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  •  “国民文学”拾い読み、続けます 2021. 9.17




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“国民文学”拾い読み、続けます




  “国民文学”について関心を寄せることにしてから数年が経ちました。どちらの方面へいくのやら、わからないことは、折に触れて断っているとおりです。
 コラム3-2のページを始めるにあたり、何も変わりはありません。やや独自な文学の拾い読みである、というくらいのことを言い添えておきましょうか。

 昨年初めに、コラム3で、石川啄木の歌を取り上げたことにつづき、当サイトのブログで、啄木歌を再読している、という報告にあたる記事を何回か書きました。作家は、定説ではこのような観点となる誰々、というだけでは済まない存在である場合があります。石川啄木は、そんなつかみどころが難しい、いわば鵺のような詩人かも知れないと今更ながら気づいているところです。 啄木を解明しようとする無謀な企ては、まず諦めてかからなくてはなりません。

 ただ、どうして啄木のことを書くことになったかについては、述べておきましょう。
 まず、ひとつめは、啄木の言う「食らふべき詩」(「弓町より」『東京毎日新聞』明治42〔1909〕11月)の概念「両足を地面に喰っつけていて歌う詩ということである。」が脳裡にあったからです。これは、思いつきであるかのようでいて、高山樗牛評論「日本主義」(『太陽』明治30〔1897〕年)よりさらに、日本の近代文学の在り方を問い詰めた考察ではないかと思えます。啄木の論は、国家意識の反映など理想論を追い求める国民文学論争の流れにあるものとは、みなされていません。ですが、案外、日本文学の本質、抒情の再発見のようにもうかがえるのです。

 もうひとつは、竹久夢二の石川啄木観が気になってしまった経緯があります。夢二は、啄木を真面目で純な男だと書簡で述べているわけです。夢二自身は、資質としては詩人だったけれども絵画・美術表現に優れた作家でウイットに富んで優美な作風だった、ということは言えるかもしれません。ですが、代表歌は悲恋をうたう「宵待草」であり、つかみどころが難しいことでは折り紙付きの人です。夢二による啄木観から何をうかがい知ればいいのか、混沌に引き込まれたままです。これについては、独自な観点でもあり改めて次稿で述べることにいたします。

 また、“国民文学”については、死語にならないだろうか、というような概念であるからこそ関心を寄せました。現代ではわかりにくくなった概念への注視ですね。
 近年における考察なども少ないわけですが、次の事柄について注目されます。

・『国民文学のストラテジー プロレタリア文学運動批判の理路と隘路』(内藤由直 双文社出版 2014年)
  コラム3でも、参考にさせていただいている研究書です。
短歌誌『国民文学』ホームページ
  短歌こそ国民文学であるという考え方があります。
「源氏は国民文学か」
  最近、珍しく国民文学を説いている尾崎克之氏のサイトです。


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