exhibition 竹久夢二      

        大正の自由人 ‐ 基礎データ

  開設2010年8月 /更新2014年8月      © 品川洋子    


<はじめに>

 竹久夢二〔1884(明治17)年~1934(昭和9)年〕は、ジャンルを超えた創作活動を繰り広げた多才な画家にして詩人です。自身で装幀し挿絵をした詩文や童謡・童話の著著により特筆され、他者の文芸書やセノオ楽譜の装幀も多くしました。彼の描く女性の絵姿は、”夢二式の美人画“と言われて人気を得ましたが、山水画や人物を配した風景画も多くあり、山を描いた画家でもありました。
 また、当時の国際的な装飾美術をいち早く取り入れ、絵本、封筒、便箋などいわゆる可愛くて抒情性のあるデザインを多く手掛け、日本の伝統的な図案を当世風な夢二式の千代紙などに再生する手腕も発揮しています。工芸美術で産業を興す夢を抱きながら、欧米への遊学の後に病に倒れ、富士見高原療養所にて、満50歳に満たずに亡くなります。人生を恋と旅で過ごし、大正の自由人と目されます。
-このexhibitionでは、夢二とはどのような作家だったのかを見ていくために、主要な作品を紹介していく方針です.当HPのデータ公開Ⅴもご参照ください。
メモリアル・ミュージアム/コラム
にも夢二を偲ぶ記事を書いています。-

 追記-『「宵待草」ノート 竹久夢二と大正リベラルズ』には、夢二の悲恋と代表詩「宵待草」周辺のことを書きました。夢二を知るための基礎的な参考図書も、同書に紹介しています。



                           


【作品紹介】



『昼夜帯』箱、同「画集 太陽のめぐみ」扉、奈良のうすれ日、宇治の茶畑、ラブレターを受取った女
(画像をクリックしてご覧ください。)

 『昼夜帯』は、大正2年12月に洛陽堂から出された夢二の詩画集で、画集「太陽のめぐみ」と、詩集「夜咲く花」から成っています。表紙は、上半分が紺色、下半分が銀色で、背には、金字で「昼夜帯」と書かれています。名古屋帯とも言われたリバーシブルな帯の呼び名を、自分の絵と詩の仕事を集約した本の題名としたものです。
 夢二、満30歳を前にした作品集で、代表歌も収録されています。

  さだめなく鳥やゆくらむ青山の青のさみしさかぎりなければ


 『夢二画集 春の巻』(洛陽堂 明治42年)に始まる『夢二画集』シリーズ(明治44年までに数種がある)を、彼の代表的な仕事としてあげる人も少なくありません。夢二は、明治30年代後半より雑誌、新聞の仕事をしていて、コマ絵と呼ばれる木版挿絵だけではなく、俳句、短歌(川柳、狂歌ともみなされる作風がみられる)、紀行文などの記事を発表していました。これらの仕事の延長上にある画集で、自らを語る文章や短歌などが収録された詩画集ともみることができます。
 『昼夜帯』は、これらの絵と詩文が渾然とした夢二の世界を集大成した1冊と考えられます。
 そして、歌集『山へよする』(新潮社 大正8年)で、夢二の詠歌は極まったとみられます。実際の恋の逃避行から生まれた、恋の歌、子を想う歌などが収録されています。

  ひた泣くを恋と知らばやうばたまの黒髪いたみ慰めかねつ

  なつかしき娘とばかり思ひしをいつか哀しき恋人となる

  いはれなき腹立しさに叱る子の泣くまじとする悲しき顔はも



                           
                           


  『どんたく 絵入小唄集』より
(装幀恩地孝四郎 実業之日本社 大正2年11月)
挿絵:夢二

 夢二の最初の詩集として知られる『どんたく』ですが、『夢二画集』が詩画集ともみなせる巻があるのに対し、「絵入小唄集」と銘打たれたように、小唄を詩集として構成しています。装幀は、夢二を慕う若い画家だった恩地孝四郎に任せていますが、本のなかに挿入された挿絵は夢二自身が描いています。素朴な線描で、子供の姿や祭りや田園風景が表現されています。

 作品世界は、当時の新体詩や自由詩ではなく、モダンな7・5調で口承性を持った夢二の詩であり小唄です。また、後の『あやとりかけとり』にも収録された遊戯唄にも通じるようなフレーズとリズムを持つ「異国の春」など、伝統にエキゾチシズムを発見する、いわゆる“日本再発見”のテーマも見出すことができます。大正中期以降の童話・童謡の運動に先駆けた近代小唄で、母親とのつながりを題材にしているところなど時代を反映してもいます。わらべ唄、古謡、マザーグースの新しい唄いなおし、リライトにとどまらず、夢二式のしゃれた小唄形式とでも呼びたい不思議な魅力を持つ作品群で、後に作曲されセノオ楽譜に入れられた唄も少なくありません。近代以降の流行歌のはしりという見方もできます。
 本書には、明治末に原詩が発表され、ここで、三行詩にまとめられた「宵待草」が収録されています。「宵待草」は、作曲され、夢二のテーマソングように広く唄われるようになります。



 歌時計

ゆめとうつつのさかひめの
ほのかにしろき朝の床。
かたへにははのあらぬとて
歌時計《うたひどけい》のその唄が
なぜこのやうに悲しかろ。


 紡車

しろくねむたき春の昼
しづかにめぐる紡車《いとぐるま》。
をうなの指をでる糸は
しろくかなしきゆめのいと
をうなの唄ふその歌は
とほくいとしきこひのうた。
たゆまずめぐる紡車《いとぐるま》
もつれてめぐる夢と歌。


 赤い木の実

雪のふる日に小兎《こうさぎ》は
あかい木《こ》の実《み》がたべたさに
親のねたまに山をいで
城の門まできはきたが
あかい木の実はみえもせず
路《みち》はわからず日はくれる
ながい廊下の窓のした
なにやら赤いものがある
そつとしのむできてみれば
こは姫君《ひめぎみ》のかんざしの
珊瑚《さんご》のたまかはつかしや
たべてよいやらわるいやら
兎《うさぎ》はかなしくなりました。


 おしのび

昔アゼンに王ありき。
野にさく花のめでたさに
ひとり田舎へゆきけるが
にわかに雨のふりいでて
王は臍までうまりける。
それより王はわすれても
二度と田舎へゆかざりき。

 

 かくれんぼ

豆の畑にみいさんと
ふたりかくれてまつてゐた。

とほくで鬼のよぶ声が
風のまにまにするけれど
ちらちらとぶは鳥の影。

まてどくらせど鬼はこず。
森のうへから月がでた。


 郵便函

郵便函《ゆうびんばこ》がどうしたら
そんなにはやくあるくだろ。
わたしの神戸のおばさまへ
わたしのすきなキヤラメルを
おくるやうにとしたためて。
郵便函へあづけたが
三つほどねたそのあした
わたしのすきなキヤラメルは
ちやんとわたしについてゐた。


 山賊

乳母《うば》の在所《ざいしよ》は草わけの
山また山の奥でした。
ある日のことに姉として
乳母《うば》をたづねにゆきました。
わたしは土産《みやげ》を腰につけ
姉は日傘《ひがさ》をさしかけて
赤土色《あかつちいろ》の山路《やまみち》を
とぼとぼあゆむ午下《ひるさが》り。
あゆみつかれて路《みち》ばたの
一本松に腰かけて
虎屋饅頭《とらやまんじゆう》をたべながら
やすむでゐると木蔭《こかげ》より
髯武者面《ひげむしやづら》の山賊《さんぞく》が
ぬつくとばかりあらはれた。
すわことなりとおもへども
どうすることもなきごえに
「おつつけ伴者《つれ》のくる時刻《じぶん》」
きこえよがしに姉のいふ
「どうして伴者《つれ》はくることか」
わたしは姉《あね》にききました。
さうするうちに山賊《さんぞく》は
腰《こし》の太刀《だんびら》おつとりて
のそりのそりとやつてきた。
もう殺すかとおもふたら
殺しもせいでたちとまり
「どこへおじやる」ときくゆゑに
つつみかくさずいひますと
「よいお子《こ》たち」とほめながら
峠をおりてゆきました。

乳母《ばあや》はきいて大笑ひ
「なんの賊《ぞく》などでませうぞ」
それは木樵《きこり》でありました。


 おさなき夢

夢のひとつは かくなりき。

青き頭巾《づきん》をかぶりたる
人買《ひとかひ》の背にないじやくり
山の岬をまはるとき
広重《ひろしげ》の海ちらとみき。
旅の道者《だうじや》がせおいたる
天狗《てんぐ》の面《めん》のおそろしさ
にげてもにげてもおふてきぬ。
伊勢の国までおちのびて
二見《ふたみ》ヶ浦《うら》にかくれしが
ここにもこわや切髪《きりかみ》の
淡島様《あはしまさま》の千羽鶴《せんばづる》
一羽《いちは》がとべばまた一羽《いちは》
岩のうへより鳥居より
空一面のうろこ雲。
顔もえあげずなきゐたり。


 どんたく

どんたくぢやどんたくぢや
けふは朝からどんたくぢや。

街の角では早起きの
飴屋《あめや》の太鼓がなつてゐる
「あアこりやこりやきたわいな」
これは九州長崎の
丸山名物《まるやまめいぶつ》ぢやがら糖《たう》
お子様《こさま》がたのお眼《め》ざまし
甘くて辛くて酸くて
きんぎよくれんのかくれんぼ
おつぺけぽうのきんらいらい」

観音堂《くわんのんだう》の境内《けいだい》は
のぞきからくり犬芝居《いぬしばゐ》
「ものはためしぢやみてござれ
北海道で生捕《いけど》つた
一本毛のないももんがあ
絵看板にはうそはない
生きてゐなけりや銭《ぜに》やいらぬ」

「可哀さうなはこの子でござい
因果はめぐる水車《みづぐるま》
一寸法師の綱わたり
あれ千番に一番の
鐘がなろともお泣きやるな」

「やあれやれやれやれきたわいな
のぞきや八文《はちもん》天保銭《てんぽせん》
花のお江戸は八百八町《はつぴやくやちやう》
音《おと》にきこえた八百屋《やほや》の娘
年は十五で丙午《ひのえうま》
そなたは十四であらうがの
いえいえ十五でござんする。
八百屋《やほや》お七《しち》がおしおきの
お眼《め》がとまれば千客様《せんきやくさま》」


 禁制の果実

白壁《しらかべ》へ
戯絵《ざれゑ》をかきし科《とが》として
くらき土蔵《どざう》へいれられぬ。
よべどさけべど誰ひとり
小鳥をすくふものもなし。
泣きくたぶれて長持《ながもち》の
蓋《ふた》をひらけばみもそめぬ
「未知の世界」の夢の香《か》に
ちいさき霊《たま》は身《み》にそはず。

窓より夏の日がさせば
国貞《くにさだ》ゑがく絵草紙《ゑざうし》の
「偐紫《にせむらさき》」の桐《きり》の花
光《ひかる》の君《きみ》の袖《そで》にちる。

摩耶《まや》の谷間《たにま》にほろほろと
頻迦《びんが》の鳥《とり》の声きけば
悉多太子《しつたたいし》も泣きたまふ。

魔性《ましやう》の蜘蛛《くも》の糸《い》にまかれ
白縫姫《しらぬひひめ》と添臥《そひぶ》しの
風は白帆《しらほ》の夢をのせ
いつかうとうとねたさうな。

蔵の二階の金網《かなあみ》に
赤い夕日がかっとてり
さむれば母の膝《ひざ》まくら。

 

 宵待草

まてどくらせどこぬひとを
宵待草《よひまちぐさ》のやるせなさ

こよひは月もでぬさうな。




 わすれな草

袂《たもと》の風を身にしめて
ゆふべゆふべのものおもひ。
野《の》ずえはるかにみわたせば
わかれてきぬる窓の灯《ひ》の
なみだぐましき光《ひかり》かな。

袂《たもと》をだいて木によれば
やぶれておつる文《ふみ》がらの
またつくろはむすべもがな。

わすれな草《ぐさ》よ
なれが名《な》を
なづけしひとも泣きたまひしや。


 うしなひしもの

夏の祭のゆふべより
うしなひしものもとめるとて
紅提燈《べにちやうちん》に灯《ひ》をつけて
きみはなくなくさまよひぬ。


 かへらぬひと

花をたづねてゆきしまま
かへらぬひとのこひしさに
岡《をか》にのぼりて名《な》をよべど
幾山河《いくやまかは》は白雲《しらくも》の
かなしや山彦《こだま》かへりきぬ。


 よきもの

「よきものをあたへむ」ときみのいふゆゑ
ゆびきりかまきりいつはりならじと
きみのいふゆゑ
門《もん》のそとにてきみまちぬ。

井戸《ゐど》のほとりの丁子《ちやうじ》の花よ。


 見知らぬ島へ

ふるさとの山をいでしより
旅にいくとせ
ふりさけみれば涙わりなし。

ふるさとのははこひしきか。
いないな
ふるさとのいもとこひしきか
いないないな。
うしなひしむかしのわれのかなしさに
われはなくなり。

うき旅の路《みち》はつきて
あやめもわかぬ岬《みさき》にたてり。

すべてうしなひしものは
もとめむもせんなし。
よしやよしや
みしらぬ島の
わがすがたこそは
あたらしきわがこころなれ。

いざや いざや
みしらぬ島へ。


 てまり

‥‥‥ひや ふや おこまさん
  たばこのけむりは丈八《じやうは》っあん‥‥
とんとんとんとつくてまり
しろい指からはなれては
蝶《てふ》が菜《な》のはをなぶるよに
やるせないよにゆきもどり。
ゆらゆらゆれる伊達帯《だらり》から
江戸紫《えどむらさき》の日がくれる


 異国の春

につぽんムスメのなつかしさ
牡丹《ぼたん》芍薬《しやくやく》やま桜
金襴緞子《きんらんどんす》のオビしめて
ふりのたもとのキモノきて
丹塗《にぬり》のポクリねもかろく
からこんからことゆきやるゆえ
どこへゆきやるときいたらば
娘ざかりぢや花ぢやもの
後生《ごしやう》よいよに寺まゐり。
寺まゐり。

        (<青空文庫>より抜粋 ふりがなは一部省略した。)



                           


『セノオ楽譜』について

夢二の詩は、作曲され、大正期に盛んに出された『セノオ楽譜』により広まったものがあります。その代表的な作品が、「宵待草」でした。また、古謡や民謡、新作小唄などの楽譜も、装幀しています。

『宵待草』 夢二詩・表紙 大忠亮作曲
 セノオ楽譜 大正7年
『お江戸日本橋』 夢二表紙 澤田柳吉作曲
 セノオ楽譜 大正5年




                          



 『少年文庫』(島村抱月編 明治39年)は、児童文学の黎明を告げる図書として記憶されています。夢二は、この冊子の装幀と挿絵を任され、腕をふるっています。
 そして、相馬御風、小川未明など当代の若い作家と供に、彼が、物語や子守唄など幅広い執筆をしていることに注目しないではいられません。
 そのなかには、泣き虫でみなを困らせる4歳の弟を姉が語る「春坊」という作品があります。これは、後の『日本児童文学名作集』(桑原三郎・千葉俊二編 岩波文庫 1994年)などにも収録され、今日でも読むことができます。



『童話 春』 大正15年 研究社
『童謡 凧』 大正15年 研究社

 

  大正期は、少年小説、童話、童謡に関心が高まったときでしたが、夢二は、時代に先駆けるように、『絵物語 子供の国』(明治43年)を上梓して以降、次々に絵本や絵物語の形態の本を出します。『ねむの木』(実業之日本社 大正5年)の「巻のはじめに」にあるように、夢二は自分の離婚により母を失ってしまった息子のために、わらべ唄を編みます。自分の子供に向けての童話・童謡の採取・創作をした一面が考えられます。
 そして、息子も成長した大正末には、雑誌や著書で発表された童話・童謡は、夢二自身の手によりまとめられます。これが、『童話 春』『童謡 凧』です。夢二の子供向けの著書は、こども絵とも童画とも呼ばれることのある絵によって知られますが、童話や童謡においても充実した創作を展開し、夢二特有の情感とユーモアが滲む世界となっています。

 『童話 春』にあるのは、ほとんどが短編です。
 「風」という作品は、「風が、山の方から吹いて来ました。」と始まり、少年のリボンのついた帽子がダンスをするように風にさらわれてなくなりますが、やがて風もどしてくれるというお話です。
 「春」は、童謡を用いた劇で、ウサギを狩人から助ける話です。

 

 『童謡 凧』のなかの童謡は、大正期に少年雑誌に発表したものから選んだと考えられます。平明な内容と、現代的な言葉の表現がみられます。後にも、『日本童謡集』(与田準一編 岩波文庫 1957年)などに収録されているものがあります。また、「風の子供」のように、中田喜直作曲で歌われているものがあります。


 尺取虫


尺取虫は
よつちらよつちら
尺をとる

牧場の柵が
どれだけ長いか
よつちらよつちら
尺をとる

尺取虫は
日本の国が
どれだけ長いか
よつちらよつちら
尺をとる



 ぼくのボール

ぼくが打つた
ボールは
センターを
越えて
垣を越えて
雲の中へ
飛んでいつた
いくらさがしても
見つからなかつた
夜になつたら
天のまん中て
星のやうに
光るだらう



 風の子供


風の子供が山へ出て
釣鐘草をふきました
釣鐘草は眼をさまし
ちんからころりと鳴りだすと
薄も桔梗も苅萱も
みんな夢からさめました

風の子供が浜へ出て
やどかりの顔なでました
やどかりびつくり戸をしめて
よんでも よんでも でてはこず
さんまも鯛もえびの子も
波にかくれてゆきました



                           



                           


    縫う女 明治後期 水彩 18.0×15.4cm
                『日本水彩画名作全集3 竹久夢二』  (第一法規 1982年)より

 水彩画には数々の秀作があります。長崎十二景(大正9年)、女十題(大正10年)も水彩による作品です。

 日常のなかに女性と子供をよくとらえた絵は、初期のころから描いています。女性に背負われて、あるいは手を引かれて、子供は、しばしばその画中に登場します。
 そして夢二は、泣く子供、泣く女性を様々な作品でモチーフにすることになります。
 泣くことは、深い悲しみの表現とは限らず、先に掲げた『少年文庫』の「春坊」のように、他愛ない感情発露のこともあります。
 また、やはり、先に触れた歌集『山へよする』では、恋に泣く若い女性が歌に読まれ、挿画にもなっています。
 作風も発表形態も変わっていったように見える夢二の表現ですが、その人間性の観察、哀感の表現においては、初期から貫かれているものがあるようです。


                                  (つづく)
                            
 注: 当ページで用いているワンポイントは、夢二デザインの千代紙「蔓草」をモチーフにしています。


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