイングを中止して、一部をワクチン接種会場にあてるそうです。詳細は知りませんが、イベント会場が公衆衛生のために使えるならいいことです。

  小池都知事の表明


  追記:過密スケジュールでワクチン接種もなさったとか、お大事に。(6/22)

   東京都知事過労で静養

  追記2:(7/7) 東京都に「緊急事態宣言」の方針、8月22日まで  



2021年06月10日 10時10分

医療従事者の若い世代にも、まだなのだそうです

 こんなに懸命に尽くしてくれているのに、医療従事者の若い世代には、まだほとんどワクチンは届いてないと聞きました。
 それで、資格だけはあるけど休職している看護師とか急募して、ことにあたるという発想? 接種済みの65歳以上をつのる??

 自分のような者が考えても仕方ない、と思いながら、日々、悩ましいことです。ワクチンや治療薬については、先の方には明るい話題もあるようです。ですが、今は議論をつくすというより、視野を広げて実施する時ではありませんか。

 もう理屈ではない。空いた接種会場に、副反応に備えて本人の休日の前日にでかけるようなプランを作るとか、では??
 勤務の都合か、家庭の都合などで、日程は決まっていくのでは?
 押し付けではなく、接種プランの選択ができるように、です。

 足並みそろえるのではなく    ワクチンと治療薬


 追記:情報は蓄積してきているようです ⇒ 新型コロナ ワクチン情報
    職域接種が前倒しで始まったというニュース 6/13 ⇒ スタートする職域接種
 



2021年06月09日 23時35分

接種率とか、それが問題ですか?

 自分は、体調に問題がなければ、予約した日にワクチン接種を受けようと思っています。けれども、この暑い盛りに(緊急事態に)わざわざ人混みのなかにでかけていって予約とり、注射打つなんて御免してもらいたい、というシニアがいても、わかるような気がします。

 今は逆風が吹きまくっているようです。五輪は大半の人が開催できないのではないかと危惧しているのに、慎重な意見に理解が集まらないとか。(国内の五輪関係者はワクチン接種しないで活動するほかないのですね。)大規模接種会場がガラアキだとか。変異ウイルスがこの夏に猛威を振るいそうだとか。

 それで、ワクチン接種の普及を達成させるめやすとかの段階なのでしょうか。ワクチンの接種率という数字が、感染拡大の防止と社会生活の平常化に、実際に国内でどのくらい直結しますか??

  今すぐに活動的な働き盛りの方々に接種券を送付して、一日も早くどこの大会場ででも接種してもらうようにはできないのでしょうか。
 強制的にではなく、打ちたい人がそうできるような方針の問題ですね。

  仮に高齢者の大半が接種に遅れて接種率が低いままだったとしても、その人たちが自粛生活を守っていたら、どうなのでしょうか? 感染拡大にはあまり関係ないかも知れないとは考えられないのでしょうか?
 現時点では、高齢者が重症化しやすく病床を塞いでいる、というだけの状況ではないようですね。
 元々のウイルスもそうでしたが、変異種は外から入ってきているのです。
 人の移動や活動により運ばれて、人が密な状況で感染が広がります。
 素人考えでしょうか?

 西浦教授が語る「尾身会長の提言」   8割空きの大規模接種センター




2021年06月08日 15時56分
コロナ禍だから、だけではなく
 現在、人の集まるところで、大きな声で誘導して、「詰めて並んでお待ちください」なんていうこと自体が、感染防止のためには明らかにNGです。 では、どうしたらいいのかしら?

 まず、感染防止やワクチン接種の普及のためだけではなく、またデジタル化以前のことがあるように思います。 高齢者にはPC操作は期待できない、何事も時間がとられる、ということでもないような。

 一般の大勢に対する実際の場では、思い切り大きな文字で書いた指示資料しか有用ではないことがあります。 資料、つまり暦や日程表などはレストランのメニューのように大きく作っておくとか、「整理券をお持ちの方だけへのご案内ですが、ただいま遅延しております。〇時以降に進捗状況を発表予定です。」みたいなプラカードを用いるとか、そんな問題になるのではないでしょうか。

  Dioの会は、懸命に働いてくださる方々を応援する気持ちで。いろんなことが気になってきて、助言というほどでもなく、ただ感想としてここに書かせていただくだけです。

 追記:「電話」と「窓口」、どちらも大変でしょうが。徒歩圏内に「窓口」があるのは市民として有難いと言えます。

     電話の受け手も疲弊




2021年06月07日 15時19分
ややアナログに、接種予約した
 かかりつけ医は市外なので、市内の個別接種会場であるクリニックで新型コロナのワクチン予防接種を受ける方針にしました。盛夏になると、夏バテで、接種予約するような体力あるかどうかわかりません。予約だけでもと思い立ちました。

 「電話」と「窓口」で受け付けをするクリニックで、自宅から徒歩5分以内のところに目星をつけました。受付開始の午前9時の5秒前に受話器を持ち、9時ちょうどに繋がるはずが、お話中。それから数分間、何度試してみても同じ。

 おもむろに接種券などをまとめて、現地へ出かけました。クリニック前の雑然とした人だかりで、整理券の配付を受けました。正午ころにもう一度来てくださいとのことです。緑券72番でした。赤券100枚発行の後だそうです。

 それから、正午ころにまた出かけましたが、雑然としたなか、様子がまるきりわかりません。聞いてみますと、予約受付はお耳の遠い方などに思わぬ時間がかかり、進捗状況が全くつかめないとのことでした。ひとり5分から15分の受付時間がかかっている、とも。さらに白の整理券も発行されているけれども、今日はまったく何時になっても無理でしょう、明日以降になさってはどうでしょう、とのこと。そして、明日はまた明日のことです、わかりません、と職員の方が声をからしての説明です。
  この整理券が使えなくなるのですか?今日、予約できないのですか?とお尋ねしないで帰宅するわけにはいきませんでした。

  それから、また午後1時半に出かけました。三回目ですが、見違えるようにクリニック前の道路にも玄関の内外にも、人影ひとつなくなっていました。
  受付には職員が詰めていて、整理券によりあなたの接種の日時は、これですと用意がありました。7月初旬で、ちょうどよい曜日ですんなり受付終了でした。さらに三週間後の二回目の接種予定も見通しがつきます。

 また、もしも、注射のあとで高熱というような副反応が出た場合、歩いて来られるので診てもらえるかどうかお伺いしました。そのころなら、電話がつながらないということはないでしょうから、お電話ください、とのことでした。
 平穏な院内で、注射当日も緊張して脳貧血起こすこともないでしょう。

 大変なことですが。それでいて、完全なデジタル化がなされたなら、どうなるのでしょうね。注射自体のデジタル化とか? どのような高齢者も、診察はリモート待ちでしょうか?
 自動運転の救急車が迎えに来てくれることになるのかどうか、わかりませんね。




2021年06月03日 19時51分

充分な休養を。大坂なおみ選手

 全仏オープンの試合を棄権して"うつ"を告白した大坂選手が、米国の自宅に帰り着いたというニュースに、ファンとして一応の安堵はしました。
 試合後の会見拒否について、厳格なだけだった主催者側の対応を残念に思います。

 かつては、スポーツ選手というのは、およそ寡黙だったという記憶があります。「は、ごっつあんです」みたいな受け答えがもっぱらでした。
 それが近年では、インタビューの受け答えも発言内容もそつなく、驚くほど雄弁になってきています。子供も若者も、黙っているのではなく、また、わからない、というような答え方ではなく、しっかり意見を発表するのですよ、というような現代教育が行きどいてきた背景があると推察されます。それは悪いことではないのです。

 ただ、どの分野でもあることなのですが、発信力の偏重が起こりがちです。そして、その発信力が、興味本位な関心にさらされすぎてしまうことがあります。価値観がどうかしてしまうのです。プレッシャーにもつながるでしょう。
 スポーツ大会では選手が好いコンディションで実力を発揮できるように、というような基本姿勢がどこかへ行ってしまうようです。

  まじめでシャイな人間にはなかなか大変な世の中だということですね。競技スポーツ、あるいは第一線で闘う人生、ということについても考えてしまいます。

  自宅へもどる     ゴリ押しテニス協会




2021年05月29日 23時51分

詩人の気づき‐都市の環境

 石川啄木は、26歳の若さで肺結核のために亡くなりました。彼は故郷の雀や閑古鳥を歌にしただけで、東京では野鳥の声も聞かずに終わったようです。

 もしも、啄木が故郷の岩手県で過ごしていたら、あるいは明治期の殖産興業政策による都市部の大気汚染がなかったとしたら、永らえてもっと違った文学を遺したかもしれません。そう惜しまないではいられません。

 しかしながら、東京に留まっていたからこそ、都市部の環境についての気づきを歌うことができたともみることができます。 交通網の発達により生じた「停車場の人ごみ」や、聴こえてこない「雀」の鳴き声、「夢に」しか聞けない「閑古鳥」が、当時の東京都心部の環境として啄木がとらえたものでした。梅雨にも故郷の「馬鈴薯のうす紫の花」を思い起こすだけです。

 文明病といわれる新型コロナウイルス感染症の流行が長引くなかで、都市の過密な環境や人流が意識される今日です。明治期に病に倒れた啄木が、その都市環境を詠歌していることに感慨が深まります。否応なく啄木に現代を感じます。
 野菜の自然栽培に加えて、野鳥観察を日課にして。環境保全と現代人の健康維持について忘れないようにできたらいいでしょうね。ふとそんなことを思います。

 日本の短詩型文学は、季節感と花鳥風月、つまり人の世の環境としての自然界に視点があります。それは、自然との共生を希求する思想に、潜在的に通じているのだと考えられます。日本文学の再読は、意外に“新しい日常”に相応しいかもしれません。



2021年05月21日 20時02分
今年はカッコウが穏やかに鳴く
 いま、夢に閑古鳥を聞けり。
  閑古鳥を忘れざりしが
  かなしくあるかな。

 ふるさとを出でて五年(いつとせ)、
  病をえて、
 かの閑古鳥を夢にきけるかな。

 閑古鳥!
  澁谷村の山荘をめぐる林の
  あかつきなつかし。

 ふるさとの寺の畔の
  ひばの木の
 いただきに來て啼きし閑古鳥!

  啄木の『悲しき玩具』のなかに、閑古鳥を懐かしむ歌が4首並んでいます。昨年は、これらの歌は引かなかったことが心にかかっていたので書いてみました。

 昨年6月26日の当ブログには、夜半からつづくカッコウ(閑古鳥)の甲高い鳴き声に自分はただただ驚いたことを書きました。 そして引用したのは、故郷で毎日聴いた雀の鳴き声を懐かしむ啄木の歌でした。
 彼は、東京に住んでから、実際には故郷で聞いていた鳥の声を聞くことはなかったようです。

 今年のカッコウの声は穏やかでゆるやかで、あたかもコロナ禍に悩まされている人の世界を思いやっているかのように聞こえてきます。ともかくも、東京郊外で野鳥の声を日常的に聞けるのは幸せなことかもしれません。

  明治期の啄木は、その自然界からの声を聞けなかった、夢にしか聞けなかったというのは、悲痛に感じられます。しかも故郷の閑古鳥の声を、「夢に」聞くというのは日常を超えた霊的な体験であり表現です。
  ただ、「あかつきなつかし。」と、それを懐かしんでいる言葉に救われるのです。




2021年05月16日 21時36分

“童心”のことを思い出す

 近代の童画に造詣の深い坂本淳子氏の研究が発表されました。
 「『赤い鳥』の童画家前島ともとその作品について
    ―綴方の挿絵と生活童画をめぐってー
     (『児童文学研究』2020年第53号 2021年3月15日発行)
 日本出版美術研究会でご一緒の方なので、HPの会員ページに記載させていただきました。今後ますますご研究がすすまれることを期待させていただきます。
          ⇒ 日本出版美術研究会お知らせ

 19世紀末から20世紀初頭、世界的に児童中心主義運動と呼ばれる現象が興っています。日本でも、明治期より少年向け雑誌がさまざまに刊行されるようになり、子供向けの詩文や挿絵が誌上で発展していきます。大正後期の『赤い鳥』の時代になると、子供向けの童話、童謡、童画のジャンルも結実したとみることができます。

 『大正・昭和の“童心”と山本有三』をまとめたことがありました。それ以来、当方はなにかと不勉強なままで過ごしています。

 童謡は、子守唄、わらべ唄、遊び唄のような口承歌謡の系譜をひきながらも近代的な観点で創作され曲がつけられて発表され、広くうたわれました。国民歌謡の一角を成すほどの隆盛があったことは、しられているとおりです。
 多彩な詩人による多様な作風がたどれるわけですが、人の幼い頃の原点や、時代の原風景がうたわれた童謡には特に興味深いものがあります。三木露風「赤とんぼ」は無論、清水かつら「靴が鳴る」「雀の学校」について、当サイトに書いたことはあったなあ、と思い返されます。
         ⇒ メモリアルミュージアム コラム3

 童画というのは、“童心”文化のなかでも、さらに挿絵や漫画の概念のなかでも、位置づけしにくいところがあるかもしれません。その実態や役割がさらに明らかにされていくことを待ち望みます。



2021年05月11日 13時15分

「こころよく 我にはたらく仕事あれ」

 こころよく
 我にはたらく仕事あれ
 それを仕遂げて死なむと思ふ
          (『一握の砂』)

 「こころよく」「はたらく」ことができる「仕事」という平穏な境地をかかげたあとに、「仕遂げて」「死なむ」と潔い生死観を告げている歌です。ここでいう「仕事」とは、天職であり、また、自分の内面にかなった為すべき事と考えられます。
 啄木特有の強い自負心を感じさせる作品です。

 どういうわけか、近頃この歌が脳裡にしきりに浮かんできます。
 芯から気持ちがむく仕事があったらいいけど、現実には叶いにくいと諦めていたとしましょう。それを、終生をかけて成し遂げたいといわれてみると、ぐうたらな読者である自分の少なくとも潜在意識には共感が生まれてきます。

  現在、コロナ禍による緊急事態が長引くなかで、ほとんどの人たちがさまざまなことに自粛を余儀なくされています。ついこの間までは、生活のため、あるいは社会のための仕事に没頭していたとしても、ままならない状況になってしまっているのです。

  どのような事も思うに任せないことから、かえって「こころよく」「はたらく」という内なる境地が、みえてくることがないでしょうか。 啄木はその想いを詠歌しているのです。彼は文学を志向していても、実際にはそのような仕事を確保していたわけではありません。
  窮地は、なにかに気づくときであるかもしれません。
  「こころよく」の歌についてのあくまで個人的な、今日の感想です。




2021年05月02日 18時24分

ゴールデンウイークです

  三度目の緊急事態宣言の延長論がすでにでているとのことで、憂鬱なことです。

  シェア畑の講習会には密をさけるための制約があり、出席は控えます。テキストと動画を参考に自主的に栽培をして、アドバイザーから個々に助言をいただくことはできました。
 定番のトマト、ナス、ピーマン、キュウリの苗を植え付け、さらに、種から育てる夏野菜もあります。ああ、植えるだけではなく、支柱も立てるのだった、と呑気に思い出します。

  ヨガのレッスンは開催されていますが、参加者に自粛の傾向があり、なくなってしまうクラスもあるということです。
  それでも午後は、スタジオでリラックス系のヨガにいそしむことができました。

  気がかりはあるものの、予定したことができる連休となりました。
 すべての人が、風通しのいい広々としたところで趣味を活かし、疫病と災害に強い街づくりをしましょう、と提言してみたい気分です。
  問題はそういうことばかりではないでしょうね、と思いながらも、そんな気持ちになれて感謝の日々ではあります。

  早くも延長論    失敗五輪になる怖れ




2021年04月25日 20時10分
緊急事態宣言も三回目、ハンドソープ買えました
 緊急事態宣言にならないための、まん延防止等重点措置だということを聞かされた覚えがありますが。あっけなく、4都府県に本日4月25日から5月11日まで緊急事態宣言ということになりました。

 変異株の勢力があるためと、街中の人出を抑えることができなかったために感染が広がっていると言われています。医療のひっ迫が問題となる事態で、国内のワクチン接種の普及は遅々としています。さらに、変異株のなかにはワクチンが効かないものがあるという情報も交錯しています。

 状況把握というのも、大きな課題です。
 自分が感染しないことと他者に感染させないことを念頭にした自粛生活は、できる者は既にしていることと思います。

 三回目にもなりますと、同じ地域の同じ業種でも休業するか時短営業にするか、選択の余地があるらしい様子もうかがえます。人と人の距離、2メートルを保つことが難しくはなく換気もいい近隣のスポーツクラブは、時短で営業するとのことです。
  ああ、これまでと大差ない生活でよさそうだ、三密を避けて手洗い消毒、マスクの着用、とおさらいです。さらに、今日はマスク内に装着するブレスサポートなるものを新規購入して来ました。マスクから鼻をださなくても呼吸が樂にできるようになります。

 感染リスクのある地帯へ移動し、そこで就業しないではいられない方々のことがもっとも懸念されます。世の指導的立場にある方々も、それにあてはまるかと思われます。
 情報や対策の発信は、していただくことはあり難いことです。
 しかしながら、一年前の感染状況と現在では少し違っていますし、柔軟性のある対策がすすんできたはずであるわけです。単に、感染を怖れて緊張感を持っていればいいというのだけではないと察します。

 感染リスクの高い地帯や業種が、どのように対策をとっているのか、少し具体性をもって伝えていただけたら、という思いでおります。例えば、都心部や医療機関は?個人が見学にでかけられません。
 こういう事態のときには、報道機関は主観的な映像を切り取って流している、という街の声も聞こえてくるものです。

  徹底したステイホームを


追記:どうして自粛できないのか? 感染抑え込むポイントとは??(4/26)

  遠隔要請も変わらぬ混雑    東京近隣県へ“越境者”続々




2021年04月16日 19時19分

ボジティブな自宅生活

 変異ウイルスが広がり、感染拡大は収まりそうにはありません。10都府県に、まん延防止重点措置が適用されることになるとのことです。

  「まん延防止措置」

 テレワークなどで、自宅生活に偏ってしまっている方も少なくないのかも知れません。仕事に集中できるかどうかは個人差があるでしょうが、ともかくは無事に乗り切らなくてはなりません。
 不要不急の外出は控えるとしても。散歩や買い物、野外の活動などで日光を浴びて体を動かすことは、免疫力を保つためには必要なことです。

 昨年、野菜とハーブについてのページを開設しました。
 ハーブには、老化防止や感染症にまで効果があるという言い伝えがあります。興味深いのですが、検証がすすんでいるということは言われていません。
 ただ、健康増進という概念で語られる野草であることには違いがないようです。

 ハーブ雑学とまではいかないのですが、ベランダでも育てられるハーブについて記事を書きすすめることにしました。コロナ禍にもめげず、好きなことをします。

   ⇒ 好きな野菜とハーブ




2021年04月14日 22時19分
園芸店へ行くことがあります
 東京都においては、23区と飲食店の多い6市を、まん延防止措置の対象地域としているのだそうです。自分の住む街は外れている、ということがあるかもしれません。

  ただ、東京は入り組んで都市化しているために、市区ごとに人々の生活圏が分かれているのではありません。この店舗のあるところは隣市だったのか、というようなことを後から気づくような地帯です。隣市も隣市も隣区もまん延防止措置地域ですから、措置の適用地域とかわりはないのです。

 昨年から、都内にしては過疎な地域にも時短要請や外出自粛が言われることへの疑問はでていました。感染源となっている繁華街の飲食店などに、まず対策がむかわなくては、と考えられるわけです。
 ただ、空気が抜けていかなくては、アクリル板立てても感染予防の意味がないとも言われています。

 そもそも、移動し活動する、人が、ウイルスを運んでいるのです。
 閑静な地にある店舗でも、密閉度や換気に注意がむきます。人と人の呼気との距離ですね。
 人通りの少ない道を自転車に乗って園芸店に行き、野菜やハーブの苗を選ぶことがあります。そんなとき、野外に苗を並べた開放的な店構えを、いいな、と感じます。

 単純に、これからの店舗はすべて開放的なつくりにしましょう、などとは言いにくいことです。窓のない狭小店舗もひとつの文化でしょう。

 ただ、個人的には、足しげく通うのは郊外の開放的な店舗や施設になりそうです。感染症の収束には年数がかかるという説が本当であるなら、なおさらです。

 「まん延防止等重点措置」適用




2021年03月31日 23時45分

お調子者を怖れる

 国内の新型コロナウイルスの感染拡大は、第4波に入ったという声もあります。気が重くなるニュースばかりで、ここに話題を拾うことにも嫌気がさします。

  日本は女性の活躍が世界で120位という報道があります。 ⇒こちら

 それで、連鎖的に最近のニュースを思い出したりしています。

 皇室に生まれたお姫様方は「結婚退職よりない」とのこと。 ⇒こちら

 もしかすると、日本では特に歴史的に天皇は男性であることが多いことから、偏りのある奢った心理に陥る人がいることの影響がないかしら、という気はします。でも、そうとも言えないなあ、というところがあります。
 むしろなんでもない錯誤から、妄信的になる人間心理そのものを怖れます。

 米国では、新型コロナウイルスを、一部の政治家が中国ウイルスと揶揄したことから、アジア系の人たちへの差別を深めるきっかけを作ったと言われています。コロナ禍のもとで何の罪もない人たちを襲う暴行事件が多発しているそうです。 ⇒こちら

 差別というのは、まさに故のない偏見から起きていて、暴走が怖い。本当の意味での知性の働きを失っている人は危ないように思われます。立派な経歴があり、頭の回転がよくても、芯がなくてお調子者というような人がその発信源であるかもしれません。

 例の森喜朗さんは、女性蔑視ネタの話芸でまだ炎上続きとか。 ⇒こちら




2021年03月08日 18時10分

「プレー・アカデミーwith大坂なおみ」

 首都圏の緊急事態宣言は、3月21日まで延長されることとなりました。もう少し繁華街などで人の流れを抑えなくては、感染防止の効果がないと言われています。

 そんななかで、頼もしいニュースがあります。
 日本の女子アスリートを、大坂なおみ選手が助成支援するというのです。
  「プレー・アカデミーは女子にスポーツがもたらすポジティブな影響を経験してもらう機会を提供するために作られました。(中略)プレー・アカデミーを通じて、より多くの女の子がスポーツを楽しみ、自信や自尊心、リーダーシップを身につける機会を得られることを誇りに思います」とコメントされています。

 大坂選手 日本の女子アスリートを助成支援





2021年02月27日 19時52分

すべてが学び

 新型コロナの新規感染者数の減少速度が、思うようなスピードではないと警戒感は残っています。首都圏は、予定どおりに3月7日で緊急事態宣言の解除がされるのだろうな、時短営業の要請は残るのかな、というところです。
 ここで、すぐに元の生活にもどれるわけではありません。
 そして、時代は動いています。

 オリンピック・パラリンピックについては、もともとイベントの巨大化や政治が絡むことへの危惧は言われていました。「開催反対」を言わなくても、長引くコロナ禍のために「できないのではないか」という街の声を聞きます。

 種目ごとに規模のある競技大会は発展しています。五輪は多種目が揃うこと、また、非常に多くの参加国から選手と観客が集うことが特徴です。4年に一度の大会の開催国となるのは名誉なことであり、重責でもあります。
  ただ、皮相にも、予定された年に、密に集うことが最大のリスクとなる感染症のパンデミックが起きてしまったわけです。それがオリンピックの開催を一年遅らせただけではなく、大会への熱意を冷ましたようです。

 尽力なさっている方々にはお疲れ様という気持ちですが、冷静にならざるを得ないときかもしれません。各種のイベントや行事の在り方など、改めて考える契機にもなります。
 森喜朗氏が最高顧問だった財団も、スポーツ競技のことを考えての設立だったには違いないと推察されます。ただ、その思い入れが、時代や人の世に沿ったものであるのかどうか、なんともわかりかねます。

 コロナ禍の社会動向や感染防止対策に関心をむけさせて頂いて、大変に勉強になっています。何にしても、学びをとおしてよりよく生きること、そんなことを思います。


追記:元首相の方々のご意見   「うそを言ってはいかん」(3/1)

 (首都圏の緊急事態宣言は、3月21日まで延長された後に解除となりました)



2021年02月20日 20時41分

大坂なおみ選手、強い。

 期待していた速報が入りました。
 大坂なおみ選手、全豪OP 女子テニスシングルス、優勝です。大人の強さを見せてくれるようになりました。
 ファンとしては、これからもますます注目させていただきます。

 大坂なおみ選手、「勝ったよ」

 さて。
 元アスリートで五輪の申し子といわれる橋本聖子氏が、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長に就任しました。それにしましても、実にさまざまな問題が取りざたされているようです。
 一般人には把握しきれないほどのことが報じられています。最高指導者として君臨なさった森氏の「功績」について、おいそれと感謝していいものなのかどうか判断は難しい、というのが本当のところのようです。
 スポーツ競技大会の在り方とスポーツ選手の進路の問題が横たわっているようです。

 橋本会長が議員辞職を拒否   森氏が最高顧問であった財団の存在  



2021年02月14日 21時56分

もえつづけています

 失言、放言、毒舌といっても、話術のインスピレーションが並々ではない資質でいらっしゃいます。 難局における五輪組織委員会の会長という大任にあっての、首相経験者の発言であること。さらには過去に総裁をお務めになられた政党が、現政権を担っているという生々しさ、があります。

 森喜朗氏の女性蔑視発言は、他の追従を許さないほどの大炎上を引き起こし、延焼している地帯が特定できないほどの広がり方のようです。とても一冊や二冊の本で収まらないと思われるような言論の百花繚乱です。
 後々には、意図なさったことではなかったにしても、日本の言論を活性化した「功績」を言われるようになるのでは?

 まず、毒舌といえばビートたけし師匠ですが。この方の参議院批判は、森発言と比べると、やはりまとも、に庶民感情を代弁していますね。
 さらには、森氏のご長女と、この出来事のために寝不足となり会社で倒れたという孫娘さんの談話が、氏のお父さんぶりをよく伝えてくださっています。ご家族にはお疲れさまではありますが、とても親しみを感じてしまいます。

   オイラは「東京五輪開催には反対」

   父が問題を理解するのは年齢的に難しい  

   みんな大好き森喜朗さん


後記:今日における多様性の容認ということでは、次の記事が参考になります。スポンサー企業の立場などにも目を向けなくてはなりません。

   森発言契機に「ダイバーシティ・ポジティブ経営」へ

 お気の毒な職場でお気の毒なことになっているという、女性議員の声もあります。

   森発言に対し「わきまえない女でありたい」

 意外に誰もがまだ勉強中かもしれません。ジェンダーレスと、ジェンダーフリーの概念も、わきまえたほうがいいのかも。

    Wikipedia:ジェンダーフリー

 二転三転の末に、森氏後任を受諾する橋本聖子氏も多難なようです。(2/18)

   “ポスト森”の意向固めた橋本氏



2021年02月11日 16時17分

先のことはわかりませんが

 この世には争いごとは絶えませんし、将来的に大災害や疫病が起こらないという学説はありません。むしろ警鐘ばかりが鳴り響き、人は脅威にさらされ、対策に忙殺されます。
 それにもかかわらず、スポーツ競技や芸術を楽しむということは、実は人にとって大切なことに違いありません。

 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長辞任と後任の問題は、速報によれば収束へむかうようです。
 新型コロナウイルスのパンデミック下で引き起こされたさまざまな騒動が、やがて落ち着きを取り戻すことを切望しないではいられません。という意味での朗報になるならいいのですが・・・。

 森会長辞任の後任を川添三郎氏で調整   米国専門家から疑問視

 今回が最後の緊急事態宣言としたい


後記:森会長が正式に辞任を表明。後任については白紙としたうえで、組織委員会が透明性をもって協議して決める、という趣旨の報道がありました。(2/12)



2021年02月09日 13時32分

男性が女性を「殴る」、危ないとき

 読書家であれば、自分のような不勉強な者でも知っている、「殴る」(平林たい子 『改造』1928年10月)という小説のことを思い出しています。できるだけ正しく理解するには、少し慎重に読むことが必要になる重要な作品です。
 ごくわかりやすく言えば、男性が女性を殴る、蔑視する、虐待する、ということの構造を読み取ることができる小説です。男女の性差だけではなく、社会構造や状況がかかわっていることが如実に表現されています。

 またごく簡単な人間心理の観察について、思い返すことがあります。子を産む性である女性は、育児や家事を担うために、仕事においてはパートのような働き方になるケースについて、やっかみが生じることはあるようです。
 いいなあ、女は保護されていて、楽に好きなことができるし、言えるし、みたいな偏見や僻みは、聞いたことがある方も少なくないかと存じます。その観点に根拠があるかどうか、です。

 今は、コロナ禍で、分のわるい業種や非正規労働者の在り方が社会の問題となってきています。このようなときには、指導的立場の方々にも、中間層にもそれなりの負荷がかかっているかと察します。
 今の国際社会では、男女共同参画は意識としては当たり前なのですが。なにかの危機が発端となり、破綻が生じないとは限りません。 パワハラということはよく聞きます。
 階級闘争はなくなったのではなく、「分断」という概念に置き換えられているだけ、でしょうね。暴動やクーデターという政変はなくなっていません。

 大正期から昭和初期においてのことでした。
 三木露風の「赤とんぼ」は、若年女子労働者としての子守り(ねえや)を唄い、山本有三の「路傍の石」は、不遇な境涯の若年男子労働者(こぞう・丁稚)の歩みが小説に描かれて支持を得ました。虐げられているのは女性ばかりではなく、社会的な序列が下の男性もなおさらです。
 竹久夢二の「宵待草」は、いつまでたっても夜明けが来ない時代を女唄で表現しています。

 文学・芸術・スポーツ競技とはなんなのか。大正期前後からの軌跡をたどりながら、もうすこし考察をすすめることができれば、なにか発信できるでしょうか。
 ともかくも、コロナ禍が連鎖して引き起こす不運な出来事の深刻化や泥沼化は、未然に防ぎたいものです。
 ゆるい専門性しかもたないこのようなサイトでも、社会参加できるといいなあと思いながら。感染症を怖れる自粛生活のうちで、あれやこれやが浮かんできます…。

 平林たい子  平林たい子記念館  

 
東京五輪・パラ、ボランティア辞退者続出



2021年02月07日 19時38分

せっかくなので、オリンピック観

 言論の自由があるために、このようなブログも書いていられます。 当方は、閲覧者数も少なく、影響力があるとは思えないサイトなので、まあ、このような作文のお稽古をしていても許してもらえるかな、と、わきまえて、いますけどね。

 ですが、読者が多いニュースサイトに掲載される有名人の談話を拝見して、「んっ?」と思うことがしばしばあります。
 今日は、橋下徹氏のコメントですが、談話中の短い一文にいくつもの「んっ?」を感じました。
 五輪開催の準備に尽くしてきた森氏に、「我々国民は感謝しないといけない」というのです。

 まず、橋下氏というのは、著名なコメンテーターというのはわかりますが、「国民は」というほどのお立場の方なんですか? 知らなかったぁ。
 「僕は」とか「大阪人は」とか「石原慎太郎氏じゃなくて、小池百合子氏は」というなら、そうなのかぁ、とは思います。

 実際のところ、国民の大多数が森氏に東京五輪の準備に活躍してもらいたかったのかどうか、自分は知りません。東京都民としても、個人としても、そもそも氏に特に期待した覚えがありません。

 オリンピック開催が不要だとは思っていませんし、高邁な理想を言うだけの見識はありません。開催されたら、テレビ観戦はするかな、というところですね。

 それが、「森氏の功績」に「感謝」ですかぁ。その「功績」が準備段階でそんなに認められるというのは、どういうことでしょうね。不思議なことを言う方もいるわけです。
 「お疲れ様でした」とか言っても、蔑みの目でみられるかもしれないしれないのに、ですよ。

 どんどん話が長くなりそうです。

  橋下徹氏のコメント


  追記:舛添要一氏、「功績」を語る  東国原英夫氏の提案



2021年02月05日 16時12分

話長くなりそうだ

 自らの認識不足にまたしても気づいたところです。
 とあるところで、「(年齢的にも)もう電池切れている」という端的な表現に遭遇しました。
  森喜朗氏の去就についてのご意見なのですが、そのことを云々するほどの知識やらなにやらをこちらは持ち合わせていないのです。

 氏については、20年くらい前の総理大臣経験者であり、現在は、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長であるということのほかは、「微笑ましいお父さん」という印象しかありません。そんな特異な思想の持主でいらしたのでしょうか。

 そもそも融和的な五輪憲章の根本理念は理解のそとで、開催における経済効果とか、国威の発揚ということばかりに意識が向く人って、少なくないのかもしれないと察します。
 あと、ご自身の最盛期に、上から目線どころか、立場の異なる人を見下す発言をしても通ったというようなことがあると、もう、そこで止まってしまっている、ということもあるのかもしれません。

 それで、女性蔑視にあたる観点から、委員会で女性の登用を制限しようという発言をなさってしまったのですね。 その理由というのが、女性は話が長いので会議が遅れると。
 第一線の女性が、長老を諭すようにして、日本の人材不足はあなたがたお父さんの世代の責任ではないですか、と言ってくださるのは有難いことになります。
 むしろ、誰でもが、話し合いを避けてはいけないことに気づかされます。
 差別やジェンダーの問題というのは、いわゆる地雷が見えないところにあちこち埋まっているものです。炎上が、長引くことの方が当然かもしれません。

    
森会長の発言、専門家の指摘

続々と記事が:
僕なんて話長い 森氏の問題発言  大坂選手のコメント



2021年02月01日 20時32分

ホテルに住むのはよさそう

 ニュース記事で、帝国ホテル東京がサービスアパートというのを始めると知りました。ひと月の単位ならビジネスホテル並みの料金で帝国ホテルに住めるとのことです。

 都民ではありますが、帝国ホテルは訪れたことがあるなあ、くらいの馴染みです。事情に疎い者の感想ではありますが、魅力的なサービス内容のように思われます。
 仕事のためにあえてホテルに住むという、ややレトロな文化が再生するのはいいですね。近年は住宅の進化で書斎のある家も普及してきていますが、ホテルの利便性はまた格別です。

 ネットの掲示板などあれこれ閲覧していましたら、「転廃業」という言葉で、長引くコロナ禍における飲食や観光にかかわる業種のことを懸念しているのがありました。営業自粛への協力金くらいでは、持続が難しい事業が多いわけですから、転業や廃業も含めて前向きに考えたらいいのだ、という意見のようです。

 ホテルは、アパートへの業種変えをしなくてもホテル業務のうちで、食事などのサービス付き住居を提供できるそうです。そんなふうに、それぞれの業種なり企業や店舗が柔軟性をもって生き延びてくれたらと願っています。

  
帝国ホテル東京のサービスアパート



2021年01月28日 23時19分

暴動が起きない国でよかったけど…

 この国でよかったと思うところはあります。本格的な都市封鎖に至るような感染爆発は免れていることなどです。
 ただ、新型コロナ体験を元に生活の知恵が積みあがっていくことを期待してしまうのは、違うのでしょうか。

 それが、時短営業の命令に従わない事業者に罰則として過料を課すというようなことがまとまるようです。
 さらに、また、キャンペーンの話になっていて、ステージ2になったら再開、とかのご発言がありました。これは、1日の感染数が東京都で500人レベルのステージ3では再開できないという慎重なご意見にあたるとは思いますけれども、それでも違和感を覚えます。
 そのステージ2って何でしたか?

  まず、ステージというのは、感染症というのは一度の対策で収まり難く、感染が再拡大していく波があるものだから、そのめやすとして設けられたのではなかったでしょうか。その再拡大が深刻になったら、さらに対策を強化しなくてはならないということでした。
  ステージ2というのは、感染者が漸増している状況をさすようです。(しかも、「医療提供体制への負荷が蓄積」している段階だそうです。)

 感染が漸増している時に、旅行や飲食のキャンペーンを国をあげてするのですか? また緩むことにならないだろうか? という以前にですね、どうしてそんなことを? 辛い自粛を忘れたいという、盲目的な心理ですか??

 明らかに感染が減少して、もう大きな感染の波を起こさないというシミュレーションなり見通しですね、それができてから、なんでもしたらいいのではないかしら。もうそうなれば、民間の方から動きがでるでしょうけど。

 体制側は、感染状況が残存するなかで、困窮する事業者への支援や共済の在り方を改めて見直すとか、ですね。そういうことになるのではないかと、一般人としては考え込んでしまいます。

  大臣の会見




2021年01月26日 21時26分

春が待ち遠しいけれども

 今日の東京都の感染確認は、1026人とまた千人を超えてしまいました。
 まだまだ不安な日々です。さらに気を引き締めて、感染が抑え込まれることを祈り続けます。

   感染再拡大もあるとの指摘

 長きに渡り感染拡大したために、重症者も増加し病床のひっ迫が厳しい現実となっています。自宅療養者や入院を待つ人々が増大したことが問題視されるようになりました。救急搬送先がなく自宅に帰される病人や、自宅で医療を受けることなくお亡くなりになる方が相次ぐなど痛ましい状況が報じられています。

 軽症と思っていたら、急激に重症化する場合があるのが新型コロナウイルス感染症です。血中の酸素飽和度や呼吸数に気をつけていなくてはなりません。
 このブログの昨年9月4日に、自宅で生き延びるために、という趣旨で書いたことがありました。
 自宅療養者への食料支援も始まったと聞きますが、自治体によって違うでしょうから、個々に確認する必要があります。

 収束したら、あの会に参加して、メンバーが集合できるかしら、と期待が高まりますが。三密を避けて、手洗い、マスクを忘れることなく、命を守ることを考えている段階です。

 追記:専門家のアドバイスをみつけました ⇒ 自宅療養への備え
 



2021年01月24日 11時25分

日曜日にも。

 大病院が新型コロナ治療をさらに引き受けてくれる可能性について、貴重なご意見を拝見しました。それで、実際に全国においてクラスターの発生を防ぎ、あらゆる診療科での医療の質を守ることができるなら、大変にあり難いことです。

 ただ、素人には、感染症の分類を変更する課題という以前に、その分類そのものについて把握するのは難しすぎます。コロナ治療でもっとも奮闘して負担を抱えていらっしゃるのは医療界なのですから、注目しなくてはならない論説です。そうでありながら、わからない自分が考えても仕方ない、というのが本音です。

 感染が減少していかない限り、感染は増大していき社会全体が壊滅的なことに陥る、ということは飲み込めます。今はそういう事態なのです。

 しかも、国会で丁寧に審議する以前に、国会議員が次々に感染して倒れ、国会を開くことができない状況にならないかしら、という妄想めいたものが沸いてきます。杞憂だったらいいのです。

 民間病院がコロナ治療に参画できない理由
  感染症の範囲及び類型

追記:本日は、東京都の感染確認986人と今月12日以来はじめて千人を下回ったとの報道がありました。軽く二千人を上回った日々からみれば、下離れしたかもしれません。が、12月26日に900人を超えて騒然となったあたりに戻っただけです。入院、宿泊療養先が調整中で決まらないままの陽性者は急増しているとのこと。



2021年01月23日 20時34分

希望的観測とエビデンス

 1月になると感染者は減るという楽観論があったような気がします。これは、行動制限がかかることや経済生活への影響がでることを嫌う心理からの希望的観測だったのではないかと察します。
  現実は、なかなかそうはならないものです。真逆の事態で、変異種のコロナウイルスが登壇しています。

 明るいことを考えたくなる気持ちにもなります。 これからいよいよ、寒くて換気がしにくい季節は過ぎて、日照時間も長くなります。ウイルスは弱体化していかないでしょうか。

 ただ、希望的観測だけではなく、知識や情報の確認が必要になります。
 飲食店だけではなく、職場や家庭でも飲食を伴う人の密が生じると飛沫などによる感染リスクが高まります。 ですから、感染しないというエビデンスのある飲食の場が発案・設置されたらどうだろう、とも思うのです。

 ひとりでも感染しない、重症化しないための知識や情報が、もっと普及されてもいいのではないかとも考えます。 正論の難しさがあるでしょうか。

 やはり、運動や入浴、バランスのいい食事など従来から健康のためにいいとされてきたことが免疫力を支えると、最近の研究でも明らかになってきたそうです。日光を浴びて規則正しい生活をすることもいいそうです。

  新型コロナに負けない体  




2021年01月21日 20時00分

長い冬の日光浴

 こんなに感染拡大が長引くとは思いもよらなかったことです。都心の人出はあまり減ってないようです。

 「私なんか、バス、電車は何ヶ月も乗ったことがない。どこへ用足しに行くにも自転車よ。若い人からワクチン打ったらいいのに」と近隣で主張するお元気な方がいらっしゃいます。ですが、感染もワクチンの副反応も畏れているのです。

 すると、コロナ分科会の会長のインタビュー記事でも、若い人たちが鍵を握っているようなお話がありました。
 リスクの高いところを抑えると、効果はあらわれるはずだそうです。ポイントが五個もあるとか。こじれているということですか。不要不急の外出自粛は、昼夜を問わずしなくてはならないそうです。

  「今を救うのは若い世代」

 いつ収束するのでしょうね。
 感染拡大の恐怖に負けたくありませんし、自粛疲れもしたくありません。 個人としては、まずは前向きにできることをみつけて過ごしています。

 日光にあたると気分転換になりますし、免疫力も保てます。
 今年は、ベランダで初めてわさび菜を育てています。ベランダに陽が差す時間帯には、水やりや古土の始末などにでています。できるだけ手袋をしないようにして、手の甲を日光に当てるようにしています。もともと人通りの少ない道を自転車走らせて買い物にでることもあります。そういうときは、気が晴れます。
  今日は、野菜のページ18に、写真をアップしました。


後記:ワクチン接種の優先順位は、医療従事者、超高齢者、基礎疾患のある人、そして勤労者が春の健康診断の頃に、というほうが効果的では? 自粛できる立場の人はその後ではどうか、という思いです。



2021年01月18日 12時08分

手洗いは、これでよかったらしい

 新型コロナについて質問するだけのために、かかりつけ医院を訪問するというのは、控えてしまうこのごろです。そんなときに、あり難い記事がネットにあります。

  新型コロナウイルスの弱点

 マスク着用、手洗いの励行、三密回避という感染予防策は、有効なのだそうです。
 脅威のウイルスでも、うつされたり、うつしたりしなければ消滅していくのです。感染した体内で大変なことになったとしても、免疫力によって死滅することになっているのだそうです。

 こういう基本的なことも、言っていただかなくては、なにか違っていたのかしら、みたいなことが飲み込めません。シニアは不安ですよ。それで、感染防止や巣ごもりの健康管理が円滑にいかないことがあるかもしれません。 
 
 あくまで一般シニアの立場ですが。感染を阻止しよう、という論点がもっとも納得がいきますし、わかりやすいですね。



2021年01月17日 18時45分

罹らなくてもいい病気で苦しみたくない

 コロナ禍の終息を願いながら、どうして都内の人出は減らないのか、感染者数は減らないのか、という疑問に悩む日々です。
 そのひとつの答えであるかのように、このように総合的に知的に考える人が多いのであったなら、自粛しない理由はわからないでもないのだけど、と思わせる精神科医の記事がありました。

  緊急事態宣言下の萎縮した生活における、高齢者の運動機能や認知機能、または免疫機能の低下について心配してくださっていて、宣言に違和感を述べていらっしゃるのです。自粛を要請される生活に副作用がないわけはありませんから、それについての対策も必要となることは頷けます。

  数字をどのように読むべきなのか

  そもそもは、様々な情報や議論やガイドラインが発信されることで、個人として、感染予防に関心を持つことができます。感染者数ではなく死亡者数や致死率に目を向けてみたらどうか、という数値の提示も参考になります。
 ただ、緊急事態宣言それ自体、そのあり難い数々の情報の範疇にある施策ではないのでしょうか。

 筆者は、普通の風邪にしても、万病の元ですから罹りたくありません。常々、罹るのは気の緩みからだと考えています。
 過去のインフルの最盛期にも事情があって外出自粛しながら、もっと感染予防が周知された方がいいのにと思った記憶があります。


 死亡者数をみて、罹っても死なない側だろうからいいや、と思えるのはメンタルがかなり強い人ではないのでしょうか。
 あるいは、時短や自粛に応じないのは、そうしなければ生活や事業を守ることができないと判断した方々ではないかと察します。
 片や時短しか言われてなくても、今は休業のときと閉めた店もあります。

 むしろ、みな、自分の頭で考えているのだという気がしています。それを促すための情報だと認識するほかありません。
 それで、社会として国全体として、この状況をどうしたらいいのかということは、難題中の難題なのでしょうね。



2021年01月16日 20時32分

また、ニュース

 感染拡大を畏れる大きな理由に、長寿社会特有の問題があります。
 新型コロナウイルスに罹患した場合、高齢者と基礎疾患のある人は、重症化するリスクや死亡率が高くなります。入院期間が長引くことから病床を塞ぐことになり、人手もかかります。治療だけではなく介護の問題も生じます。

 これが、医療がひっ迫する一因であるように言われています。また、高齢者や家族の側としては、なんとしても罹患を逃れたいという暗たんたる思いに陥るわけです。

 ワクチン普及や治療薬に関することで朗報が待たれますが、思いがけないニュースを見つけました。
 老化細胞を除去する薬剤が開発されているというのです。この薬が実際に使えるようになるにはまだ少し時間がかかるようです。ですが、そうなると動脈硬化や糖尿病が改善され、健康寿命が延びることになります。
 ということは感染症に罹患した場合の重症化リスクも減少するに違いありません。

 介護を必要として生きるのではなく、いわゆるピンピンして過ごす晩年が期待されます。高齢となって社会の負担になるのではなく、さいごまで貢献する存在になれる希望の光がみえてきます。

   老化細胞を除去する薬剤




2021年01月10日 11時53分

「規律正しさ、姿勢ね。」

 どうして東京の人出はなくならず、感染者数は減少しないのか、そんな話題が重苦しい日々です。
 集うことの文化ということも考えられます。集うには規律も思想もあるはずです。そこで、ひとつの記事を見つけました。

  大宗匠、千玄室氏は、朝は4時に起きて、夜は8時に就寝するそうです。会合の場からは6時半には退出するといいます。

 都会を中心とした夜型の生活や、人間の活動に不可欠な飲食ということへの見直しは大きな問題であるはずです。茶室は密な飲食の場の原型のようでいて実はどうなのか、飲食の場の換気や設定こそ鍵になるのでは、など山積する現実的な事柄は頭から離れません。

 ただ、大宗匠のお言葉を素直に読めることの幸せを、とりあえずは噛みしめています。

  
大宗匠「この国をよくしていこうという気持ち」
 



2021年01月06日 20時56分

緊急事態宣言の再発出ですか

 明日にも首都圏の緊急事態宣言が決定されることになりましたが。
 今日も、東京は過去最多の1500名を超える感染者の確認がありました。
 
 今度の対策は、飲食店への時短営業の要請とか夜間や不要不急の外出の自粛とか、的を絞っていていいかもしれません。ですが、本当にそれで感染爆発を抑えることができるのでしょうか…。

 そんなことにわかりやすく答えてくれるような日本医師会の人間味ある会見がありました。一部で緩むことから感染が広がってはならない、ということですね。

 正直にいいますが。
 ご自身が明晰なので、誰でもわかることではないか、みたいなおっしゃりかたの発言の場合には閉口します。ですが、人には模範が必要だという観点はあり難いと思うのです。

 自分は小学生の頃ですと、頭脳がクリアで一度いわれると忘れませんでした。それが、長じてからは雑念が多くて、なんどでもそのつど言っていただき、規範をしめしてくれなくては混乱してきます。
 (日本医師会、頼もしい

 なにがなんでも感染者数を抑える  国会議員は夜の会食の全面自粛を
 



2021年01月03日 12時08分

新型コロナとこれからのこと

 無症状の罹患者からでも感染力が強く、症状が複雑で重症化は急激にやってくるような感染症のことです。惨状が広がり、コロナ禍で生活難に直撃される方々などを思うと、胸が塞がれてきます。

 感染者が多くなりすぎると医療がひっ迫し、医療崩壊は必至です。これは、ほかの病気の人にもこれから病に陥るかもしれない誰にとっても、切実な問題となります。

 今、多くの人々の思いは、守りたい生活、取り戻したい活動がある、ということになるのではないでしょうか。そこには共有される危機感も今後の対策への期待感も滲みます。

 ただ、もとにもどってはいけない、という見解も見出すことができます。
 低炭素社会という課題は言われてきて久しいわけですが、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済社会こそ危機であるというのです。計り知れないような問題は感じながら、これも参考になる内容と思います。

  
元の生活に戻ってはならない



2021年01月01日 20時36分

感染予防と重症化回避のために

 とうとう東京都の感染者数は大晦日に1300余人という驚きの数値を出して、年を越してしまいました。
 感染爆発を回避するためには、様々な対策が練られる段階に来ているようです。

 個人としては、やはり免疫力の保持に努めることを考えます。
 まず、感染を未然に防ぐことは免疫力にかかわっています。ウイルスが侵入したとしても、自然免疫だけで、100や200のウイルスなら殺すことはできるそうです。
 そしてもしも罹患した場合にも、重症化は逃れたいものです。これも、ワクチンや薬品だけではなく、本人の免疫力にかかわっているのだそうです。

  コロナワクチンに期待し過ぎてはいけない

  軽症で済む人と重症化する人   不足していたビタミンの正体

 人間は、言われなくては緩んでしまうことがあります。マスクの着用も、人と人の距離をあけることも、習慣化されるには相応の時間がかかりました。
 免疫力の保持についても、栄養と体調管理のための休養を充分に、というように言ってくれるといいのではないかと思ったりします。そういうことは、まだエビデンスが充分でなかったとしても、有難いと受け止めますけどね。




2020年12月28日 23時37分

免疫力について

 感染力の強い新型コロナの変異種について、話題が広がってきています。
 国内への侵入を防ぐ水際対策に期待することも必要でしょう。

 免疫力でどのくらい太刀打ちできるものなのかは、気になるところです。参考になる記事を見つけることができました。
 自然免疫と獲得免疫のかかわりや、抗体というわかってないところが多いものについて解説してくれています。免疫力を保つためには、生活リズムを崩さないことや運動をすることなどが大切ということもあります。


   ⇒ 最新免疫学から分かってきた新型コロナウイルスの正体

 個人としては、自粛した生活において、感染予防に努め、食事や運動に留意するほかないようです。コロナ鬱にならないように、いつもにも増して健康志向を高めるのもいいのかな、と思います。日光浴も、ニャンコやワンコと一緒にしましょうか。


   病気にならない生き方



2020年12月26日 21時29分

かつてないような年末年始に

 感染拡大に歯止めがかからず、一年の締めくくりという気分ではありません。

 感染リスクが高まるために、大人数の会食は控えなくてはならないと繰り返し言われているのです。それが、大人数の忘年会を開催して感染した政治家がいたり、もっとも国民に示しをつけなくてはならないお立場の方々が会食に集ったり、ですね。
 なにがなんでも世俗の活動をしないではいられない人間性でしょうか、それとも、それが首都圏の社会性なのでしょうか。

 もともと、どこかが「緩んでいる」のかもしれないと考え込まないわけにはいきません。 政権批判の段階過ぎて、ネット民の声も悲観的になってきたようです。
 これまでにないような憂鬱で冷めたお正月を迎えることになるのでしょう。  


  東京都、一日の感染者949人   1000人を超えて年を越すのか

   自らの言葉で語るべき



2020年12月21日 23時44分

感染拡大を畏れる

 施策はなかなか威力を発揮しないようです。感染者数について過去最多の更新が発表されつづけています。

 東京では、「年末年始コロナ特別警報」が発令されています。
 ロンドンでは、事実上のロックダウンが再々発令されました。感染力の強い変異ウイルスが現れて猛威を振るっている状況とのことです。

 要人の会見がいくつもつづきます。
 率直な感想ですが、飲食の場が感染の場となっているとか、人の流れによってウイルスが運ばれるというのは、いまさらのことです。早めの対応をした地域では感染抑制の効果がでてきているというのは、あり難いことです。
 それが、ステージいくつとか、シナリオ何番とか。分析なさっているということはわかりますけどね。

 日本医師会ほかの医療団体が、医療緊急事態宣言をなさったことにより、わかってきます。感染者が多くなりすぎると、医療崩壊が起こり、人々が通常の医療を受けられなくなる事態に陥るわけです。それをなにがなんでも防がなくてはならない局面になっているということなのです。

 ワクチン効果は未知数であり、国内ではまだ先のことです。ともかくも感染拡大の脅威と向き合って、感染防止に努めなくてはならない時になってしまったのです。

   首都圏がシナリオ3に入る   
インフルとは「別格の脅威」



2020年12月11日 21時38分

ニュースをみる

 ゲノム編集食品としてのトマトが、血圧の上昇を抑えるとして認められたことを知りました。このような食品が生活習慣病に効果があり、副作用もなければ力強い味方です。トマトは毎日食べても飽きない野菜です。
 新型コロナウイルスに罹患した場合に、基礎疾患があると重症化しやすいと言われていますが、高血圧もその疾患のうちのひとつです。

 感染拡大が止まらないところ、Go To キャンペーンについて疑問視する声が上がってきました。一部の停止だけに留まらず、さらなる自粛を訴える意見は、妥当に思えます。飲食や行楽を奨励されて「気が緩む」ことが感染拡大を助長するという見解は、まさにその通りなのではないでしょうか。

 経済を止めることはできないという観点には、「違うこと考えられませんか」という気持ちになります。旅行や会食も文化ですけれども、従来の在り方に呪縛されすぎているような気がします。年末年始の行事などは、みな密を避けて在り方を代替えしているのですから。

 経済支援を直接的に行う施策を誰しも思いますね。あるいは、今は、居酒屋でもトマトに緑茶のおやつメニューに切り替えるとか、ですね。

 最初の届け出になるトマト

 旅行が今でなければならないか  感染の抑制に逆行する 
 野党の批判

後記:感染拡大のひどい地域だけではなく、28日から1月11日まで、Go To は一斉停止と発表されました。「判断が遅い」という声を聞きますが、もう、どちらも疲弊しているのかもしれません。(12/14)



2020年11月29日 18時41分

個人の感染予防意識

 今回は、感染拡大が特に著しい地域において、時短営業ほかの対策が行われることになったようです。一斉に広範な休業を強要されるのではないようです。
  三週間のうちに集中して行おうということも、感染の実態がわかってきているための方針なのでしょう。
 郊外に住むシニアとしては、あり難いことに日常生活はほぼ変わりません。マスクや手指の消毒、洗浄を忘れないようにしながら、人混みを避けて買い物などは楽しめるのかなあ、コロナ鬱にならないですむかなあ、と思っています。

 現在の感染状況は、最多記録を更新し続けています。
 このまますすめば、医療機関で新型コロナ対応とほかの一般治療が両立しなくなり、救える命が救えない状況になるのだそうです。医療崩壊が起こるかもしれないと言われるとなるほど気がかりです。

 感染拡大を抑えなくてはならないという危機感の共有は、重要なことでしょう。
 個人レベルでの努力でどうかなる段階ではない、という認識は正しいと思います。ただ、個人としては、できる範囲で予防について関心を持つよりほかにどうしようもありません。

 お茶に含まれるカテキンに、コロナウイルスを無害化する働きがあるということについて報告があります。やはり、という気持ちと、まだわかってないことが多いのだなあ、という思いが交錯します。

 特定の食品を摂取すると疾病に効き目があるという説は、およそエビデンスがない、とかかりつけの医師に注意されることを経験しています。何を食べると生活習慣病にいいというようなことは言い伝え、迷信であり、生産・販売側のセールスである場合も考えられる、というのです。

 薬のように、一錠飲めばこれだけの即効があるというようなことは食品には期待されません。ただ、摂取することで次第に健康増進されるということは、常識となっているのではなかったのか、諸説紛々なのか、一般人にはなんともはかりかねることです。
 厚生労働省のサイトなどでも野菜を多く摂りましょう、ということが謳われています。医師が野菜味噌汁の摂取を推進しているネット記事もあります。お茶を含めて健康に良い食品について、免疫力を高めるという観点から説いている記事もあります。

  野菜味噌汁で動脈硬化を防ぐ  抗酸化物質  免疫力を高める食品

 エビデンスが確立されるといいなあ、という気持ちです。食品は副作用が深刻ではありませんし、薬品であろうが飲料であろうが経済効果が伴ってもいいわけでは?

 お茶についての研究では、試験管のなかでは成果がでたとのことです。飲用しての感染防止効果については検証していないのだそうです。
 ともかくは、お茶好きには興味深いことです。ちなみに、筆者は、朝は紅茶、昼は緑茶、それ以降はジンジャーティーを、各3杯以上飲んでいます。どのような種類、銘柄の茶葉が効力を持っているのかだけでも知りたいものです。

   個人努力だけに頼るステージ過ぎた   お茶がコロナを無害化



2020年11月22日 20時09分

エビデンスについて

 近頃、よく耳にするエビデンスという言葉があり、医学者が科学的根拠という意味合いで使うようです。少し、やっかいな概念だなあと感じています。
 それは、エビデンスがまだ明らかではなくても配慮しなくてはならない事柄というのが、世の中には数多くあると思うからです。

 一昨日、日本医師会から、ひとつの見解が発表されました。Go To キャンペーンにより第三波の感染拡大が起こったというエビデンスはないけれども、国がGo To を推進したことにより国民がすっかり緩んでしまった、という主旨です。

 そして、昨日には、政府がGo To キャンペーンの見直しを公表しました。
 今日は、「第三波は深刻化しない」という根拠をのべる記事を見出すことができます。ただ、高齢者や免疫力が低下している人については充分に気をつけて、マスク着用と手指の消毒は励行すること、という専門家の説です。

 今日の記事では、みて安心する人もいれば、用心して消毒液を買い足す人もいるのではないかと思います。
 ですが、正直な感想を言わせていただきますと。
 国内のウイルスは弱毒化して致死率が低くなっていたとしても、感染症が消滅していく兆しがあるわけではありません。さらに、これから海外の強毒化したウイルスが入ってきて蔓延するリスクはないのかどうか、見当がつきません。
 国の経済対策としてのキャンペーンが、本来はまじめな国民を緩ませてしまったという一昨日の見解がやはり正論ではないのかという気がしてくるのです。

 市中の店舗や施設内で、井戸端会議をする人々がいつでも絶えないことが国民性にかかわるのかどうかは知りません。時の経過とともに話題が新型コロナウイルスから、Go To の利用法と体験談へと移行してきたことは確実に体感されます。
 まさに一日の感染者数の最多を更新中という認識は、どこへ行ったのでしょうか。「寒いのよ」と全部の窓を閉める方や、マスクなしで声高に話す人もいらっしゃいます。

 どのように真面目な国民性があったとしても、キャンペーンの方に気持ちが向きますよ。具体的な感染予防の対策を呼び掛けるアナウンスは、体制側からしっかりと継続されることは必要ではないのでしょうか。
 また、そもそもは経済対策の在り方という難しい問題が横たわっているようです。

  国民が緩んだ   第三波は深刻化しない



2020年10月31日 23時06分

わかってきたこととハロウィン

 当初は、ヒトからヒトへは感染しないとまことしやかに言われていたのでした。今年の1月の初めのことです。
  それから実に多くの情報や論説が交錯しました。論議が多かったマスクについては、最近ではウイルスの排出と吸引の双方について防御効果があるとの研究発表があります。ワクチンはまだ開発中です。

  感染力の強さで脅威となった新型コロナウイルスですが、厚生労働省により10月30日付「新型コロナの10の知識」が公表されました。 これまでの情報はかなり整理されてきたようです。人の密を避けるなど感染防止対策がしっかり根付くことが望まれます。

 今年は、渋谷ハロウィンもさすがに端迷惑な空騒ぎが収まったようです。そもそものハロウィンは悪霊払いとしての伝統的な祭りです。時局により祭りや行事の在り方が問われることはあると思われます。ただ、その文化そのものは見失われないことを願います。

  飛沫排出  マスクの防御効果  10の知識 




2020年10月23日 21時34分

真面目過ぎて恐縮です

 世界的なコロナ禍が始まってからというもの、これということに手がつかなくなり、かろうじて野菜作りをしています。まずは免疫力のことに関心が向きました。そして、新型コロナウイルスの脅威について、感染防止や健康維持について、考えないわけにはいかなくなりました。自分のような者が考えても仕方ないわけなのですが、農作物の自然栽培から環境問題、感染症に強い街や国ということまでもおさらいして思いをめぐらせました。
 真面目すぎることを自覚しているところです。(⇒好きな野菜とハーブ

 ネット上の記事も、これまでよりは気にかけてみることになります。
 イヴァンカ・トランプ大統領補佐官が、(パンデミック中の自粛期間に)ゲームなどに興じて優雅に過ごしていたと発言して炎上したのだそうです。

 このことで、国民の窮状が理解の外だった無邪気なマリー・アントワネット王妃のことが脳裡にに浮かびました。そして、イヴァンカ氏のファッション性に、旧い宮廷貴族を思わせるようなところがあるのに気づきました。例えば実に様々なシーンでの執拗なピンヒールとか。上流ファッションを牽引しているのでしょう、と文化を尊重しようとしても。健康を害する恐れのあるほど高くて細いヒールですよ。そのこだわりがなんともわかりません。

 つまり、日本では馴染みの薄いソーシャライト(社交界の名士)は、われわれ一般シニアには奇異にしか見えないということなのかも知れません。
 世界的なコロナ禍を契機として、改めて勉強させられることが本当にたくさんあります。

  炎上  ファッション




2020年10月14日 21時58分

予約制に慣れなくては・・・

 コロナ禍が続くなか、人の密集を防ぐための対策として、予約制が浸透しています。
 インフルエンザの予防接種は、9月末に電話を入れたところ、11月上旬の予約になりました。地域や医院によって対応は異なるようですが、忘れずに受けなくてはなりません。

 いつでも誰にでも公開されているはずのミュージアムのことになりますが、休館日が増えたり、入館には予約が必要になったところもあるようです。オンライン予約は、慣れてしまえば便利かも知れません。
 いまさらですが、こんなときこそ展覧会を鑑賞する余裕を持てるといいですね。

 東京生まれで、現在も東京郊外に住んで活躍なさっているイラストレーター水森亜土の展覧会が開催されています。

   いつみても、いつでもラブリー♥ 水森亜土展

 10月25日まで。美術館のHPから事前予約にすすむことができるようになっています。

 弥生美術館 竹久夢二美術館

 東京の展覧会




2020年10月07日 20時17分

粕谷図書館 徳富蘆花コーナー講演会

 世田谷にゆかりの深い徳富蘆花についての講演会が開催されます。
 近隣の図書館に、お出かけするのはいいかもしれません。マスクをお忘れなくとのことです。

 演題:旅する徳富蘆花
 講師:布川純子氏
 日時:10月30日(金)13:30~15:30
 申し込み:10月10日(土)より 電話にて受付  
    世田谷区立粕谷図書館(Tel:03-3305-1661 9時~19時 月曜休館)
    先着40名(参加費無料)


  粕谷図書館蘆花コーナー



2020年10月06日 23時11分

「人権」について

 いつも世界は悲嘆に満ちています。コロナ禍の今は、悲報や、深刻な事態が次々にニュースとして伝えられてきます。
 感染拡大が収まらない米国では、大統領選が間近に迫っています。感染症に罹患し完治しないままの大統領は、入院加療を短期で終えて、ホワイトハウスの執務室に戻ることを強行するようです。科学者の警告に反するように、新型コロナウイルスを恐れるなというメッセージを発してはいるのですが・・・。

 そんななかで、世間の動きから目をそらすことはできないにしても、少しでも爽やかな話題を求めてしまいます。
 ファンというか、ミーハーで恐縮ですが、テニスの大坂なおみ選手に注目がつづきます。彼女は人種差別への抗議運動を支持していて、スポーツと政治を混同するなという意見については、政治以前の人権の問題と断じています。
 どういう職業の人は人権に関する発言が制限されるとか、誰かが決めるとしたら、それ自体が偏見というか人権侵害なのであり、なるほど正論です。
 世の中では正論は通らないから、経験を積んで社会的地位を築いてからいいなさい、とか年寄りがいいそうなことがあります。ですが、実のところはどのような地位についても、「老害」呼ばわりされるようになります。
 若い大坂選手は女子テニスで世界制覇をしながら言っているのです。

 世界を救ってくれるのは、老政治家なのか、ステイタスを獲得しているジャンヌ・ダルクなのか・・・人の世はわからないことばかりです。

 ウイルスを侮るな

 人権  大坂選手の発言内容




2020年09月23日 10時52分

凡人には難しい?! 衛生品の迅速な流布と支援が必要な人々への視線

 お金の使い方、有効な施策、というのは、とても難しいことです。そういうことについて、勉強だけでもと検索してみましても、やはり良い例をさがすこと自体が困難です。

 個性的なアイデアで、出どころが明らかなお金を、狙いの支援ができる機関に寄付するというサーブを決めているのは、大坂なおみ選手です。コロナ禍において、一般へのマスクの流布と共に、支援が届きにくい人々に手を差し伸べる活動への寄付が行われています。

 なるほど、マスクなどは配布するよりも、販売の方が迅速な成果がでることはあります。(大坂選手の販売は、米国をはじめ世界的な感染の波が増大したときに、タイムリーに注意喚起を促す役割をも果たしているとみえます。)

 それでは、ですね。例えば、本業では稼ぎにくくなっている銀行と動物園がコラボして、パンダ柄のマスクやシ-ルド、消毒液などを販売して、経営資金にするとともにコロナ禍で苦しむ人々への寄付にあてては、などと思ってはみますけれども・・・。なんとも、です。  

 30分で完売の第二弾  大坂選手デザインの黒マスクと寄付行為



2020年09月21日 12時55分

消毒液など

 今は、消毒液も、マスクもペーパー類も店頭に並んでいます。
 ですけれども、ほんの数か月前です。何もなくなって、病院では防護服がないということが報道されていたのでした。フェイスシールドやアクリル板、検温器の活用など各種の対策は、なんとか行われてきているような状況です。

 これからインフルエンザの季節になります。例年でもかかりつけのクリニックではマスクをした人々で密の状態になるのに、本当に予防接種が受けられるのかしら?(1.医療体制)
 それ以前に消毒液や薬用ハンドソープは再びなくなってしまう恐れは、ないのでしょうか?(1.日用品、衛生品)
 感染拡大やクラスターはどこででも起こりえます。限られた業種の店舗や施設だけではありません。
 また、理不尽に営業自粛を余儀なくされる人が身近にでることがないといいのですが?(1.経済生活)
 個人的にはそういうことが不安でたまりません。 三つの不安。

 総選挙の時期とか、新政権の政治力とか、関心がある方々にはそうなのでしょう。「悪しきナントカカントカ」を止めさせて、デジタル庁をつくらなくては、何もできないというなら、そうなのか、と思うだけです。

 感染拡大を防止しながら、経済社会活動を再生していくということでした。そういうことについて堅実な情報が発信されるなら、継承内閣としてとりあえずは有難いような気がします。

 消毒液と密について

 早く助けて



2020年09月19日 12時24分

産地記載の嬉しい食材

 近頃、食材に産地が明記されているのは嬉しいことです。いきつけのスーパーやコンビニで、故郷である北海道産の食品を選んで買うことは、日々の楽しみのひとつになっています。北海道のマークのついたパッケージで気に入ったのがあると、自宅に持ち帰ってからスマホ撮りしておくほどに胸がときめきます。望郷の念が癒されます。

  玉葱、人参、トマト、椎茸、豆腐、それに鶏肉、生鮭などのいつもの食材は、ほぼ北海道産の味と品質にこだわることができています。無論、メロンや大振りなアスバラなど、近隣の店舗にはないような季節ものを入手するルートもあります。
 ちなみに、平飼卵と野菜の一部は、鮮度重視で現居住地の地元産のものを選ぶ習慣になっています。

 それで、少し引っかかっています。「ふるさと納税」というのが何かと話題になっても、仕組みが把握できず、どういうわけでそういうものが必要なのか、わからなくなってしまうのです。
 おそらくは、稼ぎ盛りで税金のことをよく考えていて、おいしいものを贅沢に食べたいおじさん方の発想の範疇にある制度なのかも、と思うほかありません。
  さらに、「Go To」と言われても、どこへ行けというのでしょう? 片道切符の人生途上で。コロナ禍で。

 政権というのも、ほかの内閣よりはよさそう、とか、ほかの人よりは人柄がよさそう、という思惑で選ばれるだけでしかないようです。人間のすることですから、そんなに批判視することなのかはわかりません。

 静かにシニア生活を過ごしたいだけの当方なのですが、やはり人の世は落ち着かなく勉強させられることが次々にあります。
 どのように経済政策しても格差が広がり、救済にはなっていない、という意見も相変わらず少なくないのです。必要とする人々に寄り添うような施策というのは、難しいのでしょうか。そう思ってしまう日々です。

  豊さのなかの貧困


  追記参照:知って欲しいこと



2020年09月13日 16時58分

勝ちましたね

 大坂なおみ選手、テニス・全米オープン、女子シングルス(9.12)優勝。
 スポーツ観戦も普段はたいして興味を持たないのですが、なおみ選手の存在は特別に魅力的です。

 コロナ禍にもかかわらず、力強い活躍をみせてくださるような方々はいらっしゃいます。そんなときには、日々の活力をいただけるような気がします。


 大坂なおみ 「どんなメッセージ」



2020年09月12日 21時52分

皇室と宮家について

 畏れおおい皇室については、特に知識があるわけではありません。
 近年、継承のことがしばしば議論されているようですが、わかりにくいために気になりました。

 皇室の構成員が少なくなってきていて、皇室の継承が心配されるようになってきたことが言われています。しかも男性皇族が少ないのです。ご公務を担う方が減少したという表現がされることがあります。
 日本の皇室は「男系男子」で継承されることになっています。その男性が少ないのですから、男女の別なく長子が継いで、男女平等にして女性宮家を設けることにするという案はあるのですが、方向性が決まらないようです。

  世界的にも男系男子が王室を継ぐことが主流です。例外をとおしても、次代にも男子が生まれることなく、「女系女子」が継ぐことになっては、よそ者の侵略になるという懸念さえいう人がいます。島国らしい心配症のような、率直にいうと理解に苦しむようなご意見があるようです。
 旧皇族に皇籍復帰していただいて継ぐという発案まであります。一般人にはなかなかややこしい仕組みです。男尊女卑でも人権軽視でもないという想いで、こだわりの強い方々がさまざまに発想されているらしいのです。

 ネット上には、働いて自立してくれないか、一家そろって暇があっていいなあ、というような意見がみられることがあります。これは、国が定めた範囲で活動なさっている宮家の方々には暴言に等しいことです。ですが、今日の納税者のいつわらない声なのかもしれません。もしもそうだとしたなら、宮家を増やすこと自体が、現実的には難しいでしょう。

 議論としては興味深いことなのではないかと理解しました。
 血筋と家という概念を重んじるのは、大そうなことです。時代に沿った象徴と皇室の在り方を模索することになりますが、先のことははかりかねるということかもしれません。   

  令和皇室の宿題  #1 / #2



2020年09月09日 12時26分

万歳、飛沫が飛ぶよね

 大正期前後からそれ以降の文化を顧みる活動は、ほそぼそとないわけではありませんが。当会は、ほぼ世捨て人のような存在になっています。ですから、なにかと気が散って、邪気のない感想を漏らすことになります。

 コロナ禍では世界中が困りはて、迷走する日本の政治もとうとう行き詰まり、来週には総裁選とかが行われることになったようです。
 自分の生活で忙しいから、おじさんたちの万歳三唱は聞き飽きたけど聞いていなければいいのよ、政治家による政治のための政治で、人材がいない、というような口吻が・・・まだ日程的には新政権が決まらないうちから聞こえてきます。

 聞いた話に過ぎませんが。総理総裁の候補に、女性がひとりも入ってない、女性の活躍という施策の成果がこれ?という観点があるそうです。
 私人の在り方なのか、女性の在り方なのかも知りませんが。「家庭内野党」というポリシーは理解されにくかったとしても、風穴を開けたということはあったように覚えます。いまさらですが、水面下での人望は意外に集めたのかもしれません。「一強」と呼ばれた政治家の配偶者としてさすがな方はいらっしゃいます。


 なににしても、素人めいた感慨は深まります。〈金よこせ運動〉を止められる人とか、〈百姓万歳〉を心底から叫ぶことのできる人とか、誰もが諦めているのでしょうかね。

  恩師が苦言



2020年09月04日 20時48分
自宅で身を守るために
 やがてインフルエンザの季節になります。予防接種の準備についてなどが話題になっています。PCR検査は実施数は増えてきてはいるけれども、個人が受けることができる機会は意外に少ないことなども言われています。

 7月9日の当ブログで、自宅療養について食料確保や常備薬を中心に考えましたが、さらに気になります。
 医療の逼迫を未然に防ぐという社会的なことに協力すると共に、自分で自分の身を守るために、慎重に考えたいことです。

 仮に、風邪かインフルエンザだろうと思って、自主隔離して自宅療養をしていたとします。新型コロナに罹患していて症状が中程度以上だったら、もう入院して医療機関に頼るほかないわけですが、まだ陽性かどうかのPCR検査の結果がでてないときとか、ごく軽症か無症状だった場合には、自宅に居る可能性が少なくありません。
 ですが、インフルエンザか軽症の新型コロナかと思っているうちに、急激に重症化してしまう、という怖れがあります。新型コロナウイルスにより引き起こされる肺炎は、サイレントキラーと言われています。本人が気づかないうちに進行し、命が危険にさらされ高度な医療が必要な段階になるのが急速な場合があるのだそうです。

 この恐ろしい肺炎について、速やかに気づかなくては、身を守ることができません。
 一般人にはわかりにくい医療のことなので、これまで見た記事を頭のなかで整理してみましょう。
 検温するのと同じように、血中の酸素飽和度というものを日に何度か測ればいいのでした。普通なら90~100%くらいあるのだそうです。

 パルスオキシメーターというもので異常値かどうかを測ることができて、これは名称は聞き慣れないけれども入手することは容易な機器です。病院で指先に挟むようにして測定されたことがある人も多いと思います。 正常値なら少なくとも肺炎は進行していないという一応の安心が得られます。

 換気や人と人の距離を保つことに気を付け、手洗いや消毒、マスクの着用などを忘れないこと。そういう注意をし続けると共に、家庭では“新しい”機器を備えることも課題となりそうです。

  酸素飽和度測定
 受診の目安と症状

後記:PCR検査や酸素飽和度でわかる以前に、呼吸数があがってきて重症化を示すという説もあります。



2020年08月17日 14時55分

“日本茶(緑茶)”愛好の文化

 感染再拡大と言われている世界のうちで、日本は被害が少ない方の国です。
 このことについて、どうしてなのかということが話題になっていまして気になるところです。
 ネット上では、マスク着用や手洗いの習慣があるから、家のなかには土足で入らない生活習慣だからというようなことが取り上げられていることが多いようです。BCG予防接種をしている国であるからという説もあるようです。

 日本茶(緑茶)に含まれる特にタンニンの健康効果というのは、以前からかなり言われています。西洋のハーブティーにも風邪や炎症に効くもの、抗ウイルス効果が言われているものがあります。
  検索してみましたら、やはりありました。様々な健康効果についての数々の報告と、抗ウイルス効果について。さらには、新型コロナウイルスによる死亡率の低さを、緑茶を飲む習慣と結び付けている論もありました。

 お茶を淹れる(成分の浸出を理想的に行う)という課題があります。家庭で2、3時間おきに飲んでいれば効果を得られると言ってしまっていいかどうかはわかりません。
 ただ、日本文化にこだわる者としては、日本の緑茶愛好については顧みたい伝統文化であるとは思います。

   緑茶 緑茶の推奨 緑茶の効能



2020年08月15日 22時06分

「正しく」ウイズコロナ?

 熱中症を恐れてしまう猛暑日続きです。
 ただ、夏はそのうち終わるにしても、感染拡大はそう簡単には収まらないことを誰もが察するような数値が発表されています。

 換気の大切さが言われて、それが励行されるようになって来ています。換気がいいのは爽快なことです。
 冷房中ですのでドアをお閉めください、という態勢の下で夏風邪をひき易くなることもなくなってくるように思われます。
  ただし、とあるところで、空調機が故障中となっていることに気づきました。従来の空調機では、窓を開け放した状態で稼働を維持するのは無理があるのかも知れません。

 また、無症状の人からの感染もあるたるため、無駄なおしゃべりをして飛沫をとばし合うことを控えるようになったのも、歓迎されるマナーです。耳障りなことがないのは快適です。
 ですが、店舗や施設などに林立するアクリル板により、人と人の必要な会話もなりたちにくいことを経験するようになりました。

 日常的な留意だけではなく、通気性のいい建築設計や、パワーのある空調機、機能的なシールド等々、何かこれというような開発がないのでしょうか。屋内や人混みでの感染リスクは、治療薬ができたにしても脅威であり続けると思われます。

 扇子を持ち歩き、口元を覆いながら会話をし、あおいで換気をうながす、というようなことも奥ゆかしくていいですけどね。個人ですと、そんなレベルのことに終始するのは仕方ないわけですが・・・。

   
新型コロナ「正しく恐れて」



2020年08月03日 11時54分

「非凡」ということ

 手が白く
 且つ大なりき
 非凡なる人といはるる男に會ひしに

 非凡なる人のごとくにふるまへる
 後のさびしさは
 何にかたぐへむ
           (『一握の砂』より)

 若い啄木は、誰に会ったのだろう、と真剣に考えてしまいました。「手が白く 且つ大なりき」というフレーズには、相手は芸術家だったのではないかという気がします。「非凡」であることや、人と「会」うことへの関心は、年若い人に高いように思うために、こちらの疑問はきわめて冷静でもあります。実際に、啄木は誰と会ったのでしょうか。

 「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄が東京市長をしていたときに、啄木の訪問を受けていたという説がみつかりました。この偉人は94才まで衆議院議員を務め、当選25回という記録を残しています。清廉潔白な気質ながら、借金をして返さなかったという逸話があり、啄木も真似したのでしょうかね。

 さて、コロナ禍の下、尽力してくださっている指導的立場の方々の会見が、日毎に報道されます。どういうわけか、「非凡」という価値観は薄れているような昨今です。時代が疲弊してしまったからなのでしょうか。

    尾崎行雄と啄木



2020年07月14日 11時11分

 謎。“新しい”のか、「免罪符」なのか

 この話題、少し疲れたのでお休みしたいなあ、と思っていたところ。またニュースです。
 世界の大富豪が、公開書簡で「コロナ税」を払おうと言っているというのです。

 素朴すぎるような感想になりますが。おおよそ、富豪というのは、税金逃れが得意技で通っていませんか。意表を突かれます。

 従来、「寄付」のような形はあったと思うのですが。今回のコロナ禍は、広く深く社会的な問題であるために、「納税」というかたちを選ぼうとなさっているのでしょうか?

  あるいは、巨万の富を築いた方々にしても、ロックダウンしても経済社会活動が保てる方法なんかわからないから、お金をだそうということでしょうか。それにどのような地位があってもお金があっても、病と死は誰にでも襲いかかります。
 だから、自分たちも税金払おうと観念したのでしょうかね。

   
超富裕層は「コロナ税」納付を



2020年07月12日 19時10分

コロナ鬱はつづく

 当Dioの会の周辺でも、コロナ禍とコロナ鬱の話題ばかりです。
 「私たちのような者が10万円もらっても仕方ないのよね。(まだ、会食にも旅行にも行きたい気持ちではないし)」という用心深い声を聞きます。
 余暇のある人ではなく、体調を崩しても休めないような人やそういう職場、さらに休業のリスク(負債)を抱えた方面に対策が向いてもらいたい、という意見のようです。
 納めすぎた税金を返してもらって、気づくこともあるようです。

 東京を中心に感染拡大しつつあり、ここ一週間の罹患では20代30代が7割を占めるそうです。重症者は少なくなってきていますし、諸外国からみれば感染者数としては落ち着いています。ですが、いつ感染爆発が起きないとも限らないと言われています。

 もしも、治療薬が開発されたとしても、感染そのものはなくならないでしょう。
 奮闘中の医療従事者をはじめとする一線の方々。対策を講じながらも従来のような仕事、活動ができないでいるさまざまな立場の方々。鬱々とした状況は長引きそうです。
 誰にとってもの“新しい”社会の在り方は、なかなか見えてこないようです。




2020年07月09日 21時16分

自宅療養を実践的に考えてみると

 俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、
  今日も、あやふく、
  いひ出でしかな。  (『悲しき玩具』より)

 今日、新型コロナについては、入院が不要な軽症者には自宅療養とホテル療養のどちらかを選べると聞きました。家庭内感染や、看病、食事の世話などの家族の負担は回避できるかも知れません。

 自分なら自宅療養を選びたいのが本音です。いつもの食事や生活がしたいからです。
 普通の風邪やインフルエンザにしても、外を出歩きたいわけではありません。ですが、食料の買い出しは必要になる、ということに気づきました。

 感染症に備えて、二週間分くらいの食料の備蓄はしておいてもいいだろうと思い、実践してみることにしました。常備薬などはよく点検し、オンラインで薬を届けてくれる薬局のチラシも確保しました。

 食品のうち、主食は、米、レトルト粥、麺類、玄米フレーク等、保管は比較的容易です。肉、魚類は、冷凍、缶詰などで揃え、また食べやすいチーズやソーセージ類も利用できます。調味料、乾物、豆乳、トマトジュースなども保管できます。のど飴など菓子類も大丈夫です。

 課題となるのは、乳製品と野菜などの生鮮食品です。二週間分を冷蔵庫におくと嵩張ります。また、次々に消費しながら買い足して、いつでも発病したときに二週間分が保管されているようにするとしたら、相当な数量の管理になります。
 鮮度を保てないこともありますし、雑炊と味噌汁で白菜はしらないうちに使ってしまっていた、というようなこともあります。
 ベランダ菜園で、ネギ、ルコッラ、パセリ等はポット植えにしてあります。それでも青菜の二週間分は難しい。

 弱気になったときには何を食べるだろうと考えます。個人的な意見ですが、普段の食材のうち調理しやすく消化のいいものです。
 外食系店舗がどのようにデリバリーをしてくださっても、ですね。プレーンヨーグルト、平飼い卵、絹豆腐、ブロッコリー、生姜、キノコ類、バナナ、焼き芋など、免疫力応援パックの食材があったら注文するなぁ、と妄想することになりました。



2020年07月06日 11時09分

コロナ禍はれてくれるといいのですが

 雨降れば
 わが家の人誰も誰も沈める顔す
 雨霽(は)れよかし  (『一握の砂』より)

 梅雨時でなくとも、雨降りの憂鬱はたまらないものです。これがまじめに詠まれている歌で、「誰も誰も」という純な表現に惹かれます。

 コロナ禍はれてくれ、誰もがコロナ鬱に沈んでいる、というのは今の心境です。

 個人的には、近頃の感染拡大を回避しようという動きを、ほぼ受け入れることができます。 本来的に、人と人の距離を適度に保つのは快適なことです。きれい好きもいいでしょう。

 ですが、いかがなものかと思うこともあります。例えば、動画やリモートの導入を勧められると、本当に誰にでも必要なことなのかしらという心理になってしまうのです。

 台風・大雨のシーズンも始まっています。自然災害や経営難、就業難などの諸問題が感染拡大のリスクの元に一挙に噴き出すこと、それがもっとものコロナ禍かも知れません。
 医療の逼迫ということも言われましたが、リモートで就業しにくい看護師、介護士、保育士などの職種もあります。観客が集うのが前提のイベントや接客業もあります。業種ごとの対策とかガイドラインといっても、簡単なことではないでしょう。

 自粛や休業が繰り返されること自体、できるだけ避けたいことです。
 仕事が何もなくなって、貯金を切り崩して生活しているほかないというフリーランスの方の話も聞きます。在宅勤務できるような方々のシステムを整えても、それはそれだけのことです。
 「誰も」におけるコロナ禍を食い止める態勢となり、コロナ鬱が少しでもはれてくれることを願います。



2020年07月01日 23時14分

「よごれたる手を」

 よごれたる手を洗ひし時の
 かすかなる満足が
 今日の満足なりき。(『悲しき玩具』より)

 きれい好きにとっては、手洗いや清掃、除菌などの励行は、新しいことでも何でもありません。

 パンデミックに動転した年前半でした。世界的なロックダウンや渡航禁止があり、国内では緊急事態宣言や一斉休校、休業要請など、考えたこともないようなことが起きました。

  ただ、国内では感染爆発と医療崩壊は回避することができました。感染がなくなったわけではありませんが、入院患者も徐々に減少して来ました。「かすかなる満足が」味わえるほどです。

 日常に限った視点では何でもないことですが、把握し難い事態になっています。それをどのように言えばいいのかわかりません。



2020年06月29日 19時30分

感染止まらず、出不精に

 ほぼすべての業種が、感染防止対策をとりながら、元のような営業態勢にもどりつつあります。それでも、特にシニアの間では外出を先延ばししているという声を聞きます。
 少し足を延ばしてでかけた場合、先々で本当に必要な対策がとられていて、それが功を奏しているか、見えないからです。
 コロナ禍における大局だけではなく、個人としての防御もあります。

 感染防止の観点からいえば、外出を控える人がいるのは悪いことではありません。利用者としては、何にしても混みあうことがないのはむしろ快適です。
 予約制も入場制限も、運営側のご苦労はあるでしょうけれども、受け入れることはできます。

 ですが、どうしてこれまで、医療機関にしても一般社会においても、例えば、フェイスシールドの装着や発熱チェック、消毒・除菌みたいなことが普及や徹底されていなかったのでしょう。換気の必要だって、知らない人は居ないと思うのですが。

  見解がまとまっていなかったのでしょう。これからも万全ということはあり得ないかもしれません。

 第二波、第三波は、やはり来るという説が有力なようです。

 どちら方面も開店休業、になってしまいがちなのかなあ、と。
 ただ、有効な対策の実施を確認できるところには、利用者はもどってきているということはあるでしょう。対策ができている事業は生き延びてくださって、私たちの活動を支えてくれるのではないかなあ、という期待はしています。



2020年06月26日 10時17分

カッコウの斉唱・・・

 ふと思ふ
 ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを
 三年(みとせ)聴かざり    (『一握の砂』より)

 啄木が住んだ小石川区(現在の文京区の西半分の地域)は、明治中期には、産業化が進んだと言われています。明治後期に雀も居なかったのでしょうか。

 東京に長く住んで、何度か転居しましたが、早朝の雀の鳴き声が聴けたこともあればそうでなかったこともあったと思います。いずれにしても、かつて故郷で聴いた賑やかな響きがなくて、物足りなさを覚えたものです。
  近年では、ムクドリやヒヨドリが多いのではないでしょうか。

 田園地帯では、雀は籾殻をよく食べるために害鳥とみなされることがあるそうです。ですが、むしろ食物の豊富な街中では、可愛らしい姿とチュンチュンという鳴き声は人気を集めます。
  昭和期ころまでは、雀や鳩など人家近く集まる鳥類は、放し飼いの半ばペットのような存在だったと偲ばれます。

 さて、ごく最近の令和の夜半のことです。
 どこかのお宅で目覚まし時計が壊れたのかと思いました。耳慣れないカッコウ(閑古鳥)の鳴き声が、かすかにですが甲高く響いてとまらないからです。
  それは、明け方にも日が高くなっても聴こえ、空耳ではないことを認めないわけにはいかなくなりました。
 とある午後には、近くの八幡神社の境内から聴こえてきているらしいことがわかりました。

 車が騒音たてる表通りから少し入ると、畑はまだ残っているところもあります。ですが、密集化が進行中の住宅街です。
 それが、高原の森林地帯のように錯覚されるわけです。(『悲しき玩具』の歌では閑古鳥を夢に聴いています)

 わけがわからないままに日が経って、ふと思いました。
 もしかすると、人間界の自粛とか休業の影響でしょうか。放し飼いのペットとして、あるいは共生する益鳥として、閑古鳥が俄かに市民権を得たのかもしれません。




2020年06月23日 14時41分

「役にたたざるうた人と」

 實務には役にたたざるうた人と
 我を見る人に
 金借りにけり

 何事も金金とわらひ
 すこし経て
 またも俄かに不平つのり來(く)

 たまたま思うのですが。啄木について、どこがまじめで新しいのか、考えることは今日でも有効なことかもしれないのです。
  東京では感染者がなくなりません。ですが、岩手県では感染者ゼロを固守しています。啄木を考えることで、岩手県の県民性、ひいては日本人の特質に気づくことができるかもしれないからです。

 前掲した歌についてですが。歌人や詩人が実務には役に立たないとする見方は、きわめて伝統的なものです。しかしながら、資本主義社会で借金ができるというのは、それなりの能力であるといえます。
 また、金権主義(政治)を笑って無視しても、やはりそこに生きているのです。

 啄木は、伝統や世間の観点をふまえながら作者自身の在り様をみせるという歌の世界をほぼ順守しています。社会通念を裏切っている自己を表出しても諧謔に傾かず、シリアスさを崩しません。粘り強く自分自身を見出しては、報告しています。

 内攻性の強い気質は、日本人、特に北国の人の特性でしょう。その特質により、自己凝視による新発見とリアル表現の追究をしているのです。
 これまでにない難局も切り拓くかもしれない能力、という感想を持っているところですが・・・。

 ちなみに、狂歌という短歌のうちの諧謔の分野を顧みると、これはこれで、コロナ鬱を吹き飛ばす薬効を感じます。人生途上で何回遭遇しても、全身が笑ってしまう歌があります。

  名月を取ってくれろと泣く子かな それにつけても金の欲しさよ
   (下の句を名句など何にでもつける言葉遊び。江戸中期に流行)

 世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く
                       (詠み人知らず)




2020年06月22日 14時22分

「新しきサラドの皿の/酢のかをり」

 「新しい生活様式」が、しきりに言われるようになりました。新型コロナ感染予防として、人と人の距離をあけることやマスク着用、屋内換気、テレワーク、買い物も少人数で出ること等々が示され、それが行われてきています。

 「新しい」の意味として、辞書では四通りくらいの紹介があります。できて間もない、これまでとは違う、これまでにはない進歩的で奇抜な、生き生きと新鮮な、などです。  
 「新しい生活様式」というのは、感染予防対策として策定された、できて間もない日常の過ごし方、という意味なのでしょう。

 思えば「新しい」は、近代から現代にかけてじわじわと市民権を拡張してきた言葉のひとつです。好感度の高い言葉として定着してきたのでした。
 大正期には、武者小路実篤とその同志により「新しき村」が開村され、萩原朔太郎が「せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん。」(旅上)とうたっています。

 それに先行して石川啄木は、明治後期に「あたらしき」で始まる歌を10首あまり(『一握の砂』『悲しき玩具』)詠んでいます。その「新しき」モノは、ただハイカラに表現されているわけではありません。しばしば憂愁に満ちた気分や刺激的な香りや匂いに結びつけられていて、「新しき」モノが想起させる何かへのこだわりがうかがえます。
  『一握の砂』から一部引いてみます。

 あたらしき背広など着て
 旅をせむ
 しかく今年も思ひ過ぎたる

 新しきサラドの皿の  (注:サラダ料理のこと)
 酢のかをり
 こころに沁みてかなしき夕

 あたらしき洋書の紙の
 香をかぎて
 一途に金を欲しと思ひしが

 令和の我々を代弁して自粛から「給付金」欲求まで言っていると穿てば、新しすぎる読み方になってしまいます。ですが今日、「新型」の感染症だから、「新しい」生活様式が提示されたのです。

  明治期に西欧型の新しい文化が押し寄せたから、啄木は三行わけの散文的なスタイル、新しい短歌様式に傾倒したのでした。しかも、啄木歌は「新しい」モノの受け入れ難さをさまざまに示唆しているかのようなのです。新しい歌人であった啄木の自己矛盾だったとしても、その心情は伝わってきます。

  さて、今日の「新しい生活様式」は、どこへ行くのでしょう。ワクチンや抗ウイルス装置とかが開発されると、三行分け、ではなく、人と人との距離なんて等閑にされて、一極集中の都市は継続されるのでしょうか??




2020年06月14日 00時54分
「都の雨に」
 啄木『一握の砂』から三首。

 石をもて追はるるごとく
 ふるさとを出でしかなしみ
 消ゆる時なし

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
 ぢつと手を見る

 馬鈴薯のうす紫の花に降る
 雨を思へり
 都の雨に

 特に事情があるにしてもないにしても、故郷から遠く離れているということだけでかなしみの感情が抑えられないことがあります。
 「石をもて」の歌は、滅多に帰ることがない故郷をもつ者の胸を打ちます。  

 「はたらけど」は、勤労者の宿命をうたっています。
 彼の時代から今日までどれだけ多くの人々が、この歌を愛唱したことでしょう。

  自分に近づけて勝手な読みを許してもらうとします。

  どうしたものか上京して、働くだけ働いたけれども年金では暮らせないシニアになってしまった、なんとか工夫して余生は思うように暮らせないだろうか、という心境です。

 「馬鈴薯のうす紫の花に降る」という歌は、都に降る雨を目の当たりにして、故郷の馬鈴薯畑の雨の光景が脳裡に浮かび上がったということでしょう。
 ただ、目前の雨が何を濡らしていたのかは明らかにされていません。馬鈴薯の花は6月に咲きますが、実になっても落果しやすく完熟するのはごく僅かと言われます。しかも栽培には種芋を用いた方が有効です。
 雨に打たれている何かが馬鈴薯の花のようにあだ花のようなものとして幻視された、ということのようにも思えてきますが・・・。
 まあ、深読みはやめましょう。  
 
 今の自分が、ベランダやシェア畑で野菜の有機栽培ができるのはようやくのことです。ただ野菜に接していると、ふるさとに回帰するような思いがします。




2020年06月12日 13時16分
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Dioの会は、文学・芸術文化のNPO活動をめざします。